第七話 お侍さん、街を見て確信する

 アンギラの城門で受けた審査は、関所というには拍子抜けするほど簡素なけんえつだった。全身の黒子ほくろの数まで確認されるひのもとの関所と比べれば、有って無いようなものだ。こちらの顔をちらりと見るだけで、武器を所持する者を大したぎんもせず歓迎するとは、驚きのゆるみっぷり。もはや素通りである。もしこれが故国で行われたたいまんなら、番士はよこつけに張り倒されているだろう。

 黒須は数年前に手形を雨にやられてから、たびたび関所破りを繰り返している。武士の場合は素通りさせてくれることもあるため、一度顔を出し、断られればかいからの強行突破だ。捕まればうちくびごくもんよりさらに重い、たっけいという大罪になるとは知りつつも、『失くすことまからぬ』という父の厳命に反して再発行を頼むことの方がよほどに恐ろしく、常習犯となってしまっていた。

 しかし、まさか手持ちの路銀が使えないとは思わなかったが、あのとき集落で拾った硬貨がこの国の金で助かった。盗品と思われる物を勝手に使うのには若干引け目を感じたものの、皮袋には名前など書かれていないのだ。どの道、誰に返すこともできなかっただろう。

 窓口で台帳に記入を求められたが、そこには訳の分からぬ異国文字。フランツたちだけではなく、門番や受付もりゅうちょうな日本語を話していたので、てっきり文字も同じと思い込んでいた。話し言葉と書き言葉が違うとは、これに。おかしなこともあるものだ。

 何にせよ、ようやっと念願の人里だ────────

 高さ三十尺十メートルはあろうかという両開きの城門をくぐると、そこには生まれてこのかた眼にしたことのない、圧倒的なほど美しい街並みが広がっていた。門からぐに続く目抜き通りは広く、余す所なく石畳が敷かれているため、水たまりやわだちは一つも見当たらない。通りの両脇には白茶色の建物がずらりと軒を連ねているが、どれも立派な石造り。二階建、三階建と背が高く、花で飾り付けられた出窓が街の景観をより一層華やげている。いずれも一階部分は商店になっているようで、あきないをする商人どもが元気な声を張り上げていた。眼前の広場には露店がにぎわい、そこかしこから食欲をそそる匂いが漂ってくる。行き交う人々は活気にあふれ、皆がニコニコと幸福そうな様子だ。

 これまで立ち寄った町との違いの大きさに、くろは自分の予想が正しかったことを確信する。

 見知ったものなど何一つとしてなく、住民も日本人とは似ても似つかぬ者ばかり。

 ──────決まりだ。やはり、ここは異国。フランツたちの言葉にうそはなかった。

 街までのみちゆきで、彼らのことは信用に値すると思っていた。素朴にして単純、気立てのいい連中だ。異人とは人より獣に近い民族と聞いたこともあったが、あのうわさは何だったのか。全くの的外れ、見当違いもはなはだしい。

 黒須はこれまで誰かと旅路を共にしたことはなかったが、彼らとの同行を存外に楽しんでいた。もし自分に友と呼べる者がいればこんな感じなのかもなと、似合わぬことを考えるほどに。

「クロスのそんな顔は初めて見たな」

 フランツのしそうな声にはっと我に返る。どうやら不覚にも間抜けづらさらしたらしい。

「すまん、れてしまっていた。美しい街だな」

「気に入ってくれたみたいでうれしいよ。じゃあ、早速だけどギルドに向かおうか」

 フランツの先導で街の中を進む。商店の前を通るたび、皆がこぞって何を売る場所なのかを解説してくれるのだが、どれもこれも興味をかれるものばかりだ。

 に並ぶ野菜や果物は一見して毒々しい色や形で、味の予想が全くつかない。大声で客寄せをしている屋台が売っているのは、魔物肉の串焼きらしい。店の外にまで商品を並べている武器屋は、永く武の道を歩む黒須でさえ使ったことのない武具だらけ。

 これまで町を訪れた際には剣術道場や武家屋敷以外に意識を向けたことはなかったが、時間が空けば一通り散策してみようと心に決める。

 ────そうだ。異国の街並みに夢中で忘れていたが、まずはこれをいておかねば。

「この辺りに湯屋はあるか?」

「ユヤ……? ユヤってなんだ?」

「銭湯風呂、どく風呂、よくもくよくじょういりこみ。呼び方は何でもいいが、森で汚れたので身を清めたい」

 黒須は風呂が大好きだ。武に関わること以外では、唯一の趣味と言っても過言ではない。

 入浴中は無防備になるため武士には風呂嫌いが多く、家族でも父と次兄は『あかと共に張り詰めた備えまで湯に溶ける気がする』と、決して湯船にかろうとしなかったが、黒須は朝晩の入浴を欠かさない潔癖症のきらいがある長兄の影響を過分に受け、旅の途中にもよく湯屋に立ち寄っていた。

 武士は刀を預けてから浴場に入るのが風呂の作法なのだが、一度、ほうな侍が刀を持ったまま入ってきたのを見たことがある。丸腰を嫌う気持ちは分かるが、刀を握った片手をらさぬよう必死に上に伸ばしたまま湯に浸かる姿に、笑いをこらえるのが大変だった。

 裸の付き合いをした者に身分は関係ないなどと言われており、湯屋の二階では武士も町人も入り交じってくつろいでいたものだ────────

「ふむ、どれも聞き覚えがないの。体を洗いたいのなら、そこらの井戸を勝手に使っても叱られはせんぞ?」

「値段の高い宿屋だと、部屋に香油入りのお湯を運んでくれたりするらしいけど、この辺の安宿じゃ外で水浴びが普通だよ」

 二人から申し渡された無慈悲な宣告にがくぜんとする。異国の街並みを見たとき以上の衝撃だ。

「湯屋が…………ないのか。こんな大きな街に」

〝武士は食わねどたかよう

 飯が食えずともようを使ってみせるという、侍の清貧と忍耐を表した言葉だ。黒須も飯など十日食わずとも平然と過ごす自信はあるが、風呂だけは別。唯一の楽しみがかなわないと知り、外聞もなくがっくりと肩を落とした。


「ここがアンギラの冒険者ギルドですよ!」

 パメラが指差したのは周囲と比べて一際目立つ建物だった。見る者を圧するが如くそびえ立つ、四階建ての大建築。入り口には盾の前で剣とおのが交差するような意匠の看板が風に揺れ、キィキィと音を立てている。やたらと窓が多く、他の家屋がしとみなのに対して、こちらは豪勢なびいどろガラス仕様。丁寧に磨き上げられた窓が輝く様は、まるで訪れる者に財力を見せつけているかのようだ。

 慣れた様子で建物に入っていく皆に続いて入り口を潜ると、中も広々とした造りになっていた。正面にはいくつかの窓口があり、その奥では大勢がせわしげに働いているのが見える。右手は食堂になっているらしく、並べられた机で何組かがわいわいと賑やかに食事中だ。左手の壁には巨大な掲示板があり、天井近くまで大量の紙が貼り付けられている。その前では内容を吟味中と思われる冒険者たちが難しげな顔で話しているが、魔物と戦う職というだけあって、全員が何かしらの武器を携えていた。人里に下りてきた熊のようにキョロキョロと建物内を観察する黒須をに、フランツは窓口へ歩み寄る。

「お疲れ様です、ディアナさん。討伐依頼の達成報告に来ました」

「おかえりなさい、フランツさん! 依頼書の内容を確認するので少々お待ちください」

 どうやら受付とは顔見知りらしい。軽く挨拶を交わして、おおかみの耳が入った皮袋を差し出している。

「──はい、フォレストウルフ五頭の討伐依頼ですね。それでは、こちらが今回の報酬です。お確かめください」

 ディアナと呼ばれた女は、なにやら紙を取り出してサッと眼を通したあと、討伐証明の数を数えて何枚かの硬貨をフランツに手渡した。

「……………………」

 頭の中に疑問符が舞う。冒険者とギルドの関係は事前に説明を聞いていたが、想像していたよりずっと簡潔なやり取りだ。もしあれがただのいぬの耳だったとして、あの受付に見分けがつくのだろうか。さいしんの強い質屋やこっとうのように、長々と査定を待たされるのだとばかり思っていた。

 何処どこにでも悪知恵を働かせる者はいるものだが、ああ見えて熟練の目利きなのか?

「それと、魔の森を探索中に巨人トロルと遭遇したんです。討伐したので、そっちの手続きも一緒にお願いできますか?」

「えぇっ!? よ、よくご無事でしたね…………。巨人はCランクの魔物ですよ!」

 えらく驚いているが、〝しーらんく〟とはどういう意味だ。フランツたちは流暢な日本語を話す割に、時たま妙な単語を口にすることがある。この辺りのお国言葉のようなものかもしれない。

「いえ、俺たちは手も足も出なかったですよ。正直言って、殺される寸前でした。ほら、彼に助けられたんです」

 そう言ってこちらに眼を向けるので、黒須も窓口に歩み寄る。

 近くで見ると、窓口の中にいる者たちは皆そろいの装束に身を包んでいることが分かった。白の上に紺を重ね着する手の込んだもので、街の住人と比べても上等そうな着物だ。首元にはひもで作ったような飾りを付け、髪にも──────……!?

「彼、国外から来た旅人なんですけど、巨人を一撃で倒すようなすごうでですよ。今回は彼の冒険者登録もお願いしたいんです」

「それは凄いですね……。ようこそ冒険者ギルドへ! 私は受付担当のディアナと申します。よろしくお願いします」

「………………………………」

「あ、あの……?」

 ディアナは丁寧な挨拶をしてくれたが、黒須は全く別のことに気を取られており、言葉を返すどころではなかった。

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