第四話 冒険者さん、お侍に助けられる(2)

 足跡を辿たどり始めることしばらく。先行していたマウリが突然立ち止まり、右の拳をサッと顔の横に上げた。〝全員静止せよ〟という意味のハンド信号サインだ。フランツたちがその場で足を止めると、彼は右斜め前方を指差しながら、った表情でジリジリと後ずさりを始めた。

「………………?」

 突き出された指の先へ視線を向ける。が、木々が邪魔でよく見えない。焦点を合わせるようにパチパチとまばたきを数回、目を細めてじっと凝視すると、何かがやぶの中を同じ方向に向かって移動しているのが分かった。体色からして小鬼か豚鬼オークの群れ────いや、違う。動いているのは複数ではなく、たった一体の巨大な魔物。その正体を理解したフランツは、思わず目を見開いて息をんだ。

 そんな、まさか…………。アレはもっと奥深くにいる魔物のはずだ。

 悪夢のただなかにいるかのように、見続けたくないのに視線をらすことができない。

「ヒッ────」

 パメラがかすれるような声で小さく悲鳴を上げた途端、耳をつんざくようなほうこうが周囲に響き渡る。

「くそっ! パメラ、てめぇ馬鹿野郎!」

「ご、ごめんなさいっ!!」

「馬鹿な……! こんな場所に巨人トロルじゃと!?」

「チッ! どうするフランツ!?」

 フランツは胸に湧き上がる動揺を強く拳を握り締めることで抑え、どう動くべきか、頭を高速で回転させる。

 巨人は強敵だ。てつもない怪力に加えてじんぞうの体力、極めて高い物理耐性を持っている。魔術が弱点とされているが、まともな攻撃魔術を使えるのはパメラだけ。冒険者ギルドが定めた脅威度はCランク…………とてもではないが、Eランクパーティーの自分たちがかなう相手ではない。

 瞬時にそう結論付けたものの、災難にも巨人との距離は二十メートルもなく、相手はすでに臨戦態勢に入ってしまっている。全力で逃走したとしても逃げ切れないのは目に見えていた。

「マウリはけんせい、バルトは壁役、パメラは魔術を準備しろ! 倒し切ろうと思うな! 撤退戦だ! 隙を見て逃げるぞ!」

 指示の声に反応してマウリの矢が放たれるが、巨人はそれを意に介すこともなく、体格に見合わない速度で猛然と突っ込んでくる。

「──────ッ! マウリ、足を狙え!」

 大声で叫びながらすれ違うように突進を避け、片手剣でふとももを斬りつける。

 こけむした岩を斬ったかのような感触。身にまとっている獣の皮が裂けただけで、本体にはまるで歯が立っていない。たった一撃で、自身の攻撃が通用しないことを明確に理解させられた。

「ちくしょう、なんて硬さだ……!」

 手応えのなさに悪態をいていると、巨人は近くに落ちていたまるを拾い上げ、剛腕に任せてブンブンと振り回し始めた。動作はのろいが、一発でもまともに食らったら終わりだ。しかし、パメラの魔術だけが唯一有効な攻撃手段である以上、絶対に後衛へ意識ヘイトを向けさせる訳にはいかない。

「バルト、下がってパメラを守れ! 俺が攻撃を引き付ける! マウリは矢を撃ち続けろ!」

 効果がないと知りつつも、巨人の体に剣をたたき込む。顔のすぐ横を風きり音を立てて通り過ぎる丸太に足がすくみそうになるが、魔術が放てるようになるまで時間を稼ぐにはこうするしかない。

 なんとか直撃を避け、歯を食いしばってすうごうの大振りをしのいでいたが────不意に、地面から飛び出した木の根に足を取られた。

「しまっ────!! がはっ……!」

 とっに盾を構えて防いだが、殴り飛ばされて大木に叩きつけられた。

 後頭部と背中を強打し、肺から空気が押し出される。

「あぁっ! フランツが!!」

「パメラ! 集中を乱すな!」

 こみ上げるおう感、視界がゆらゆらと揺れて見える。興奮しているせいか、痛みはほとんど感じなかった。生暖かい液体が眉を伝ってほおに流れる。意識ははっきりしているが、足に力が入らず声も出せない。

 まずい、このままじゃ前衛が持たない…………!!

 鍛冶人ドワーフであるバルトは人間に比べるとはるかに頑丈だが、それでも一人であの猛攻を防ぎ切るのは不可能だ。こうしている間にも滅多打ちにされ、今にも倒れそうなほどフラついている。

 ────動けッ! 動けよッ!!

 言うことを聞かない自らの足をバシバシと殴りつけ、どうにか立ち上がろうと必死にくが、気持ちが焦るばかりで一向に足は動いてくれない。そうこうしている内に巨人の大振りがまともに盾にぶつかり、ついにバルトが片膝をつく。

 ……クソッ、ここまでか。せめて俺をっている間に仲間だけでも逃げてくれれば────

「おい! そこのアンタ、冒険者か!?」

 フランツは絶望感に押し潰されて顔を伏せていたが、不意に聞こえた大声に目線を上げる。

 マウリの視線の先を追うと、いつからそこにいたのか、茂みの奥に奇妙な男が立っていた。

「…………冒険者が何かは知らんが、俺は通りすがりの武者修行だ」

 この辺りでは見掛けない顔立ちだ。漆黒の衣に身を包み、剣は三本もたずさえているがよろいは着ておらず、簡素な篭手ガントレット臑当グリーブだけを装備している。魔の森に入るにはいささか軽装すぎるように思えるが、駆け出し冒険者のようなうわついた雰囲気ではない。異様なすごみ……と言うべきだろうか。背はあまり高くないけれど、なんというか、全身から発している空気のようなものが、男をとても大きく感じさせた。一目見て危険人物だと思わせられる強烈な存在感オーラだ。ただ腕を組んで立っているだけなのに、窒息しそうなくらいに。自分より強大な存在ものに出会った野生動物が無意識に抱くであろう、逃走への欲求のような本能的な感情がてられる。

 珍しい黒髪を頭の後ろで結い上げており、これまた珍しい黒目は巨人をじっと見据えているが、なぜかその瞳には好奇の色が宿っているように見えた。二十代に差し掛かったくらいだろうか、随分と若そうだが、巨人を前にして全くおびえた様子がない。それどころか、整った顔にうっすらと笑みさえ浮かべている。偶然に不思議を見つけた子供のような、こうこつとした表情だ。

 数度の問答のあと、男は巨人の前に躍り出た。どうやら助力してくれるらしい。

 ありがたい……!

 前衛さえ耐えられればまだ希望はある。パメラの魔術が決まれば絶対に巨人はひるむはずだ。その隙に逃げ出して、どこかへ身を隠せばいい。

 これも調ちょうしんルクストラのおぼしかと女神に感謝をささげたくなったが、フランツは男が次にとった行動を目にして凍りついた。何を考えているのか、男は巨人が振り上げている丸太の下へ、わざわざのだ。

 馬鹿な。一体なにを────

「な……っ! おい、けろ! 潰されるぞ!!」

 マウリが大声で呼び掛けるが、男はその場から動こうとしない。あろうことか、剣を頭上に持ち上げて防御の姿勢を取っている。

 なんだよ、素人だったのか!? 頼む、どうか避けてくれ!

 そんな懸命の祈りもむなしく、無常にも丸太は振り下ろされてしまった。

 ああ……死んでしまった…………

 再度絶望したのもつか、巻き上げられたつちぼこりの中からはしゃぎ声が聞こえてきた。

「ははは、見事だ! こんな剛力は初めてだ!!」

 巨人の一撃を受けて……笑っている? まさか、わざと攻撃を受けたとでも言うのか?

 イカれてる──────

 常軌を逸した行動にフランツが戦慄していると、男は持っていた剣を相手に投げつけ、腰に差していた細い剣のつかに手をかけて姿勢を低くした。

 ダメだ! そんな刺突剣レイピアみたいな細剣じゃ、アイツの攻撃は防げない!

 次の瞬間、おかしなことが起きた。男が疾風のような速度で駆け抜けたと思ったら、突然、巨人がピタリと動きを止めたのだ。ぼうぜんと眺めること数秒、巨人の脇腹から大量の血潮が噴出する。

「「「はぁ!?」」」

 脇腹は大きく斬り裂かれ、どう見ても背骨まで断ち斬られている。致命傷だ。

 訳が、分からない。なんだ、今のは……? 風の魔術? いや、身体強化の奇跡を使ったのか?

 傷跡を見るにあの細剣で仕留めたのだろうが、剣を抜く動作さえ目で追えなかった。

 巨人が崩れ落ちる重い音が辺りに響く。

 フランツは目の前で起きたことを理解しようと必死だった。仲間たちも皆、完全に固まってしまっている。この男、一体何者なんだ────────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る