ナンパは迷惑行為です絶対にやめましょう

 今日はなんか、そういう日らしい。

 余計なことを言わないように気を付けよう。そう思いながら私は、見目みめうるわしいお客様から買い物かごを受け取った。

「いらっしゃいませ、こんばんは」

 平日の午後十一時。お客さんは少ない。もしかすると彼女は、そのタイミングを見計らったのかもしれない。

「先日はお騒がせして、本当にすみませんでした」

 くだんの美女。不倫疑惑の。

 あの一件以来、たまに店で見かけるようになったけど、話しかけられるのは初めてだ。

「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしました」

 せっかくグレーの細身のスーツでパリッと仕上げているのに心底苦しそうな顔をしていて、残念だなどと一瞬でも思ってしまった自分の考えを打ち消した。辛いときに辛い顔して何が悪い。

 漂う柑橘かんきつけいの爽やかな香りとスーツとの相乗効果で、見た目と雰囲気はいかにもデキル女だ。

 その見た目通り、美女はあの日の出来事を端的に教えてくれた。


 美女の名前はヒイラギヨシノさん。

 五十嵐は、ヒイラギさんの恋人、もとい元恋人の苗字。

 私が『五十嵐さんにお荷物をお届けに参りました』なんていうから、ヒイラギさんは自分の彼氏がてっきり何か注文したものだと思ったとか。

 最初に彼女が部屋に戻ったときには『ネットスーパーでなにか買ったのか』と尋ねた。

 何も買ってはいないと思う、という回答を得たが、念のため私から届け先のフルネームを聞き取り、彼氏に伝えてみたのが二度目に部屋に戻ったタイミング。

 いつも飄々ひょうひょうとした恋人の、その名前を聞いた顔を見た瞬間ピンと来て、ヒイラギさんはカマをかけたらしい。

『ヒデトの子どもだったりして』と。

 結果、図星ずぼし

 蓋を開ければ。

 五年前に離婚したと聞いていたのに、別居中なだけで離婚はしていなかった。

 子どもはいないと聞いていたのに、いた。しかも自分と歳の近い子が。

 黙ってうつむいた一回り以上年上の恋人の頭頂部が寂しくて、ざまあみろと思った、とヒイラギさんは気丈に笑った。

 ヒイラギさんは三十三歳で、その恋人とは三年前から付き合っていたらしい。

 彼女は彼の、いずれは結婚したいという言葉を、疑ったことはなかったと言う。


 話を聞くだけで、ハラワタどころか頭の先から足の先まで全身が煮えくり返る心地がした。

 女を舐め過ぎ。いや、人を舐め過ぎ。

 悲しそうな顔をして話すヒイラギさんの代わりに、めちゃくちゃにそのヒデトとかいう男の悪口を言い散らかしたい。

 人でなし、クズ男、嘘つき、ハゲ、しかも妹尾さんのパパ活相手でもあるかもしれないときた。

 とはいえ赤の他人の私が代わりに怒ったって、屁の突っ張りにもならない。

 私の逡巡しゅんじゅんに気付いてか、ヒイラギさんは私に謝った。

「ごめんなさい、変な話お聞かせして。良い歳して、自業自得なんです。でも、恥ずかしい話なんですけど、誰かに話したくて、つい」

 私の中にはヒイラギさんを元気付けるようなボキャブラリーはない。

「嘘つく人が悪いじゃないですか。ヒイラギさんは悪くないです」

 咄嗟に出たのは、妹尾さんの受け売り。

 うつむき加減の前髪の隙間から和らいだ表情が見えたのも束の間、後ろにお客さんが並んだので、ヒイラギさんは手早くレジに表示された金額を支払った。

「あの、ありがとうございます。――ずっと自分を責め続けた二週間でした」

 苦しみ続けた彼女に対し、外野の私が安直な言葉を投げて良かったの? 本当にヒイラギさんは悪くないの? ヒデトという男の奥さんには、悪くないの?

 彼女の安堵あんどがかえって私の心に重くのしかかり、考えても仕方のないことが頭の中をぐるぐるする。

 この際、ヒイラギさんの心に少しでも早く平穏が来ることを祈る。それしかない。


 お会計を済ませてサッカー台で購入品をレジ袋に詰めるヒイラギさんに声をかける、男性。いや女性?

 中性的な容姿。女の人にしては高い背、男の人にしては狭い肩幅。後ろ姿だけではわからない。

 妙に距離が近い。知り合いだろうかと思ったけどもヒイラギさんは少し困惑している様子。

 助け舟を出そうにも、さっきまで暇だったレジにはお客さんが突然並び始めるし、何もできない。

 タイミング良く盗み見ることができた顔は、美少女みたいな少年のよう。いや、美少年みたいな少女? やっぱり男性か女性かはわからない。

 スマホを取り出して、二人はどうやら連絡先を交換しているらしい。ナンパだ。これ絶対ナンパだ。

 二人して店を後にする姿は、まるで美男美女カップル。

 いやいや、男で開いた心の傷をで癒やすのは駄目だって! ヒイラギさん!


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