【書籍試し読み増量版】サムライ転移~お侍さんは異世界でもあんまり変わらない~1

四辻 いそら/MFブックス

第一話 お侍さん、異世界に降り立つ(1)

何処どこだここは」

 見渡す限りの大森林の中、一人の男が誰にともなくポツリとつぶやく。

 ふと気が付けば見覚えのない景色。とうげみちの道中、多くはないが周囲に人も歩いていた。数瞬前まで町娘たちのかしましい声も聞こえていたが、今はただ木々のざわめきと鳥のさえずりしか聞こえない。

 先ほどまで遠くに宿場町が見えていたはずだが…………

 せ返るような緑と土のにおい。太陽の光をいっぱいに浴びた自然が発する、独特の匂いだ。

 ぐるりと辺りに視線を巡らしてみるも、樹齢百年はくだらないだろう大木がうっそうと生い茂っているのみで、ここまで半日歩いてきたかいどうあとかたもなく消えていた。

「……………………」

 つかの棒立ちのあと、男は当てもなく歩み始める。

 ────まぁ、いい。

 ここが何処かなど知らん。この先が何処へ通じているのかも分からん。

 だが別に、そんなものはいつものことだ。

 見知らぬ森を一切のちゅうちょなく進むその男の腰には、大小二振りのが差されていた。


    ◆ ◆ ◆


 くろもとちかよわい二十七歳。領地を治める武家の三男として生を受け、物心ついた頃から木刀を振り回していた。ただひたすらに強くなれ、我こそが武士さむらいの中の武士さむらいであると胸を張れるおとこになれと、武士道のなんたるかをたたき込まれて育てられる。

『朝が来るたび死を覚悟せよ。せいじゃくのひとときに雷に打たれ、火にあぶられ、刀ややりで切り裂かれるさまを想像せよ』

『武士とは何の準備もなく暴風雨にさらされたとしても、ただ一人、立ちすくせる者でなければ価値はない。どのような修羅場であっても慌てることは許されん。無様におびえ、逃げ隠れすることこそが恥と知れ。死すべきときは、ただの一歩も引いてはならん』

『命か誇りを選ぶのであれば、命を捨てることにじん躊躇ためらいも持ってはならん。そのことさえ忘れなければ、武士はただ情熱を傾けて生きるのみ。何も恐れることはない。周囲に心乱されず、ただひたすらに我が道をけ』

 父から課せれた鍛錬は剣術のみにとどまらず、槍、弓、つえ、鎌、縄など、ありとあらゆる武器術から、おんぎょうじゅつくみうちじゅつすいえいじゅつばじゅつまで多岐に及ぶ。音を上げることなど決して許されぬ修行は過酷を極め、幼い兄弟が何度も死のふち彷徨さまようほどにすさまじいものだった。毎夜れで帰宅する幼子おさなごを母は嘆き、どうか手心てごころを加えてやってほしいと父に哀願したが、その願いは聞き入れられることはなく、そしてまた、子供たちも地獄のような生活を当たり前の日常として受け入れていた。

 そんな日々を過ごすうち、まっていに武の才能が開花する。手足が伸びきる頃には兄たちを打ち負かし、すでに近隣に並び立つ者はいなくなっていた。齢十五にして己の剣に停滞を自覚した三男は、他領へつながる山道に陣取り、自作した木刀を持って通りがかりの武芸者に手当り次第、勝負を挑み始める。黒須三兄弟で最も武に貪欲な元親に、いえの領地は狭すぎたのだ。

「まっ、参った!! それがしの負けじゃ! 降参するっ!」

「…………何を言っている。まだ右腕が折れただけだぞ」

 尻もちをついて剣を手放し、したたる汗をぬぐうこともなくずりずりとあと退ずさる。

 そんな相手を冷え切った表情で見下しながら、元親は血がにじむほど強く拳を握り締めていた。

 ────何故なぜ逃げる?

 腕を折られたくらいで。眼玉を潰されたくらいで。

 ────何故怯える?

 強くもないのに剣を握るな。覚悟もないのに武士を名乗るな。

 ────何処にいる?

 俺と同じ覚悟を持つ者は。俺と同じ景色を見る者は。

 俺などしょせん、戦うことしか能のない乱暴者だ。特別でも何でもない。このはらわたが煮えくり返るような腹立たしさを、この胸を潰されるようながゆさを、共有することのできる相手が必ず何処かにいるはずだ。村にはいなかった。町にはいなかった。やまぐににも、うみぐににも、ゆきぐににも──────


『あの山には恐ろしいおにみついている。刀を持つ者は見境なく襲われるそうだ』

 そんなうわさが他領の村々にまで広まった頃、けんに明け暮れる暴れん坊は、とうとう父から呼び出しを受ける。じょちゅうに案内されたのは普段家族が過ごしている武家屋敷の居間ではなく、えっけんの間。これは父親からのごとではなく、当主としてのげんだと察した元親は、広い座敷の中央へ進むとまいを正してこうべを垂れた。

 しばしへいふくしたまま無言の時が流れたが、その静寂は叩きつけるようにして開かれたふすまの音で破られる。どしどしと畳を踏み歩く、聞く者を威圧するかのような重いあしおと。元親のひれ伏す場所から一段高い上座にどっかりと腰を下ろした父は、いんぎんに口上を述べる息子をすくめるようにしてめつけ、おもてを上げることを許すと早速とばかりに口火を切った。

「元親よ、何故そうまで荒ぶるのだ。近頃はいくさもなく、世の時流はたいへいへと向かっておる。兄たちが剣より筆をる時間が増えておることに、気づかぬ貴様ではあるまい」

 地の底から響き、みぞおちの奥にどんつうを感じさせるような、低く、高圧的な声。

 こわした角力すもうとりを思わせるだ。

 並居るどもを恐怖にふるえ上がらせてきた覇気は、かんれきを過ぎてなお健在である。

「…………恐れながら、父上。泰平などうたかたの夢。たった一人の武将の心変わりで容易に崩れる砂上さじょうろうかくにございます。いえまもるのが武士の務めでありますれば、時流がどうあれ、己のけんさんを止めるよしにはなり得ぬものと心得ます」

 聞きようによればごうまんとも取れるその発言に、父の眉が不快げにゆがめられる。

「貴様、兄たちが間違っておると抜かすか」

「そうは存じません。武士とは己の信じる武士道に生きる者。歩む道は違えども、行き着く先は皆同じかと」

わしは貴様らに同じ道を歩ませたかった」

「お言葉ですが、父上。元親は父上のなん通りに生きております。おのが武士道をさまたげる者を許すなと、信念を曲げるくらいならば死を選べと。どうしてもとおおせであれば…………命懸けで、親子喧嘩にのぞしょぞんにございます」

 ────瞬間。親子の視線がこうさくし、一触即発の危機を秘め激しく火花を散らす。

 急速に膨れ上がった殺気は両者の間の空間が歪んで見えるほどの濃度となり、広間の襖がビリビリと一斉に震え始めた。

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