第17話 狭くて広い世界

 面接が終わってすぐにスーツを脱ぎ捨てた。

「また、言われちゃった。」

 大学を卒業して戻ってきた地元。ここでももう既に何社か受けた。でも、必ずと言っていいほど言われるのは「若いからうちじゃなくていい」という一言。遠回しに「うちでは新人の教育なんてできない」と言われているような気がしてくる。

「もうどこに行ったらいいんだろう。」

 ふと思い出すのは数日前に行った東京の風景。私にはとっても自由な世界に見えた。

「ここを抜け出さないと一生私はこのままだ。」

 気にしすぎの一言。若いからバリバリ働いて結婚する。それだけの世界。それが嫌だった。

 通帳を開いて残高を確認する。1円も使っていないバイト代。ライブの費用を差し引いて残るのは約5万円。さすがにこの額で家を飛び出しても頼れる人もいなければ、稼ぐ手段もない。


 もう何も考えるのを辞めてひたすらスマホで推しだけを見続けた。どんなに辛いときも、苦しいときも、へこたれたときも推しは変わらない。推しは偉大だと思う。自然に離れていくこともない。一方的に応援しているだけだけど、それ以上のものをくれる気がする。

 ライブに向けて抜かりなく準備をするためにもこの時間は手放せない。


「お姉ちゃん。その音下げてよね。」

 いきなり入ってきた妹にそう怒られてしまう。夢中になりすぎて音量を上げすぎていたみたいだ。もう一番最小の音量にして心の奥に盛り上がった心をぐっと潜めて推し活を楽しんだ。


 画面のなかでは推したちがわいわいと楽しんでいる。その姿は子犬がじゃれ合っているのを見ているかのような気分になった。そのくらいほんわかしていて、楽しそうでそれでいて平和だった。


 推しが尊いってまさにこういうことだと思う。実際は年上の推し達だけれどかわいいという感情を抱いてしまう。


 メンバーのなかでは小柄でキャラ的にもかわいいという感じだ。もちろん他のメンバーもかっこよくて、かわいくて好き。


「かわいい。尊い。」


 語彙力はなくなる。だいたい「かわいい」「かっこいい」「無理」「やばい」の4つで成り立っている。


 DREAMERSのSNSが更新されたのか画面の上の方に通知がやって来た。タップして確認すると森田涼真のソロ写真と「まもなく放送です!お楽しみに」というメッセージが更新されていて、その写真をフォルダに保存して観賞用にする。


 嫌なことはあったけれどそれでも推しを見ていれば心はすっと浄化されていくような気がした。どんなことでもいい。こうやって忘れられる時間ができればそれだけで心は軽くなる。私には今、この時間しか忘れられるときがない。


 リビングに行くと母が仕事が終わって帰宅していた。目が合って出て来たのはやっぱり就活の話だった。


「面接どうだった?」

「ダメかもしれない。」

「そう。これ食べる?パイナップル買ってきた。」


 母はいつもこんな感じでさらっと受け流す。


「こんなところにいなくたっていいんだからね。お父さんはここにいろって言うかもしれないけど、若いうちは他のところに住むのがいいと思う。ここが悪いわけじゃないけど、でもここにいても何もないでしょ?知り合いしかいないし、他のところのほうがいろんなことが広がるでしょ?いいの。縛られなくても。」

 

 母のその優しさが嬉しくて泣きそうになる。


「よし。桜田くん見ようっと。」


 母もスマホを持って、ソファに寝転がって見始めた。最近、デビューしたばかりのアイドルにぞっこんで自分のオタクの血筋はここから来たんだなとつくづく感じる。

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