第5話 視線で追うだけの日々

 自分でも、井沢さんが気になって仕方がないことは、気付いていた。

 今心の中にある想いは、多分、「恋」なのだろうということも解っていた。


 だけど、それまでの私は、同級生の男子や学校の先輩、若い先生に対して、ミーハー的に、友達と騒いだことしか無かった。

 それらは単に、 “憧れ” だっただけかもしれないけど。


 一瞬で恋に落ちてしまったとしても、私と井沢さんには接点が無かった。


 会話をするようなきっかけなんて、何一つない。

 学校で、クラスメイトに話しかけるのとは違う。

 気軽に声を掛けることなど、出来るはずもなくて、チラチラと横目で窺うだけの、もどかしい毎日を過ごした。


 彼のフルネームを知らない。

 年齢も知らない。

 彼女の有無さえも……。


 彼が私の背後を通り過ぎるたび、纏っていたコロンの香りと、タバコの匂いがふわりと漂う。


 細身でスラリとしたスーツ姿が素敵で、大人の男性だと思った。

 きっと、私には足元にさえ及ばない。


 井沢さんと笑顔で話している、彼の周りの女性が羨ましかった。

 対等に話せる彼女たちが、羨ましかった。


 高校を卒業したばかりの子供が、大人の世界にたった一歩だけ、いや、半歩かもしれない。社会に足を踏み入れたばかりで、 “対等に” なんて、おかしな話だ。


 仕事を覚える前に、 “恋” を覚えてしまった私。

 だらしない、というか、みっともないというか。

 恥ずかしいことのようにも思う。


 でも。

 何をどう考えても、考えようとしても、頭の中は井沢さんでイッパイ。


(どうしたら、あんな風に、気軽に話せるんだろう)


 そんなことで唇を噛む私は、子供だ――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る