第2話 労働

 ジンが開けた小屋のドアの向こうには、透き通った青空が広がっていた。深々と青を湛えた空からは、強烈な太陽光が注がれ、その眩しさにヒカルは思わず目を細めた。

 薄汚れた手をかざして日差しを遮り、足元の土を感じながら、ヒカルは外に出た。


 「うわ、目がチカチカするよ……」

 ヒカルの声は、まだ見慣れない環境への戸惑いとともに震えていた。


 「いつもの事だろ? 早く思い出せよ!」

 クリップがヒカルに背中を叩きながら言った。


 ヒカルが周囲を見渡すと、視界には土の香りが強く立ち込める広大な畑が広がっていた。その畑の向こうには家畜の小屋があり、さらに先には高い石の壁が見えた。ぐるりと見渡すと、どうやら周囲を高い石の塀で覆われているらしい。


 しかし、目の前に広がる新たな生活の場に、ヒカルは何をすればいいのかがわからない。


 「よし、ヒカル。まずはあそこにトマトの苗を植えるぞ」

 ジンはヒカルに方向を示しながら言った。


 ヒカルはジンの指示通りに小さなトマトの苗を手に取ると、土を掻き分け、小さな穴を掘った。その慣れた手つきからは長年の経験が見て取れた。


 「いつも通り出来るじゃないか」

 とクリップは少しホッとしたように呟いた。


 しかし、ヒカルの体は次第に汗に濡れ、背中のシャツには濡れた部分が広がっていった。これまで経験したことのない過酷な仕事に、ヒカルの心は焦燥感でいっぱいだった。


 そう言えば朝見た男は何処だろう。監視役のような感じがしたが、どこにも見当たらない。


 「ねえ、朝の男はここには居ないの?」


 「ドメフの事か? あいつは朝と夜に俺達が全員部屋にいる事を確認する事と夕方に作業がしっかりされているかの確認しかしない。作業さえしていれば基本無害だよ……していればな」


 ヒカルの問いにクリップが答えると畑の仕事がようやく終わった。


 畑の仕事が終わると、次は家畜の世話だった。だが、ヒカルは既に疲れ果てていた。


「体が重い……」

(体の小ささは朝から気になっていたけど、一体今の俺は何歳なんだ?)



 ジンが軽くヒカルの肩を突くと、ヒカルは思わず体が前に傾くほどだった。

「何してんだよ。仕事が終わらなかったらドヤされるだろ! ほら、行くぞ!」


 彼の顔には遊び心が溢れ、同時に少しの怒りも見えた。ヒカルは一瞬、驚いた顔を見せた後、すぐに彼について行くことを決め、彼らは一緒に家畜の小屋に向かった。


「よし、ヒカル。これはニワトリだ。毎日卵を取って、掃除とエサをやるんだ」

 ジンがヒカルに教えながら言った。


「えっ……ニワトリってこれ……デカ過ぎない?」

 ヒカルが驚きの声を上げた。


 ジンがニワトリと呼んだものは、ヒカルが頭を真上に上げてようやく全体を捉えることが出来るほどの大きさだった。ヒカル自身の身長は分からないが、ジンやクリップの身長を見るにニワトリの全長2mは下らないだろう。

 小学校でニワトリを飼育はした事があるので、多少見慣れているが、確かに特徴は同じだ。しかし、今見ているそれはとても同じ生物とは思えなかった。


 「はぁ〜俺も最初見た時はビビったけど、今更だろ? やっぱ今日のお前はどうかしてるな」

 ジンの言葉に、ヒカルは無力感を感じながら肩をすくめた。


 「それよりも早く卵取るから手伝えよな! 一人だと落として割るかもしれないから二人で慎重に持つぞ!」

 と、ジンが強く命じると、ヒカルは再び目の前の巨大なニワトリとその近くにある巨大な卵に目を向けた。


 「確かダチョウの卵ってデカいんだよな……でもここまでは……」


 ジンとヒカルは二人がかりで卵を持ち上げようと力を入れた。


 「重っ!!」

 

 ヒカルの声がニワトリの小屋を響き渡った。卵のあまりの重さに驚いたのだ。


 「おいっ! もっと力入れろよ! 落とすだろ!」

 ジンの大声がヒカルの頭に響いた。ヒカルは瞬間的に力を入れ直し、卵をしっかりとつかんだ。


彼らが持つ卵は、通常のニワトリの卵の数十倍の大きさで、30〜50cmくらいはありそうだ。その光沢は今まで見たことのないほどの美しさだった。

 

 その巨大で美しい卵をジンと二人で運び、藁の敷き詰められた木箱に慎重に入れた。


 

 「あと19個だ! 早く次に移るぞ!」

 ジンの声は疲労よりも前向きな意気込みに満ちていた。


 その後もジンと二人で巨大な卵を木箱に慎重に入れ続けた。よく見ると各々の卵は、微妙に異なる色合いと模様を持っていた。


 「ヒカル、だんだん慣れてきたな」

 床の掃除をしていたクリップが笑いながら言った。


 その時、ヒカルは少しだけ感じた。ここでの生活は厳しいようだが、ジンとクリップと一緒にいると、不思議と嫌な気分はなく、安心出来た。


 仕事が終わったあと、三人は疲れ果てながらも小屋に戻った。木々の間から漏れる夕日が彼らの足跡を長く引き伸ばし、小屋の扉を開くと、ヒカルは倒れ込むように床に座った。


 「今日は大変だったけど、なんとかやっていけそうだよ」

 ヒカルは微笑みながら言った。その微笑みは、今日の努力と経験から生まれた確かな自信を映していた。


 ジンとクリップも笑顔でうなずいた。その笑顔は、共有した経験と困難を乗り越えた喜びの証だった。


 「でもさ、なんで僕たちはここで働かないといけないの?」

 ヒカルが尋ねると、ジンとクリップは少し真剣な顔になった。


 「俺たちは生まれた時からここにいるんだ。親も知らないし、外の世界も知らない。ただ働かされるだけ」

 クリップの声は苦笑いに混じる悲しさを含んでいた。


 「最初はそれが当たり前の事だと思っていたんだけど、たまにドメフの奴が笑いながら言うんだよ」


 『奴隷のお前らは哀れだな。普通のガキはこんな事しなくて済むのにな』


 クリップがドメフの声と口調を真似た言葉にヒカルは続けた。


 「それで奴隷だって知ったのか……でもさ、これからもずっとこんな生活なのかな?」

 ヒカルの顔は曇り、その表情は静かな不安を浮かべていた。


 「そうじゃないよ」

 そう言うクリップの目は輝いていた。

 

 「もう少し大きくなると他の場所に連れて行かれるんだ。その後のことは知らないけど。それに俺たちは今は小さいけど、強くなって、その前にここから抜け出すって言う手もある!」


 その言葉に、ヒカルの心に少しの希望の火が灯った。


「ここからすぐに逃げ出すことはできないの?」


 ヒカルの問いかけにクリップが首を横に振った。


 「畑と小屋の周りは大きな壁でグルッと覆われていて、逃げ出すことどころか、壁の向こうがどうなっているのもわからないんだ……でも、壁の向こうから音が聞こえる時があるから、近くに人が住んでいるのかもしれない」

 

 クリップの言葉にヒカルは、どうやら腹を括るしか無さそうだと思った。

 大きな壁を現時点で越えるのは難しいだろうし、仮に壁をどうにか出来ても、近くに人が住んでいては直ぐに捕まってしまうかもしれないからだ。


 ――――――

 

 夕食の時間になり、三人は食事を貰いに行った。


 「今日はカエルスープだ!」

 ジンが大きな声で宣言し、ヒカルとクリップは互いに視線を交わし、クスッと笑った。


 彼らは食事をとりながら、これからの日々について話し合った。その輪郭がぼんやりとした未来について、それぞれの希望や恐怖を語り合った。しかし、その中には強く、不屈の決意があった。そして、彼らはいつかこの場所を抜け出して、自由になる日を夢見ることにした。


 ヒカルが、ふと思っていた疑問を尋ねた。


 「そう言えば聞き忘れていたけど、僕たちは何歳なの?」

 ヒカルの問いにクリップが応えた。

 

 「ヒカルは7歳で俺とジンは10歳だ」


 「7歳……」


 ヒカルは自分の頬を引き締め、心の中で決心した。転生したこの日がヒカルとしての新しい人生の始まりだと。奴隷としての生活は過酷だが、ジンとクリップという友達と共に、ヒカルは強く生きていく決意を固ようとした。


 夜が降りて、暗闇の中で星々がひときわ輝きを増すと、小屋で寝る前に、三人は窓の外に輝く星を見ながら約束した。


「いつか、この星の下で自由に暮らすんだ。」

 ジンが星を指差しながら言った。その声は希望に満ちていた。


「うん、絶対だ!」

 ヒカルとクリップが力強く答え、それぞれが思い思いの願いを星に込めた後、藁の布団に横になり、身を小さくして眠りについた。

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