猫うんちマン

 ダイエット目的ではじめたランニング。あ

んなに嫌いだった運動だけど、最近は走るのも悪くないって思う。

 中学や高校の体育の授業はとにかくダルくて仕方なくて、よく仮病けびょう使って保健室行ってサボってたな。

 体育教師って、目立つ悪いやつらが好きだよね。私みたいな目立たない悪いやつや、大半の目立たないけど悪くもないやつらのことは、見えないらしい。

 いやもしかしたら、運動が嫌いな人間なんてこの世には存在しなくて、全人類が活発でスポーツ好きなんだと思ってるのかも。だから陰気いんきなスポーツ嫌いの存在は、まるで幽霊か何かくらいの認識なのかもしれない。

 私は絶対に、またあの制服に袖を通したいなんて思わない。そんなこと考えるようになったら、私の人生いよいよ終わりでしょ。

――なんてこと考えるのは、五十メートル先のベンチに、制服姿が見えたから。

 主に夜を中心に活動する私の生活圏内では、制服は珍しいもの。制服イベントとかのコスプレを除いて。

 紺色のブレザーの中で泳ぐほそっこい体。折り目のキッチリしたグレーのスラックスの下に覗くボロボロのスニーカー。

 見覚えがある。

 竹田さんと喋ってた少年だ。

 私は少年の座るベンチの前を走って通り過ぎる。

――通り過ぎただけなのに、なぜか心がもやもやする。一歩前に進むたび、少年から遠ざかるほど、心がざわつく。

 やだもう。ホントやだ。

 速度を落として回れ右し、ベンチの方に引き返す。

 ベンチにちょこんと座る少年を、少し離れたところから覗き込む。でも、なんて声かけたら良いんだろう。

 わからなくてそのままつっ立っていたら、少年が「なんですか?」と上目遣いに睨んできた。

 わかんないから、とりあえず睨み返す。

 なんの時間これ。

「っ……こ……こんばんは」

「え……こんばんは」

 素直に挨拶を返してくれた。ひとまず安心。

「ぼく、いくつかな?」

「中学生ですよ。制服、着てるじゃないですか」

「い……中学生なんだね!」

 いくつかって聞いてんだろ。と返したくなるのをこらえる。我ながらちゃんとした大人みたいな声の掛け方だ。

「ぼく、もう九時だよ? お家に帰らなきゃいけないんじゃないかな?」

「まだ九時じゃないですか。埼玉県の条例ではまだ問題ない時間だと思うんですけど」

 え? いや待って。想定外なんですけど。こういうときってうぜえとか黙れとか言って返すんじゃないの? 条例って何ですか?

「でもほら、お家のひとが心配しちゃうよ? 帰ってお風呂入んなきゃ」

 少年はむすっとして「心配なんかされないもん。まだ家に誰もいないし」と小さくこぼした。

 わかってて聞いたもののなんだか気まずい。

 いやそんなしょんぼりした顔されたら誰だって申し訳なく思うって。

 その後の言葉が見つからなくて、とりあえず少年の隣に座った。

「何なんですか」

 私もわかんないよ。

 どうしたらいいのか、何をしてあげられるのか。

 そもそもなんで話しかけちゃったんだろう。

 隣で座る少年のスラックスは生地が余りまくっていて、風が吹くとはためく。

 ほっそ。中学生の体って、こんなもんだっけ?

「ぼく、ちゃんとお肉食べてる?」

「食べて……ますけど……」

「足りないよ。もっと食べないと。肉食べな肉」

「肉ですか? 野菜は?」

「野菜も。でもほどほどでいいの。それより大事なのはタンパク質だから」

「……ふーん」

 少年はそう言ったきり、無言。特に逃げる様子もなく、細い脚をぶらぶらさせている。

 竹田さんならこんなとき、どんな話をするんだろう。

 学校の話も家の話も、昔の私だったら逃げ出してしまう最悪の話題。どっちも嫌だからここにいるんだと思うと、話題がない。

――あ、話題、ある。しかも家に帰らせられるかもしれない。

「ねえ僕、お姉さんお昼にもこの辺歩いてたんだけどさ」

「暇人だ」

「うっさいな。それよりさ、君が座ってるそこ、お昼に猫がうんちしてたよ」

「うぇっ? 嘘!」

 少年は勢いよく立ち上がり、お尻を見ようと首を回す。見えないよ。見えたって何もついてないし。だって嘘だもん。

「ほんとほんと。一応お掃除の人がきれいに掃除してくれてたから制服は汚れてないけど、きみ今猫ちゃんのおトイレに座ってるってことになるね。猫うんちマンだ」

 自分で言ってて死にたくなるくらいアホみたい。

「う、うるさい! 変なあだ名つけるな!」

「猫うんちマン、早くお家帰って、お尻ファブリーズしなきゃ。猫のうんちは臭いんだぞ。制服は汚れてないけど、きみはファブリーズをお尻にかけないと猫うんちマンのままだ」

 なにこれ。自分で言ってて意味がわからない。やけくそにも程がある。

 でも私の渾身こんしんの猫うんちマンに、少年は青ざめお尻をしきりに気にしながら小走りで去って行った。

 中学生って、こんなもんだっけ……。

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