俺は君を1722回抱きたい

春風秋雄

君に振られるのは何回目だろう

「ねえ尾関君、どう思う?ふざけていると思わない?」

桜井塔子の顔を見ながら俺は、相変わらず綺麗だなと見とれていた。

「尾関君、ちゃんと聞いてる?」

「ああ、聞いているよ。つまり近藤という社員は、今月5日に退職願いを出して、今月末付けで退職予定ということで有給休暇を消化中だったんだが、次の勤め先が早く出社してほしいと言ってきているので、今月15日付けで退職ということにして、残った有給休暇を買い取ってほしいと言ってきたんだろ?」

「そういうこと。ただでさえ、うちより条件の良いところに転職するから辞めると言われて頭にきているのに、向こうの都合で有給休暇を買い取れなんて、虫が良すぎると思わない?」

「もっともだね。それで有給休暇を買い取らない場合は、どうすると言っているの?」

「その時は仕方ないから予定通り今月末の退職でいいと言っている。そもそも有給休暇って、買い取らなければいけないものなの?」

「本来は有給休暇の買い取りは禁止されているんだけど、時効で消滅しそうな時や、退職時に有給休暇を消化できない事情があるときは両者の合意で買い取っても良いということになっている。だから拒否もできるということだ」

「じゃあ、相手の言いなりは癪に障るから、断ろうかな」

「いや、今回のケースだと、有給を買い取った方が会社としては得だよ」

「どうして?」

「有給を買い取ろうが買い取らまいが、発生する給与は同じだろ?でも、今月末の退職だと、社会保険料の会社負担は今月分までこの会社が負担しなければならないけど、15日退職であれば先月分まででいいから、社会保険料の会社負担分が1か月分減ることになる」

「そうなの?」

「社会保険料の負担は資格取得した日の属する月から資格喪失した日の属する月の前月までで、資格喪失は退職した日の翌日だから、月末の退職だと資格喪失した日は来月の1日ということになるんだ」

「えーと、近藤さんの社会保険料の会社負担分は月額55,000円くらいだから、それだけ得ということか。わかった。じゃあ有給買い取ることにする。尾関君はいつも頼りになるね。サンキュー」


俺の名前は尾関孝介、経営コンサルタントをしている33歳の独身だ。目の前にいる女社長は、桜井塔子。大学時代の同級生で、ミスキャンパスにも選ばれた美人だ。俺は大学時代から塔子に惚れていた。学生時代に何回もアタックしているのだが、毎回振られている。塔子は大学を卒業するとすぐにアパレル関係の会社を起こし、バリバリに仕事をしている。俺は何とか塔子の役に立ちたいと、行政書士、社会保険労務士の資格を取り、法律や税務の勉強もして、頼み込んで顧問の経営コンサルタントにしてもらった。だから顧問料はただのようなものだ。会社に呼び出される回数から計算すると、交通費で顧問料の半分近くがなくなる。それでも俺は、とにかく塔子のそばにいたかった。しかし、塔子は会社を立ち上げて5年くらいした頃、取引先の社長と恋仲になり、結婚した。俺の恋もこれで終わったかと思ったが、結婚して2年も経たず塔子は離婚した。もともと気の強い塔子は、旦那さんと意見が対立することが度々あったようだ。再び俺にもチャンスがやってきたと、離婚後2年くらいしてから、もう一度アタックしたが、また振られた。それでも諦めきれない俺は、マゾなのだろうか。


塔子は、小さな問題でも俺を頼ってくれた。頼ると言うより、便利な存在なのだろう。節税の問題や社員の労務問題などは当たり前だが、営業所開設の物件探しから立ち上げの準備に至るまで、何でも俺に頼んでくる。その都度俺は、嫌な顔をせず手伝った。いつしか塔子は、頼めば俺が手伝うというのが当たり前だと思うようになったようだ。


ある日、塔子から日帰りの出張に付き合えと言われた。取引先とのトラブルだ。大口の取引先で、毎月数百万円の取引がなされている。この取引先を失うと塔子の会社は大きな痛手だ。トラブルの原因は先方の発注ミスだ。予定より一桁多い数の発注をしてしまったということだ。納品されて初めて先方が気づいたらしい。先方は、いつもとかけ離れた数字なのに、確認の連絡をしてこなかったうちが悪いと難癖をつけてきた。勝気な塔子一人が対応すれば、契約上は納品分の代金回収は可能だろうが、今後の取引は難しくなるかもしれない。そこで、俺にうまくとりなしてくれと言うことだ。通常の10か月分の商品数なので、10回の分割での支払いで交渉したが、在庫を置くスペースがない、10か月もコンスタントに売れる確証がないとゴネた。仕方なく、半分は返品に応じることにし、4か月分の在庫は一旦こちらで預かり、毎月一定数量を送ることで決着した。それからその場で覚書を作成し、無事に交渉は終了した。最後は先方もこちらの譲歩に感謝してくれた。


思ったより交渉に時間がかかり、取引先を辞去した時には、特急電車の最終は出た後だった。仕方なくその日は泊まろうということになった。ネットで検索してホテルを探したが、どこも満室で空いてない。やっと空いているホテルを見つけたが、ツインの部屋一部屋しか空いてなかった。

「塔子さん一人で泊まりなよ。俺は各駅電車で帰るから」

「そうはいかないわよ。今日の交渉がうまくいったのは尾関君のおかげなんだから、その尾関君を鈍行列車で帰らすわけにはいかないよ」

「じゃあ、どうする?まさか一緒の部屋に泊まれないでしょ?」

「いいわよ。一緒の部屋に泊まりましょう。尾関君、そのホテルに予約して」

千載一遇のチャンスが巡って来た。これは、エロい小説とかでよく見るシチュエーションではないか?小説とかでは、一緒の部屋に泊まって、流れの中で二人は出来てしまう。これは期待できるかもしれないぞ。俺は密かに心の中でガッツポーズを作った。


深夜までやっている居酒屋で軽く食事をしてから、ホテルにチェックインした。ツインの部屋に入った瞬間、俺の胸はバクバクいっていた。

「今日はもう寝るでしょ?お風呂先に入る?」

「いや、塔子さんから入って下さい」

「そう?じゃあ、先入るね」

そう言って塔子は、備え付けの浴衣を持ってバスルームに消えた。シャワーの音が俺のドキドキに拍車をかける。しばらくして、塔子が着ていた物を抱えて、浴衣姿で出てきた。とても色っぽい。

入れ替わりに俺は浴室へ行った。

ドライヤーで髪を乾かし、寝室に入ると、塔子は奥のベッドで寝ていた。そーっと、傍に寄ってみると、寝息を立てて寝ている。ハードなネゴで疲れたのだろう。とても起こして話しかける勇気はない。俺は、先に風呂に入れば良かったと後悔した。


この前の出張以来、俺は度々出張に同行させられるようになった。電車での移動もあったが、近県の出張の場合は車での移動が主だった。当然運転手は俺だ。最初は塔子の会社の社用車を使っていたが、社用車が用意できなかった時に、俺の愛車アウディーを使ったら、こっちの方が乗り心地が良いと言って、それ以来毎回俺の車で移動することになった。

「こんな車に乗っているなんて、尾関君、儲けているんだね」

「福岡の実家が中古車販売の会社なんだよ。その手伝いもしてて、行政書士だから名義変更などの登録の仕事はもちろんだけど、福岡で仕入れた車を東京で売ったり、東京で車を仕入れたりもしているんだ。この車は福岡で仕入れた車なんだけど、親父に言って仕入値で譲ってもらったんだよ」


その日の出張先は御殿場だったが、富士山も見えるし、車で行こうと言われ、俺の車を出した。東京から御殿場まで約2時間ほどのドライブだった。天気もよく、富士山が綺麗だった。商談はうまくいき、新しい取引先が出来たと塔子は喜んでいた。気をよくした塔子は、御殿場のアウトレットに行くと言って、そこでブランド物の買い物をした。夕食をすませ、時計を見たら9時を過ぎていた。順調に帰れば東京には11時過ぎには着くことになる。

「塔子さんは寝てていいですよ。運転はちゃんとしますから」

「そんなわけにはいかないでしょ。いつもいつも、尾関君には無理聞いてもらっているんだから」

「今日は、妙に謙虚ですね」

「今日はではなくて、いつも思っているよ」

「じゃあ、そろそろ俺への恋心が芽生えてきました?」

「それはない。仕事上は感謝しているけど、色恋の気持ちはまったくないから、誤解しないでね」

ふと見ると、前の車がスピードを緩めハザードをたいている。どうやら渋滞のようだ。こちらもスピードを落とし、前の車に近づいた。そして、とうとう止まってしまった。

「どうしたの?渋滞?」

「そうみたいですね。どうやら事故があったようですね」

現在地は鮎沢のサービスエリアを過ぎてから、それほど走ってない場所だ。ナビを見ると、横浜町田のインターまで渋滞が続いているようだ。

「これはちょっと時間かかりそうですね」

「今日はついていると思ったのに、最後の最後で渋滞かぁ」

「まあ、仕方ないですね」

1時間半くらい経過したが、まだ10キロも進んでいない。さすがにちょっと疲れてきた。

「ねえ、トイレに行きたくなった」

「トイレですか?次のパーキングは中井ですね。距離はそれほどないですけど、どれくらい時間がかかるのか」

「じゃあ、次の大井松田でおりて、どこかコンビニに寄って」

それが正解かもしれない。大井松田まで3キロ程度だったが、皆考えることは同じのようで、出口が混んでおり、30分以上かかった。

コンビニで休憩して、時計を見ると、すでに11時を回っていた。

とりあえず、下道を走っていたら、いきなり塔子が前を指さして言った。

「今日はあそこに泊まろう」

そこは、ラブホテルだった。


前回のビジネスホテルはツインベッドだったが、今日はダブルベッドだ。当然同じ布団で寝ることになる。この前の失敗があったので、今日は俺が先に風呂に入った。シャワーを浴び、浴室から出ると、入れ替わりに塔子が浴室へ。俺はベッドに入って照明を落とし、塔子が出てくるのを待った。

浴室から出てきた塔子が、静かに布団に入ってきた。

そして、いきなり俺に聞いてきた。

「尾関君は、私としたい?」

「もちろん、したいに決まってるじゃない」

少し考えていた塔子が言った。

「1回だけならしてもいいよ」

「1回だけ?」

「そう、1回だけ。そして、明日からは今まで通りの関係に戻って、二度としない」

「それは嫌だな」

「1回でも私がいいって言うのは、もう二度とないよ」

「俺は、塔子さんと1722回したいと思っているから」

「1722回?何それ?どこから出た数字なの?」

「最初の3年間は、2日に1回のペースでしたい。すると3年間で546回」

「すごい、そういう計算なの?それにしても、尾関君、計算速いね」

「俺、珠算1級だから。そして、その後は、40歳になるまでの4年間は週に2回で416回。ここまでで、すでに962回だね」

「それで?」

「40歳からは体力が落ちるだろうから週に1回かな。それを50歳までということで520回。とりあえず50歳までに合計1482回」

「あと240回は?」

「一応70歳までは出来るとして、月に1回ペースで20年間の240回。それで合計1722回」

「あきれた。そんな計算してたの?」

「まあ、男なら生涯どれくらい出来るか計算するものだよ」

「世の中の男で、そんなことを考えるのは、おそらく尾関君ぐらいなものだよ」

「そんなことないと思うよ。ということで、1722回の、まず最初の1回目ということで・・・」

「もうそんな気持ちがなくなった。寝る」

そう言って塔子は向こうを向いてしまった。俺はまた失敗したようだ。余計なことを言わず、とりあえず1回しておけば良かったのか?


ラブホに泊まって2か月くらいした頃、福岡のお袋から連絡があった。親父が倒れたらしい。急ぎ帰省して状況を聞いたが、脳梗塞で倒れたらしく、とりあえず命に別状はないが、後遺症が残るようだ。お袋は元気だし、介護士を頼めるので、親父の世話はできるが、仕事が出来なくなったとのことだ。従業員もいるし、親父の会社で生計を立てていたので、会社をつぶすわけにはいかない。そこで、孝介が福岡に戻って、会社を継げと言われた。俺は一人っ子なので、いつかは福岡に帰らなければならないかもしれないとは思っていたが、こういうケースは想定していなかった。


福岡へ戻る決心をして、塔子に事情を話した。

「お父さんは大丈夫なの?」

「とりあえず、命に別状はないらしいから、その辺の心配はないみたい」

「住むところは実家なの?」

「実家は中古車販売の会社に改装してしまったから、親父たちはマンションを買って住んでいる。俺が住むスペースはなさそうだから、俺はマンションを借りる予定。先々行政書士と社労士の看板を出せるように、広いところを借りようと思っている」

「そうか、お父さんの会社を継いでも、そっちの仕事はやめないんだ」

「せっかく取った資格だし、この仕事、好きなんだよな」

「尾関君ともお別れかぁ」

塔子が涙ぐみながら、そうつぶやいた。

「近くにはいれないけど、何か困った問題があれば電話くれればアドバイスはできるから」

「ありがとう。その時は、遠慮なく電話させてもらいます」

塔子はしおらしくそう言った。

俺は、塔子の目に滲んだ涙を見て、今までの塔子への思いが少し報われたような気がした。


福岡での新生活は、バタバタだった。住居は事務所利用可の3LDKのマンションを借りた。中古車販売の会社は、実務面はベテラン社員がいるので任せられる。あとは経営面のことだ。経営面の引継ぎを親父からしてもらい、何とかブランクを作らずに引き継げそうだった。


福岡に移ってから2か月くらいした頃、塔子から連絡があった。

「忙しいところ、申し訳ないんだけど、急遽福岡に事務所を設立することになったので、物件を探してくれないかな?」

塔子の会社は現在、名古屋、大阪と営業所があり、次は福岡か札幌と言っていた。とうとう福岡進出を決めたんだ。

「いよいよ福岡進出だね。物件の条件をメールしておいてくれるかな」

「わかった。あとでメールしておく」

福岡に拠点が出来るということは、塔子も年に何回かは出張で福岡に来ることになるだろう。俺は福岡に移ったのを機に、塔子のことはきっぱり諦めようと思っていたので、複雑な気持ちだった。


塔子の福岡の事務所は、オフィス街のビルに50坪のスペースで、他の営業所よりはるかに広く、東京の本社と変らない広さだった。

「それにしても、広い事務所だね」

無事契約が完了し振込を終えたあと、不動産屋で鍵をもらった二人は、まだ備品も何もない事務所に入り、俺は塔子にそう言った。

「そりゃあ本社だから、これくらいないとね」

「本社?東京本社と福岡本社の両軸体制にするということ?」

「違うよ。本社を福岡に移転するの。尾関君、移転登記をお願いね」

「ええ?どういうこと?」

「だから、私が福岡に引っ越してくるから、本社が福岡じゃないと不便でしょ?」

「福岡に引っ越してくるの?どうして?」

「どうしてって、そりゃあ尾関君と1722回するためよ」

俺は、目が点になった。

「それは、俺と結婚してくれるということ?」

「私は一度失敗しているから、結婚という形式にこだわらないけど、尾関君が結婚って形にこだわるなら、結婚でもいいよ。私ね、尾関君がいなくなってから、しみじみ思ったの。尾関君はいつも私のそばにいてくれたけど、実は私が尾関君のそばにいたかったんだなって。私は70歳過ぎても尾関君と一緒にいたいなと・・・」

そこまで聞いて、俺は思わず塔子を抱きしめていた。


その夜、俺のマンションに来た塔子が、ベッドの中で言った。

「1722回の、まず1回目だね。1722回まで、した回数をメモしといた方がいいのかな?」

「塔子さん、非常に言いづらいことがあるんですけど」

「なに?」

「あれから、すでに4か月経っているので、70歳までの計画が4か月分狂っているんです。最初の3年間は2日に1回はしたいと思うので、そうすると、その後の40歳までの週に2回のペースが4か月分減るので、32回減ることになり、合計は1722回ではなく、1690回ということになるんです」

塔子は、目をパチクリさせながら、俺に言った。

「尾関君」

「はい」

「ベッドの中では、珠算1級を忘れてくれないかな?」

「えーと、」

「えーと、じゃないよ。もうしゃべらないで」

塔子はそう言って、俺の唇をふさいだ。


終わった後、塔子は俺の胸の中で言った。

「ねえ、足らない32回だけど、それを取り返すまで、2日に1回ではなくて、毎日にしてくれないかな」

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