第24話 推しとの偶然の縁

 新しいバイトの面接も終わり、電車に乗って街に出かけた。平日の夕方でも人はかなり歩いていて、今まで眠っていたお洋服を引っ張り出して身を包んだ。

 こうやって好きな服を着ても誰も何も行ってこないし、おしゃれな服を着て出かける場所もあったし、おしゃれをして1人で歩いていても浮く場所なんてなかった。

 大学で地元を出ていたこともあってどこか懐かしさもありつつ、それでいて新鮮だった。

 目に入る物に気を取られているといきなりすれ違った人と肩がぶつかってしまった。

「すみません。」

 咄嗟に振り返って謝った。

「こちらこそすみません。大丈夫でしたって琴葉さん?」

 顔を上げると帽子を目深く被っている男性。でもすぐにわかった。目の前にいるのは森田涼真だと。あれだけ毎日のようにその歌声を聞いて、毎日のようにその顔を画面越しで見ているのだから間違いない。

「あ、大丈夫です。」

 自分でも顔が赤くなっていくのがわかる。きっと今頃耳まで真っ赤だ。名前を覚えられているなんてと思うと逃げ出したい。手に届きそうで届かないのがいい。

「やっぱり。前に会ったときとは雰囲気違いますね。」

 確かに前は着物。着替えたとは行ってももう暗くてあまり見えていなかったのかもしれない。髪型だって着物に合わせたまとめ髪のままだった。それに比べて今日はまだ明るいし、髪だって下ろしてゆるく巻いてある。

「いや、その。あの。」

「あの、このあと時間あります?」

 急な誘い。これ誰にも見られてないかと不安になって縮こまってしまう。

「時間はあります。」

 なんとか振り絞って出せた答えがそれだけだった。

「よし、じゃあ行こう。付いてきて。」

 よく知らない人について行ってはいけないと言う。でも、一度は顔を見合わせた人だから知らない人の部類ではないと思いそのままついて行った。

 着いた先は焼き肉でそのまま個室へ案内された。

「よかった。個室空いてて。」

 こうやって誰かと焼き肉に来たのは、いやご飯に来たのはいつぶりだろか。思い返せば大学を卒業してから一度もないことに気がついた。でも、目の前に推しがいるのは話が違う。

「何食べたい?いいよ。好きなの頼んで俺の奢り。」

 メニューを開いては見るものの全く頭に入ってこないし、全く食欲は湧かない。

「大丈夫?」

「あ、大丈夫です。」

 そう言って目の前に出されていたお冷やを落ち着かせるためと思って飲んだが気がつけば全部飲んでしまっていた。

「全然大丈夫じゃなさそうね。とりあえずカルビとかでいい?食べる?」

「あ、はい。食べます。」

 なんとか推しが頼んでくれたのであとは待つだけになった。でも、その時間がもう緊張で長く感じる。

「こっちに来てたんですね。あれから大丈夫でしたか?」

 きっと心配してくれているのは1ヶ月前にあった食事会のことだ。

「あのときは本当にすみませんでした。祖母があんなにわかりやすく私を売り込もうとするなんて思ってなくて。アイドルという職業だとその辺センシティブなのに。祖母にはきちんと言い聞かせますので。」

 思った以上に自分の口から饒舌に話が出て来て自分でも驚いた。

「全然。気にしてないから大丈夫だよ。」

「―そうですか。」

 つい上がってしまった思いを落ち着かせようと大きく深呼吸をした。

「こっちには旅行ですか?」

「いえ、こっちに出て来ました。」

 目の前にいる推しは少し驚いた顔をした。

「上京ってことか。大変だったね。今は仕事してるの?」

「いえ、なんとかバイトで食いつないでいます。そう言っても始めたてですけど。」

 どこに目線をやっていいかわからなくておどおど。同じ空間にいるはずなのに推しはスポットライトでも浴びているのかというほど輝かしい。

「慣れた?こっちでの生活。」

「いえ、まだ来て1週間ぐらいなので。」

「そう?頼れる人はいるの?」

 その言葉ではっとした。この前の同窓会ですら連絡はなかった。大学の友達とも何ヶ月も連絡は取っていないし、それに自分がこんな生活を送っているなんて誰にも言えずにいた。

「その、えっと。」

「正直だね。」

 スマホをポッケからすっと取り出してきた。

「連絡先交換しよう。何かあったら連絡取れる人がいた方がいいでしょ?」

 画面には推しの連絡先が表示されていた。確かに連絡を取れる相手がいる方がいいと思う。だって実家からは逃げるように出て来たのだから家族にも合わせる顔がない。でも。でも、やっぱり芸能人、ましてやアイドルが異性と連絡先を交換するなんてあってはいけないことなのかもしれないと思うと登録する気にはなれなかった。それは1人のファンとして、自分の推しがそんなことをしているなんて想像したくなかったのかもしれないし、自分がそれに加担したくないと思ったからかもしれない。

「そんな簡単には交換できないよね。前言ってくれたもんね。ずっとファンで応援してるんだって。」

 まさかその言葉を覚えていてくれるだなんてそれ以上に嬉しいことはなかった。

 机に置かれていたお客様アンケート回答用のボールペンとペーパーナプキンを手に取ってスラスラと何かを書き始めた。

「これ俺の連絡先。何かあったら連絡していいからね。」

 そういって書かれたペーパーナプキンを受け取った。自分の中でこの番号にかけなくて済むことを心の中で祈った。

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