第3話:外出

 ケルベロスさんといると死が遠のく。私にも生きる道があるかもしれない。

 そんな望みを消してしまいたかった。

 心残りも、可能性も、希望もなく、死んでいきたい。


 学校以外で外出するなんて、いつ振りだろう。

 期待もされていない。だけど、自由もない。休みの日は家族の奴隷。

 今日だって黙って家を出た。用意されていない朝ごはんに怒り狂った家族の姿が目に浮かぶ。怖い反面、なんだか笑える。

「待たせたな」

 現れた長身の女性がケルベロスさんだと気付くのに時間がかかってしまった。いつもと違う雰囲気に私は見惚れる。

「とても素敵です、ケルベロスさん」

「今は職務外だ。つまり、ケルベロスではない」

 彼女は私の目をまっすぐ見つめる。

「私の名はポルトだ」

 思わず笑顔が浮かんだ。悔しい。こんな小さなことで心より笑えてしまう。

 それでも、あなたの名前を知れて、私は嬉しい。


 ポルトさんがこの地を去ることになった。

 一昨日、それだけを告げられた。別れの日も行き先も教えてくれなかった。

 それでも、私の背を押すには十分だった。

「あなたの一日を私にください」

 ポルトさんは目を丸くしたけれど、案外すんなりオッケーをくれた。


「すまない。人間の世界は初めてなんだ」

 電車の切符も買えないポルトさんがなんだか可愛らしい。いつも凛と背筋を伸ばし門を守る姿からは想像できない。

 私は切符を買ってあげた。ポルトさんは眉を下げて私に謝った。首を横に振って、私は笑顔を見せた。

 電車で五駅行けば、街に出る。

 優しい祖父母が家族に隠して私にくれるおこずかい。そのお金で、私はポルトさんと服を選び、小物を買い、ゲームセンターで遊んだ。

「ポルトさん、もっと近くに」

 首を傾げたポルトさんだったけど、画面を見るとすぐ分かってくれた。私に引っ付いて、きりっと決め顔を見せる。初めて自撮りをした。

 ポルトさんと映った私は鏡では見ることのない表情をしていた。

 午後三時。遊び疲れた私たちはカフェに入る。

 注文の後は楽しくお喋り。いつもより口数は多いけれど、話す内容は変わらない。

 好きなお菓子の話、蝉が道に落ちていてびっくりした話。

 お互いのことは語らないし、尋ねない。

 学校や家での話なんて、ポルトさんとはしたくない。だけど一方で、ポルトさんのことを知りたい私もいた。そんな欲には蓋をする。知ったとしても意味はないのだから。

 しばらくしてやってきたのは季節限定のマンゴーパフェとメロンパフェ。

「すごいな」

「すごいですね」

 私たちは早速スプーンを手に取った。

 ポルトさんはさっきからずっとおいしいと繰り返している。冥界にはメロンがないらしい。どうやらマンゴーもそうみたいで。

「こっちも食べてみたいですか?」

「いや、そんなことは」

 首を横に振っているけど、目線はしっかりパフェの方を向いている。

 私マンゴーにクリーム、おいしいところを全部すくって、ポルトさんにスプーンを差し出す。

 彼女はいつも通り、恥ずかしがることなくそれを口にする。

「こちらもいいな」

「そうでしょう?」

 ポルトさんが笑顔で深く頷く。ふと、彼女の動きが止まった。

「どうしました?」

「視線を感じる」

 私はくすくす笑う。

「仲のいい恋人にでも思われたんですかね」

 茶化したその言葉にポルトさんは首をかしげた。

「恋人はないだろう」

「へ?」

「君は女性だ。私も人間でいうところの女性だ」

「はい」

「我々では子を成せない。結ばれることはない」

 私は言った。

「子は成せなくても、恋は生まれるし、愛は紡げます」

 自然と出た言葉に驚いた。そして、気付く。

 彼女が目を見開く。

「人間の世界ではそんな考え方があるのか」

 しばらく考え込んでいたポルトさんだけど、パフェが溶けかけているのを見ると、慌ててスプーンを動かしはじめた。

 私はその顔を見つめる。

「どうした?」

「いいえ」

 私は今どんな顔をしているのだろう。

 あなたへの恋に気づいたこの私は。


 カフェを出た後、私たちは行く当てもなく歩く。

 死にたい私が恋なんて。なんて馬鹿げた話だろう。

 足が止まった。ポルトさんが振り返る。

 風になびいた金の髪、私を映す青い瞳、薄い唇に浮かんだ優しい微笑み。

 胸が痛い。

 これが、恋なのか。


 冥界の門で私たちは互いに手を振った。

 駅で別れるのが寂しくて、ここまで付いてきてしまった私をポルトさんは許した。

 笑って大きく手を振って、私は彼女に背を向ける。

 速足になり、そのうち、走り出す。もう一度、駅に向かうのだ。

 電車に飛び込むために。

 それはずっと望んできたことのはずなのに、今日こそうまく行くはずなのに、私の目から涙が溢れた。

 泣いて、転んで、膝から血が出て。人々の容赦ない目線を感じながら駅に着く。

 電光掲示板には「通過」の文字が光る。

 ちょうどよかった。この電車に飛び込もう。

 私を死から遠ざけるポルトさんは、もういなくなる。私に生きる道なんてない。

 これでいいんだ。

 死への期待に胸が跳ねる。私は解放される。

 なのに、足が動かなかった。あと一歩が踏み出せなかった。

 呆然とする私の前を電車が通り過ぎる。風が強く吹いた。

 私は死にたいのに。

 次にやってくる電車の行き先には聞き覚えがあった。

 私は迷う。

 死にたい。それが本心なのに。

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