すごいね!そのネイル!

 あくびをしながらタイムカードを押すと、それまでパソコンでエクセルと何やら格闘していた店長が、私の前に立ちはだかった。

「昨日、何時まで飲んでたの」

「うーん、まあ、日付が変わる頃まで? とかですかね」

 眉間にシワを寄せると、幅の広い眠たそうな二重まぶたがキッと狭まって、いささか普段よりは迫力のある顔になる。

「日が昇る頃まで、じゃないの?」

 カリカリした口調は、まるでお母さんだ。

 夏だし、日が昇るのが早くなってるし、時間をそんなもので区切ってしまうとこっちは完全に不利なのに。

「そうとも言う、かも」

 呆れ返った顔の店長。

「そんな無茶な飲み方できるのも今だけだから……楽しむのはとめないけどね。普段は入らない朝のシフト入ってもらったから、文句だって言わないけどね」

 店長のぼやきが途切れた隙をついて、我慢していた大あくびをかます。

 その瞬間の店長の、ぎょっとした顔。

「とりあえず、マスクつけよっか」


 シフト上がりの望月もちづきさんと入れ替わりでレジに入る。

  最後の客をさばいた望月さんはこちらを向いて、おはようございますと声をかけてくれた。

「あら? マスクなんて珍しい。竹田さん、風邪?」

 望月さんは、背が低くてふくよかな、優しいベテランパートさんだ。いつも早番はやばんの望月さんと私は、なかなか会うことはない。

 久しぶりに会う望月さんは、朝なのにとても元気だ。

「まあ、そんなとこです」

 私が答えると望月さんは、お大事にねと言いながらかろやかな足取りでレジを後にした。


 ミネラルウォーターとリンゴを、買い物かごに入れずレジ台に置いたお客さん。私の、本日初めてのお客様。

「いらっしゃいませ、お預かりいたします」

「ヒッ」と小さくかすかに聞こえて、私は自分の酒臭さにおののく声かと思って焦る。

 恐る恐る顔を上げると、キャップを目深まぶかかぶったまつげの長い女の子がしかめっ面をしていた。

「あ、妹尾さんじゃないですか」

 昨日短大時代の友人と飲んでいた居酒屋で出くわしたぶりの妹尾さんは、ポニーテールとジャージというスポーティーな格好をしていて、今までとまた雰囲気が違う。

 涼し気なターコイズブルーのネイルは、左手の人差し指に繊細なひまわりが描かれている。

「ネイル、夏らしくて良いですね」

 妹尾さんは口をへの字にして、押し黙ってそっぽ向いた。

 水とりんごは今日の朝ごはんだろう。細い体はこうして保たれるのか。肉と酒で生きてる私には絶対に真似できない。

 商品は二つだけなので、レジも相当早く終わる。

「ご来店ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 口を利いてくれない妹尾さんの次のお客さんは、周りをキョロキョロしながら買い物かごを腕にげた春子さんだった。

「おはようございます。ねえ竹田さん。彼女、お知り合い?」

 春子さんは、出口に向かって歩いていく妹尾さんを手で指し示す。

「あの子、すごいわね」

 春子さんはそう言いながら、爪をこちらに向けて指をひらひらした。

「ひまわりの絵、見えました? あれ自分でやってるのかなあ」

 昨日出会ったときの爪はあんなに鮮やかな色をしていなかった気がする。酔ってたから定かではないけど。

 でも、昨日会ったのは夜中だし、今は朝の八時だし、ネイルサロンでやってもらったとは時間的に考えられない。

 繊細なひまわりは透明感があり、ネイルチップやシールには見えなかった。

「バッチリ見えたわ。りんごを掴んだ指に見とれて思わずついてきちゃったくらいだもの」

 そう言う春子さんの買い物かごの中は、トマトとキュウリとトウモロコシしか入ってない。野菜売り場から、妹尾さんを追ってレジまで直行だったことが伺える。

「まだ追いつくかしら。ああ! 気になるわ! 素晴らしい才能よ! ――じゃあ私、今日はこれで失礼するわ。風邪、早く治してね」

 ただのアルコール臭封印用マスクを心配してくれながら、お会計を済ませた野菜をトートバッグに無造作むぞうさに詰め、春子さんは嵐のように去って行った。

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