第一話 お侍さん、異世界に降り立つ(2)

「「………………………………」」

 しばしのにらみ合いのあと、先に折れたのは父親だった。

「はぁ……。貴様のその石頭は、一体誰に似たのやら」

 腕組みしたまま天を仰いで大きなため息をく父に、それまで気配を消していた男たちが声を掛ける。

「ククク、父上でしょうなァ。確実に」

しかり。我ら三兄弟で最も色濃く血を継いだのは、元親に違いありますまい。とげのような苛烈な性格がたまきずではありますが」

 そうはつを垂らして着流しを緩く着た男が愉快げに笑い、まげをきっちりと結った生真面目そうな男がしゅこうして同意を示す。背後にひっそりと控えていた二人の手は、その穏やかな口調とは裏腹に刀のこいくちを切っており、もし元親がばっとうすれば即座に弟を斬り捨てる体勢だった。

「貴様らは構わんのか。末弟まっていに流派のしんずいを継がせることに」

「長男としちゃあ情けねェ限りですが、俺にゃ剣のてんぴんはない。だからこそ、涙を飲んで筆をる道を選んだのですから。とくを受け継ぐ者として、領地領民を護る手段は剣だけではないと理解しておりますよ」

「拙者も異存ございません。剣の道を捨ててはおりませんが、おのわきまえております。てんぺんは世の習いなどと申せども、黒須の剣は受け継がねばならない。一子相伝たる流派のこうけいを選ぶなら、元親をおいて他にないかと」

 黒須家の剣術は次期当主となる跡継ぎではなく、当代随一の遣い手に受け継がれる習いとなっている。普段から屋敷を空けることの多い三男坊は知る由もなかったが、今回、兄弟が呼びつけられたのは、実はこの後継を決めるためだったのだ。

 長兄は謙遜して見せたが、三人の腕前はいずれも父に勝るとも劣らない。御家に仕える歴戦の勇士と比較しても圧倒的な力の差があったが、その中でも、元親の才能は誰が見ても頭一つ抜けていた。周囲からりんと持てはやされる長兄と次兄が、手放しに認めざるを得ないほどに。

 父は真意を見極めるように二人の眼を交互に見つめると、神妙な面持ちで元親へ向き直る。

「元親よ、しゅの道をく覚悟はあるか」

「是非も無く。もとより我が道は修羅道に通じております」

「よかろう、貴様に秘伝を授ける。その後、免許皆伝をもって武者修行の旅へ出よ」

ぎょ

「これより先、無為に死ぬことは許さん! ひとかどの武士になるまでは家の敷居をまたぐな! 黒須の勇名を天上天下にとどろかせよ!!」

「ははっ!!」

 父や兄たちからは見えていなかったが、当主の命にうやうやしく頭を下げて答える元親の顔には、こらえきれない笑みが浮かんでいた。

 黒須家の剣術の後継者には、武者修行のぎょうが義務付けられている。これは近隣諸国に御家の脅威を知らしめる行為であると同時に、ちゅうの者を納得させるための習慣でもあったが、元親は後継に選ばれたことよりも、外の世界に出られることがただただうれしかったのだ。

 このご時世に剣術いっぺんとうの自分が、家中の者から変わり者とされていることは知っている。

 他家の武士を叩きのめすたびに寄せられる苦情に、父上や兄上が頭を下げてくれていることも。

「ただなァ、元親。兄ちゃんはちっとばかし心配なんだ。お前はゆうずうかねェし、頑固だし、凶暴だし、かと思やァどっか抜けてるし。せいってのァお前が思う以上に不合理であふれてる。愚直まっすぐなお前がどこまで自分を曲げずに進めるか、俺ァ心配でたまらねェ」

「何でも剣で解決しようとするのはお前のあくへきだ、元親。まさか父上にまで牙をくとは……。人におもねろとは言わんが、せめておもんばかれ。情け容赦を覚えねば、通った道がすべて血で染まることになるぞ。ゆめゆめ忘れるなよ」

 腕は立つが型破りなところがある末弟を兄たちは案じたが、当の本人はひょうひょうとして答えた。

「ご心配には及びません、兄上方。俺も近頃は随分と我慢強くなったと自負しております」

「…………おェ、こないだ何日か留守にしてたよな。ありゃァ、どこへ行ってたんだ?」

「当家のひゃくしょうを殴ったという武士が山向こうの村に向かったと耳にしまして、首をりに参りました。命乞いする様子があまりに無様でしたので、首の代わりにこの刀をもらい受けた次第にございます。これがつまり、武士の情けと言うものでありましょう?」

「「………………………………」」

 やけに立派な刀を持っているとは思っていたが…………

 武士の魂とも言える刀を奪ってきたと平然とのたまう弟に、兄たちの不安は増したのだった。


 父から最後のほどきを受けた元親は、家族に見送られて旅に出た。

 目的地もなく、町から町へとより強い敵を求めて流浪るろうする日々。己と同じ武者修行の道を歩む者を見つけては勝負を挑み、天下一をうたう流派を聞きつけては道場破りを仕掛けた。道中、近くで合戦があればぞうひょうとして紛れ込み、誰と誰が、何のために争っているのかも知らぬまま、向かってくる相手を斬りまくり、地獄のような戦場を一心不乱に暴れまわった。

 立ち合った武芸者の大半は口だけが達者な期待外れだったが、中には眼をみはるような戦法を使う者や、天賦の才を感じさせる者も少なからずいた。砂を蹴り上げ眼潰しを狙い、つばり合いの最中さなかに含み針を飛ばしてきた者には肝を冷やされた。斬るのではなく突くことに特化し、風のような速度で突進してくる流派のこうていには片耳をられた。誰からのさしがねかは知らないが、しのびどもにしんじょを強襲され、たんづつで腹を撃たれて血を吐きながら戦ったこともあった。

 しかし、その全てを斬り、その全てに勝利してきた。いくも死ぬようなうきに遭いながらも、死線をくぐる血がき立つ感覚に、やはり旅に出たことは正しかったのだと確信した。いのたびに新たな技、新たな武具、新たな兵法を学び、着実に腕前の上昇を実感できる日々は充実していて楽しかった────────


    ◆ ◆ ◆


 家を出て、もう十年近くがっただろうか。

 あれだけ夢見心地だった旅路も、最近は心躍ることが少なくなっていた。己より強そうな相手を見つけること自体が徐々に困難になり、いざ立ち合ってみても敵が仕掛けてくる技や戦法はの物ばかり。驚きや喜びなど感じるべくもない。

 はや、この旅に意義はあるのだろうか?

 そろそろ家に帰ることを考えるべきなのだろうか?

 今の自分は、武者修行をやり遂げたと胸を張って誇れるのだろうか?

 自問自答を繰り返す。天下無双に到達したなどとおごるつもりはないが、すでにぼんびゃくの剣士では遊び相手にもならない。身に付けた技を、鍛えた身体からだを、学んだ知識を、磨き抜いた剣を、かす間もなく勝負が終わる。近頃では〝くろおに〟などという物騒なあだが広まってしまい、名を名乗るだけで逃げ出す者さえいる始末だ。

 ──────つまらない。

 命をして全力で戦うことのできないうっくつとした日々に、苦痛を感じ始めていた。闘争に酔っている間のこうふんと達成感が大きかっただけに、酔い覚めの退屈は耐え難いほどに味気ないものだ。

 ひきょうな手を使ってくれても構わない。不意討ちでも、だまちでも、闇討ちでも、大勢で取り囲んでくれてもいい。旅の初めに感じたあの天高く引き上げられるような高揚を、全身の血潮が煮えくり返るような狂熱を、どうしても、どうしてももう一度味わいたい。

 久方ぶりに見つけた〝自称、天下無双〟にいに行くため、峠道を歩く。その道中、心の中にあるのはしんぶつへの強い祈りだ。


 、どうか今回こそは強い敵でありますように────

 どうか命おびやかされるような達人でありますように────

 願わくば、見たことも聞いたこともないような、なんてきめぐり逢えますように──────

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