シリウス、あるいは

斉宮 一季 / 高月院 四葩

2009年①

 目の前で波打つ翡翠色のサイリウム。地の揺れるほどの歓声。忙しなく切り替わるステージのライト。

『君の好きなこと 一緒にたくさんしようね』

 燦々と輝くスポットライトのもとで私はアリーナにウインクを投げかけている。一人のアイドルがマイク片手に歌い踊る様に会場は釘付けの様子だった。ポップな音楽が会場中を一体にしていく。額に滲む汗がキラキラと光って、眩しい。

 その様子が芸能事務所・アーツプロの社長室の一角にあるテレビで垂れ流されている。それを尻目に社長と私は相対していた。

 私は名のあるアイドルだ。いや、『だった』の方が良いかもしれない。もうじき『アイドル』という肩書きは失われ、私は一般人に戻るのだから。

 アイドルを始めたのは十二年前のこと。アーツプロのマネージャーだった父が私を社長に推薦したのが始まりだった。それなりの容姿で、それなりの歌唱力だった私が社長の秘蔵っ子になるのにはそう時間は掛からなかった。

 何も分かっていなかった私は当初、父の言う通りにしていれば良いんだと思っていた。育ててくれた親なんだから、間違ったことを言うはずはない、と。

 病弱で入退院を繰り返していた母の代わりに男手一つで私を育てた彼はアイドルになった私に厳しかった。口を開けばアイドルとしてもっと有名になれ、精進しろ。私を聖人君子に育て上げ、誰にも負けないアイドルにさせたかったかったらしい。それは当時幼かった私には少し不満のある部分であった。まるで力に目の眩んだ大人のように私を見ていないようで寂しかった。見えているのは私の地位のみ。薄々そんな気がしていた。それでも、父の期待に応えたかった私は手元にやってくる仕事に一生懸命取り組んだ。

 母は私がアイドルになることには反対だった。彼女は私に普通の女の子として過ごしてほしかったらしい。でも、父がそれを許さなかった。

 あれよあれよと流されるままアイドル活動をし始め、トップアイドルという枠に仲間入りした頃、母が死んだ。四年前のことだった。死因は末期癌。最初は胸にあった癌が身体中に転移したのだという。手をつけられない状態だったようだ。

 彼女の葬式が終わった時、父の口から思わぬ言葉が溢れた。「もうアイドルはやめてもいい」。彼は確かにそう言った。真意が見えないその言葉の意図を私は問うた。

 その答えは単純だった。

 どうやら、私は母の治療費を稼ぐための道具に過ぎなかったらしい。私をアイドルに仕立て上げたのも、それが理由。その母が亡くなったから私は用済み。あとは好きにしろということだった。

 一気に幻滅した。私をただのツールとしてしか見ていない父にどう言い返せば良いのか、全く分からなかった。私の頑張りは私のためのものではなく、母のためのもの。母はそれを分かっていたから反対していたのだと気付いてから、私の気持ちはぐちゃぐちゃになった。

 今まで積み上げてきたものは何だったのか。手元に残った無機質な地位と名誉をどうすれば良いのか。混乱していた私は父に「最低」とだけ吐き捨てて斎場から出ていった。

 次の日、父が死んだ。斎場のトイレで首を吊っていたらしい。遺書も残されていたようで、そこには「妻が亡くなって自分も生きる意味を失った」とだけ書かれていた。

 心底軽蔑した。娘である私のことは本当に何も見ていなかったのだ。全ては母のため。生き甲斐を失ったから自分も死ぬ。こんな残酷なことがあって堪るか。

 彼らの死から四年、仕事の都合でアイドルを続けていたが、常にこのまま続けていて良いのか自問自答しながらやってきた。本当にやりたいことをやるべきなのではないか。そう思いながら。

 グレーのパンツスーツの女社長は応接セットに座り私を心配そうに見つめる。

真崎まさきさん、本当に引退するの?」

 私は頷いた。

 芸能界引退宣言は一年前に行っており、その期限は今日だった。

「今からでも撤回できるのよ? タレントとしてやっていくことだって――」

「いいえ、辞めます」

 社長はこれまでに幾度となく私を引き止めようとしていた。引退するにはまだ早い、もう少しだけでも芸能活動しないか。そんな声かけをくどいくらい聞いたが、私の意思は堅かった。

「お話通り、明日からは事務所で事務仕事に打ち込みます。それで良いんです」

 彼女の好意で引退後は事務所で仕事をさせてもらえることになっているが、やはり社長は私に引退してほしくないようだった。社長は眉を寄せる。

「真崎さんはこれから画家になろうとしているのよね?」

「えぇ」

 ある時、雑誌の取材で「アイドルを辞めたらやりたいこと」というテーマでインタビューを受けた。この時私は初めて真剣に自分と向き合った。

 私が本当にやりたいことは何か。迷うでもない、答えは一つだった。

 それは絵を描くこと。画家として展覧会に作品を出したり、個展を開いたりしたかった。

 幼い頃から絵描きだった母の影響で、私は絵を描くことが大好きだった。自分の世界に入り込んで一人で遊ぶのが楽しくて、放っておいたらいつも絵を描いていたほどだ。

 いつかこれを生業にすることができたら、といつも思っていた。惰性でアイドルを続けるくらいなら、いっそそちらへ舵を切るのもアリなのではないか。私を引き留めるものはもう何もない。

 社長は言う。

「この前も言ったけれど、画家を目指しながら芸能人として生きていくこともできるのよ?」

 彼女が示しているのは『海神わだつみ展』という展覧会の会員になることだった。海神展に作品を出展すれば芸能人特権ですぐにでも会員になる――即ち正式に画家になれることを社長は知っている。だが、私は忖度されて画家になりたいわけではない。一から自分の実力で勝負してみたいのだ。それで勝ち取る『画家』という職に憧れているのである。

 第一、私が出展する展覧会は海神展ではない他の展覧会だ。日本最高峰の展覧会『秋麗会』。名だたる画家たちが所属する展覧会で、母もその会員の一人であった。団体展に出品しなくても画家としては生きていける世の中で、詰まるところ、私は母のような立場に憧れているのかもしれない。秋麗会の会員になることが画家になる第一歩だと思っている自分がいる。それは間違いである可能性が高いが、一度囚われてしまった固定観念から逃げるのは容易ではないのだ。

 私は背筋を伸ばして答える。

「何度もお答えしたように、私はそちらの道には行きません。芸能活動には一区切りつけます」

 私は続ける。

「元来、自分の意思でアイドルになったわけではありませんから。両親が亡くなった今、アイドルを続けなければならない理由もありませんし」

 義理がないと言っては何だが、アイドルであることは私にはもう必要のないことだ。今まで築き上げてきた実績は何物にも変え難いが、今の私の前では何の意味もなさない。こんなもの、手元に残しておいたって仕方がない。

 何を言っても靡かない私に社長は遂に折れたようだった。困ったように笑って、彼女は言った。

「それだけ強い意志があれば、どんな困難があっても乗り越えて行けそうね。何を隠そう、真崎閃李せんりはトップアイドルだったんだもの。絵の世界でもきっと大丈夫よね」

「そう言っていただけるとありがたいです」

 美術の世界は厳しいということを母の背中から学んできた。私がそこで通用するかどうかはやってみなければ分からない。社長の言葉は嬉しいが、そう上手くいかないことも予想はしている。それでも、私は絵の世界で生きていきたい。

 社長は立ち上がると、私に笑いかけた。

「閃李さん、応援しているわよ」

 同じように立ち上がって、私は頭を下げた。

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シリウス、あるいは 斉宮 一季 / 高月院 四葩 @itk_saimy

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