第19話 固定された存在と求められる自分

 もう夕方の時間。少し空も暗くなり始めようとする時間。

 歩いて不思議な気持ちになった。現実なのか夢なのかわからない時間を過ごしたような気がする。


 家に帰るともう既に父が晩酌を楽しんでいた。

「こないだの食事、途中で帰ったんだって?」

 もうその話が父まで来ていた。父とはしばらく話していなかったのでギクシャクする。

「うん。ちょっと体調悪くなって。」

「甘えてるんじゃないか?長女なんだからその辺はしっかりしてくれ。」

 父はお堅い。でも、こんな人はこのあたりでは多いので誰もおかしいとは思わない。


「体調管理も自己管理だ。ちゃんとしてくれ。」

「はい。」

「それで。仕事は見つかったのか?」

「まだ。決まってない。」

 大きくため息を吐きながら父は酒をグラスに注いだ。


「まだ、地元を出たいのか?そんなわがまま言うな。長女なんだからここに残りなさい。ここでも十分だろ。仕事なんて選ばなければいくらでもあるし、どうせ結婚したら辞めるんだからなんでもいいだろ。」

 もう結婚は前提。自分の意思なんてお構いなしだ。


「でも、もう友達もいないし、ここで楽しみはないし。」

「楽しみってあのアイドルのことか?あんな馬鹿げたのまだ好きだったのか?」

 自分の好きを否定されてあまりいい気分にはなれない。

「馬鹿げてるって酷いでしょ?あの人達も人間なんだから。」

「職業をバカになんかしてない。そんなもの好きになってどうする?それ以上にならないだろ。」


 地元に帰ってきての楽しみは推し活をするだけ。地元を離れていたときはもっといろんなものを楽しみにしてはその時間を過ごすためにいろいろと頑張っていた。でも、今はもうそんなもの手元に残っていない。友達とのご飯も、たわいもない会話をする時間も、1人で何も考えずに電車に乗って街のなかを好きな服を着て歩く時間も今はない。


「もうそんなこと辞めろ。」

 唯一残された好きな時間を否定されて私はどうしていいかわからなかった。

「どうせそれがなくたって生きていけるから。」

 リビングには誰もいない。父と私だけがその部屋の空間にいた。

「友達がいないとか仕事がないとか言うけど気にしすぎだ。そんなことない。」


 そう言われて私はプツッと糸が切れてしまった。


「気にしすぎとか言うけど。何も知らないでしょ。」

 もう一度開いてしまった口は止まらなかった。


「散々面接で圧迫されて、地元の企業受けたら『若いからここじゃなくていい』『他にあるでしょ』って言われて。それって遠回しに“お前なんかいらない”“若い人、経験がない人なんて面倒が見れない”って言われてるようなものだからね。バイトでも散々クレーム言われて、舌打ちされて、いつものようにそんなこと言われて私が傷つかないと思う?『結婚しないと』とか『早く子ども産め』とかそんなこと言われて耐えられないよ。」


「それもお前の考えすぎだろ。」


「気にしすぎ?考えすぎ?バカにしないでよ。そんなこと気にするようになったのも大学出てここに戻って来てから。気にしすぎでも考えすぎでもない。それが気になるぐらいの環境ってこと。気になるぐらいそれ以外のことが何もないってこと。わかる?」


 大きくため息を吐いた父は表情を変えることはないが醸し出す雰囲気だけがどんどん厳格になっていく。

「ここは何を言ってもお前の地元だ。ここで生まれて育った。だからいいだろ?ここに住んでいるみんなそうやって上手くやっているんだ。だから、お前も―。」


「上手くやれなかったから地元を出たの。あれだけ長い時間一緒に過ごした同級生山ほどいるけれど、誰1人も連絡先を知らない。会っても名前すら覚えられてない。そのぐらいの人間なの私は。10年以上も一緒にいたのに、それでもこんな関係よ。それだけ長いから周りはもっといろんな深いつながりがあるでしょ?私にはそんな関係がないの。あったけど、もうそんな人は地元(ここ)にはいない。お父さんだってそうでしょ?ここにずっと住んでそれだけ長い付き合いの人いっぱいいるでしょ?仕事もあって仕事でも新しい関係を築くでしょ?私にはそれがないの。離れていくだけ。地元で上手くやれてきたお父さんにはわからない。」


 父はずっとここに住んでいる人。今だって学生時代の友達と会っている。もう30年以上、人によっては40年以上の付き合いがあるだろう。

「みんな付き合いは長いから親しみもある。お前だってそうだろ?」


 嗚呼、やっぱりわかってもらえない。


「親しみのある人なんていない。いなくなった。みんな地元を離れていった。残ったのは私が知らない人だけ。親しみ?親しみなんてないよ。家族の誰かが知り合いで私のことを勝手に知っているだけ。私から知らない人だらけ。」


「そんなことないだろ。何がそんなに不満なんだ。」


「辛い。辛いんだよ。私からすれば知らない人。でも、私の名と存在だけはあっちにもこっちにもあって。だから私の印象だけが広がってる。私がどれだけ変わりたくても変わらせてくれない。だって、私の存在は固定されているから。」


「なにをふざけたこと言って。」


「ふざけてなんかない。なんでわからない?お父さんはいいよ。地元で上手くやってきて、結婚して、子どもいて、こんな家もあって、仕事もある。でも私はどう?地元の友達も同級生も変わらないまま大きくなっただけ。みんな付き合いは長い。その分の親しみも絆も深い。そこにいきなり飛び込めって?そんな簡単な話じゃないでしょ?それに地元の企業は散々たらい回し、バイトではクレーム。お客さんにもお婆ちゃんにも結婚とか子どもとかしか言われない私の何がわかるの?絶対こんなところ出て行く。反対しても絶対出て行くから。」


「大学まで出してやって、親になんてこと言うんだ。県外の大学行かせてやったんだ。もう十分だろ?」


「県外に行っちゃったからだよ。地元離れちゃったから辛い。もともとここが嫌だったから、上手く馴染めなかったから外に行ったの。それが私にとって最適だった。あっちではこんな私でも上手く馴染めたし、1人でも誰も気にしない。広い世界を知ってしまって、またこの狭い世界に閉じ込められて何も楽しくない。私、まだ若いって散々言われるけどそれ以上何も残されてない。ここにいたらただの若い人。ただそれだけ。若さがあっても何もないなら年齢なんて関係ないよ。」


「地元の何がそんなに嫌いなんだ。いいところだろ。ここに家もあって家族もいる。みんな暖かい人じゃないか。」


「どこが?それは上手く馴染めた人の意見。私は違う。そんなこと感じたことない。地元にいても誰も知らない人。仲良かった子はみんな出て行った。残されたのはよくわからない人間関係だけ。でも、結婚だの子どもだの言われてまるで1人じゃダメって言われてるみたい。1人でも大丈夫だって。1人でいてもいいって受け入れてくれるところじゃないともう無理。もう限界なんだよ。」


 もう頭がぐちゃぐちゃだった。自分でも何を言っているかわからない。就活に失敗した悔しさ、理不尽なことを言われてきた悲しさと怒り、理解してもらえないもどかしさ。まだ、大学を卒業して5ヶ月。地元に帰ってきたことで散々言われてきたことと状況がもう限界に達した。


 涙を流しながら部屋に行った。暑い空気も今はどうでもよかった。

 今まで貯めてきたバイト代、大学生時代のお金も全部かき集めた。全額をかき集めて、次の日からは段ボールをかき集めて、荷物を全て詰め込んだ。バイトも辞めた。

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