第6話 ユースティティア

 ヒカルが目を覚ますと、心地よい風が肌を撫でる感触や広大な草原の香りは消え去り、昨日寝た小汚い木造の小屋の中だった。

 隣でジンとクリップの寝息が聞こえ、二人がまだ眠りについていることが分かった。


 小屋の木板の隙間からは、黄金色に輝く月明かりが薄らと差し込み、闇をほのかに照らしていた。まだ夜明けまでは時間がありそうだ。

 まぶたを閉じて、ヒカルは先程、脳裏に焼きついた夢の断片を集めようと集中した。

 

 たしか、女神の名前はアストライアだった。神々しく、魅力に満ち、スタイル抜群の美女。もちろん地球上では会ったことはない。


 彼女はヒカルの事を「光一ちゃん」と呼んだ。彼女がその名前を知っているということは、彼女はヒカルが前世で光一だったことを知っている、ということだ。

 ただし、それが夢が現実だという確証にはならない。なぜなら、それはただ単にヒカルが女神の存在を創り上げただけかもしれないからだ。

 

 女神は他に光一が死亡し、ヒカルの体に転生した事。

 本当は領主一族に転生させるつもりだったが、光一の死後、光一を見つけるのが遅くなり、見つけた時には既にヒカルに転生していた事。

 そのお詫びとして転生特典をアップグレードして授ける事。

 光一が希望したAIを魂にインストールしてくれる事。

 そのインストールには少し時間がかかる事を教えてくれた。

 

 実際のところ、あの夢は現実だったのだろうか?

 ヒカルにはそれを判断するだけの材料は何もなかった。


 それでも、夢にしては明瞭すぎる女神の存在感。

 その、魂に刻まれたかのような美しさが、心の奥底に深く刻まれており、それが現実だったのではないかという希望を募らせていた。

 彼女の性格は女神としてはちょっとユニークだったが、嫌な感じはしなかった。


 アストライアはAIの提供に少しだけ時間がかかるとは言ったが、具体的な時間までは明言しなかった。今はその微かな希望を頼りに生き抜こう。


 それより今はもう少し眠ろう。心身共に疲れ果てている。一昨日の夜まではサラリーマンだったはずなのに昨日の朝気づいた時には奴隷の孤児だった、などと言う狐に化かされた様な非現実的な現状を受け入れるには時間が足りていなかった。

 


 ――――――


 暗闇の中、周囲に視線を移すと、ジンとクリップが力尽きたかのように無防備に寝息を立てていた。ヒカルがこの荒涼とした小屋での奴隷生活を始めてから、今日でちょうど10日目の夜を迎えていた。


 ジンやクリップ達と共に一日中働かされ、肉体的にも精神的にも限界近くまで追い詰められていた。7歳の子供にはキツ過ぎる労働に粗末な食事、風呂はなく、トイレもない。寝床は乾燥した草を敷き詰めた藁布団。


 現代日本の生活様式しか知らない光一には、ヒカルが今まで生きてこれた事に驚かされるばかりだった。


 アストライアは、転生して初めての夜以外、ヒカルの夢の中には現れてはくれなかった。 2日目、3日目、4日目と次第に期待の気持ちは萎んで行き、10日目となる今日は既にあれは夢だったと諦め、奴隷として生きていかなれければ行けないと思い始めていた。

 

 しかし、今日の夢はいつもと何かが変わっていた。ヒカルは何も無い空間にいてただ空を見ていた。

 そこで自分の心の深い部分に何か熱い力が、ゆっくりと、でも確実に流れ込んでくるのを感じていた。光一として生きていた頃まで遡ってみても、これほど暖かなものに包まれ、心に安らぎを感じるような事はなかった。もしも叶うなら永遠にこの暖かさを感じていたいと願うようなそんな心地よさだった。



 翌朝、ヒカルは目を覚ますと、昨夜の余韻を感じる間もなく頭の中で突然何かが話しかけてきた。


 『おはようございます、ヒカル。私はユースティティアです』



 ヒカルは驚きのあまり身を起こし叫んだ。


 「えっ!!! 誰? どこにいるの?」


 『私はユースティティア。ヒカルの魂にインストールされたAIです』


 ユースティティアと名乗ったAIは機械的で、どこか聞き覚えのある女性の声をしていた。


 「!!! あれは夢じゃなかったの?」


 『ヒカルの言うあれが何を指しているのか推測します……はい。女神アストライアとの邂逅は夢ではありません。あれは女神アストライアがヒカルの夢に干渉した現実と夢の間にある世界です』


 突如として響いた声には驚いたが、それがアストライアが果たしてくれた約束の証だと思うと、ヒカルの心は温かな喜びで満たされていた。


「ありがとう!!! えっっとユースティティアだよね? どこからはなしているの?」


「んーー……うるさいぞ……ヒカル……」


 やばい! 大きい声を出し過ぎた。ジンが起きそうだ。

 

 『特定の場所から話している訳ではありません。ヒカルの耳ではなく脳に直接言葉を送っています。ヒカルも発声しなくても心の中で思うだけで会話可能です』

 

 (……こんな感じかな?)


 『はい。それで会話可能です』


  (……す、すごい!!! ……でもそれって僕の考えが全てわかるって事? それはそれで恥ずかしいような……)


 『はい、ヒカルの考えは全て理解出来ています。しかし、私はヒカルの魂にインストールされたAIです。ヒカルの魂とは同化しており、ヒカル本人と考えて頂いても問題ありません』

 

 (そっ……そっか! ちょっと変な感じだけど……ユースティティア! これからよろしくね!)


 『はい、よろしくお願いします、ヒカル』


 ヒカルはユースティティアとの会話で、昨日までの絶望感が払拭され、希望が胸に中で溢れている事を感じていた。

 


 

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