第26話 癒えきれない傷跡

「今日は短い間でしたがありがとうございました。では、失礼します。」


 真っ黒なリクルートスーツに髪を1つに縛り、いつもは使わない整髪料でまとめた。薄いストッキングにヒールをカツカツと鳴らし駅に向かった。

 この昼間にスーツで歩いている人なんてほとんどいない。だからきっと就職活動のピークは過ぎ去ってしまったのだとわかった。


 就職活動を大学3年頃から始めて2年ほどが経とうとしていた。もう大学の友達は仕事に慣れただろうか。初任給で親孝行したのだろうか。そう思うと自分はみんなと何も変わらないはずなのに、何もかも違うように感じた。そう考えるとどんどん自分の惨めさだけについつい目がいってしまう。


 駅にあった書店の店先にはDREAMERSが11月号で雑誌の表紙を務めるというポスターが大々的に飾られていて、思わずスマホのカメラをかざした。

 書店に入り、店先に飾られていた写真と同じ表紙の雑誌を手に取り購入した。もうそれだけで十分だった。どのメンバーもかっこよかった。それはいろんな意味でそう思った。そして、さっきまで沈んでいた心がすっと楽になった。それは好きな物、楽しみのために頑張ろうと思えるからと言うこととその時間が楽しくてたまらないからだ。


 東京に来て1ヶ月が経ち、なんとか毎日の生活はやりくりしていた。バイトもパン屋以外にファミレスも掛け持ちした。そして並行して就職活動をした。確かに毎日大変で特別な贅沢はできなかったけれど、それでも充実した日々を送っていた。


 誰も私のことを深くは知らない。誰も私のことを干渉してこない。それがいかに快適でいかに自由なのかを噛みしめていた。自分しか知らない自分を自分だけが知っている。監視社会だった地元から離れて私の沈んでいた心は少しずつ前を向いていた。


 家の近くに着くとそこの住民ではない人影があって少し怖くなった。近くの電柱で息を潜めてしばらく見ているとそこにいたのは祖母。1ヶ月ぶりにちゃんと見た。


 家の前で私がいることを探しているかのようだった。どこから嗅ぎつけてきたのか。こんな情報だけ上手いこと拾ってくる。

 しばらくすれば諦めていなくなるだろうと思い、家を離れようと振り返って逃げるように歩いた。


「いたいた。琴葉ちゃん。こっち。」


 明るい声で話しかけてきた。家の扉から電柱まで直線距離でだいたい5メートルくらい。耳が遠いときいたことがあったけれどこれだけ離れたところから私のヒールの音が聞こえるなら耳は遠くないと思う。むしろ野生に生きる動物並みの聴力だ。


「やっぱりここにいた。スーツ着て何してるの?」

「何って就職活動。今日、面接だったから。」

「そう?ゆっくりお話ししましょう。家の中に入れてちょうだい。」

 もうここで捕まってしまったからには入れてあげるしかなく、仕方なく家の中に入れた。


 部屋は2人で過ごすには少し手狭で洗濯物も干してあったことでさらに圧迫感があって狭く感じる。

「あら、こんな狭い部屋に住んでるの?」

 入ってきて一言目がこれだ。


「そう言えば隣に住んでた隼斗くん覚えてる?もう結婚して子どもがいるんですって。」

 そんな情報どこから手に入れるのか教えて欲しい。


「あの近所に住んでたあの斎藤さんのところも結婚したって。琴葉ちゃんも早くいい人見つけないとね。」

 やっと解放されたと思ったのにまだ縛られないといけないのか。


「それであの森田さんとはどうなの?まだ連絡取ってるの?」

 きっとあのときのことを掘り返したいというより、なんとか私から男の匂いを嗅ぎつけたいようにしか思えない。もしくはなすりつけたいと言ったところだろうか。


「連絡先なんて知らない。歳も自分よりずっと上だし、それに、その。」

「それに?」

 祖母は芸能関係は疎く、相手がアイドルでましてや私の推しだなんて知らない。もし知られてしまったら「私が好き」=「恋愛」と思われるかもしれない。あくまでも私はアイドルとして応援して好きなのであって恋愛は別にあると思っている。だから、そこは知られたくない。


「森田さんはそのもういい人がいるかもしれないでしょ?」

「何言ってるの。そう言うのは奥手じゃダメなのよ。ああ、そう言えばあの中野さんの家のお孫さん。琴葉ちゃんと同じ年頃だったわね。どうかしら?」

 もう聞いてるだけでうんざりしてくる。


「もういいでしょ。そんなに結婚とか子どもとか言わないで。」

「なんでよ。女の幸せは結婚して子どもを持つことよ。まだ琴葉ちゃんは子どもだからわからないだけ。それが一番いい人生なんだから、こんなところで仕事探しなんて辞めて地元に帰っておいで。どうせここで仕事見つけてもすぐに辞めることになるからそんなの無駄よ。」


 やっと解放されたと思った。結婚が悪いわけでも子どもがいらないわけでもない。でも、その考えに縛られなくてもいいと思うが私の考えだ。ただ、これが地元では通じない。周りは何十年もその場に住み続けている人ばかりでそこで大半の人がすることは“やって当たり前”“やらないのはおかしい”と思われるだけ。


「私だってそんなことを全く考えてないわけじゃないよ?でも、今はまだ他にするべきことがあるし、今はこの生活がいい。」

「こんな部屋でバイトして食いつなぐのがいいの?せっかく若いし、かわいいんだからいい人なんてすぐ見つかるわよ。いっそのことお見合いとかしてみる?」

 今どきお見合いなんてほとんど聞かない。別に箱入り娘でもないのにわざわざお見合いだなんて。


「もう出てって。」

 静かに私のなかのいらだちが沸々と湧いてきた。だから、出た声は小さかったものの思った以上に低い声が出た。


「まだ来たばかりよ。もうちょっといいじゃない。」

「だから出て行って。」

 もう限界だった。声色は今まで自分で出したことのない怒りが含まれていることは自覚があった。


「地元を出て行ったのはそう言うところだよ。」

「そういうところってどういうところよ。」

「結婚に子ども。そんな話ばかり。それにどこから嗅ぎつけてきたのかこうやって私の家まで知ってる。私には私なりの考えがあるし、やりたいことも、好きなこともある。誰にも言いたくない、知られたくないことももちろんある。だって私も人間だから。1人の人だから。」

「それが何?血の繋がった家族じゃない?それにあの斎藤さんも琴葉ちゃんのこと言ってたわ。知りたがってるのよ。だから教えてあげないと。」

「そうやって私の存在だけ1人歩きしてる。周りは私を知っている人ばかり。もう自分を演じるのはこりごり。私は全部をオープンに曝け出していかなきゃいけないあの世界が嫌だった。だから逃げるように地元を出て進学した。それで今も地元から出ていった。」

「大変だったでしょ?周りは知らない人ばかり。こんなに街も人手溢れて、ゴタゴタして。最悪の環境だわ。それに比べて琴葉ちゃんの育った場所はどう?自然も多い。あなたをみんなが可愛がってくれるし、みんなあなたのことを知ってくれている。小さい頃からずっと面倒を見てくれていたでしょう?それにみんな学校も一緒で長い付き合いのある同世代もたくさんいるじゃない。みんな気心知れて親しくしているでしょ?人も少なくて知り合いも多いなんて快適だし、話せる人がいるって快適でしょ?」


 もちろん祖母の言いたいことはわかる。知り合いが多いことに越したことはないし、家族がいることも、生まれ育った場所だからこそ憎めない部分だってある。


 でも、それ以上に自分のなかではマイナスな部分が多すぎた。毎日のように浴びるクレームと罵倒。毎日せがまれるように言われる結婚と子ども。何もない街。知っているだけでそれ以上の関係はない幼馴染み。誘われなかった同窓会。地元を離れていった仲のいい友達。もう話せる人がいない地元。そして、こうやって何もかもみんなに知られてしまう世界。逃れられない監視。地元に帰ると言うことはまたその環境に身を置くと言うこと。それのどこがいいのかわからなかった。きっと人間関係が上手く築き上げられる人はいいところだと思うのかもしれない。でも、そんな人はきっとどこへ行っても上手く付き合える人であってなんとなく上手く生きられるのだ。私みたいな人間関係を上手く作れない。人見知り。そんな人はどこへ行っても上手くいかないのかもしれない。だからこそ、こうやって浅く関係を作れるところが快適なんだ。もし上手くいかなくても逃げ道がある。たくさんの人がいるから私みたいな奴も少なからずいる。だから生きやすかった。


「もう何言っても理解してくれないよね。私、何度もそういう話はした。でも『考えすぎ』『そんなことない』で片付けてきたもんね。ごめん。私、帰らないよ。ここでの暮らしが今の私の暮らしだから。何も後悔してない。せっかく手に入れたの。そう簡単に手放せない。だから帰らない。もう二度と来ないで。」


 そう言ったあとの祖母は見たことないぐらい悲しそうな顔だった。

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