転職の祈り

 この世界では、適性──職業ジョブを任意に変更することはできない。そう言われているが、実は転職の方法はちゃんと存在する。

「よーし、いざ転職!」

 ルミナスおばあちゃんに〈冒険の腕輪〉を作ってもらった翌日、私は転職をする場所に向かっていた。

 それぞれの職業ジョブごとに、転職できる場所が違う。私が志望している回復職の〈いやし手〉は、ちょうどこの街にある──〈フローディア大聖堂〉で転職することができる。


 宿から歩いて二〇分、私は大聖堂に到着した。

 街の中央に近い場所にあり、落ち着いたアイボリーに似た色合いの建物だ。窓はクリスタルでできており、高い位置にあるので中をのぞくことは難しい。入り口の前には案内の神官が立っているけれど、特に声をかけて入る人はいないので挨拶なども必要ないようだ。

 ここは誰でも入ることができる大聖堂で、〈癒し手〉系列の職業ジョブクエストを受けたり、専用のアイテムなどを購入することができるので、今後も来る機会は多いと思う。

 ひとまず今は、転職だ。私は入り口の神官に簡単に会釈をし、中へ入った。

「わ、天井が高い……!」

 思わず声に出してしまった。周囲から微笑ほほえましそうな笑い声が聞こえて、思わず手で顔を隠す。でも、ゲームではここまで見事ではなかったのだから……仕方がない。美しいものには素直に感動するのが一番だ。

 ……さて、転職場所に……っと。

「ゲームで何度も来たから内部は把握し──っ!?」

 私がルンルン気分で歩き出すと、何やら突き刺さるような視線を感じた。見ると、法衣を着ている男性がこちらに視線を向けている。

 え、誰……?

 シャーロットとして生きる今世でも、とよさとつきとして生きてきた前世でも、この人を知らない。とはいえ、私もゲームキャラすべてを覚えているわけではないけれど……。

 ──法衣に金色のしゅうと、高位の装飾品?

 どうやら相手はここで地位のある人物のようだ。そんな人が、なぜ冒険者の格好をした私を見ているのだろう?

 ……あ。もしかしたら、聖職者系の装備ではないからかもしれない。私が着ている〈猫のローブ〉は〈探検者〉や〈狩人〉が装備するものだ。こういうときは、用事を済ませてそそくさと退散するに限る。

「大聖堂へは、どういったご用件でしょう?」

 急ぎ足で行こうとしたら、声をかけられてしまった。まさか話しかけられるとは思っていなかったので、私は内心で焦る。

「え……っと」

 実は──私の職業ジョブ闇の魔法師ダークメイジ〉は大聖堂と相性が悪い。というのも、〈フローディア大聖堂〉が祭っているのは光の女神フローディアだからだ。闇は闇の女神ルルイエを祭っている〈修道院〉がある。

 この二つ、仲が悪いんだよねぇ……。

 一説によると女神同士の仲が悪いとも言われているが、その実際は私にはわからない。ゲームのシナリオがあったけれど、さわりの部分しか実装していなかった。

 とはいえ、相手は私の職業ジョブを知らないので別に問題はないだろう。私はゆっくり呼吸を整えて、笑顔を向ける。今こそ公爵令嬢のそとづらを発揮するときだ。

「お祈りをしに来ました」

「それはよい心がけですね。ご案内しましょう」

「──!」

 突然の申し出に、内心驚いた。

 だってまさか、高位の神官が案内係のようなことをするとは思わなかったからだ。しかも、私をにらんでいたし。

 もしかして〈闇の魔法師ダークメイジ〉だってばれている? いやいや、そんなまさか。あるはずない……と、思いたい。

「ありがとうございます」

 仕方がなく、私は好意を受け取った。


「ここが〈祈りの間〉です」

「ご案内いただき、ありがとうございました」

「いいえ。有意義な時間を過ごせますよう……」

 私は神官にお礼を言うと、逃げるように〈祈りの間〉に足を踏み入れた。案内をされている間に何か話しかけられるのかと思ったけれど、そんなことはなかったのでほっとした。

 廊下よりもずっと高い天井は、クリスタルの天窓になっている。まるで祝福が降り注ぐような光が辺りを照らし、とても神秘的だ。部屋の中には祈りのための長椅子があり、奥にはパイプオルガンがある。そして大理石の床に敷かれた深紅のじゅうたんの先──前方中央に、美しい長い髪と翼を持った女神フローディアの像がある。

「すごい、そうごんだ……」

 私は女神フローディアの像の前へやってきた。

 転職方法は職業ジョブによって異なるが、前提条件として〈冒険の腕輪〉をつけている必要がある。そのため、私はまっさきに腕輪を作ったのだ。

 また、転職するとレベルが1になってしまう。獲得していたスキルポイントもなくなってしまうので、最初からレベル上げなどを頑張らなければならない。

 ──私はもともとレベル上げをしていなかったから、転職しても痛くもかゆくもないんだよね。

 心置きなく転職できるし、楽しい〈癒し手〉ライフを送りたいと思っている。

 〈癒し手〉への転職の方法は、『〈エレンツィ神聖国〉の〈フローディア大聖堂〉にある女神フローディアの像へ祈りをささげる』というものだ。

 私は〈祈りの間〉を見回して、なんともいえない気分になった。

 ……たくさんの人が祈ってる。

 大聖堂なので仕方がないのだが、この中で祈るのは、ちょっと恥ずかしい。というのも、この転職……椅子に座って祈るのではなく、像の目の前でひざをついて祈る必要があるのだ。

 ゲームのときは転職をするプレイヤーも多かったため珍しくなく、まったく気にならなかったけれど、現実となるとそれなんてしゅうプレイ? 状態だ。

 夜にこっそり……ということができたらいいのだが、〈祈りの間〉が開放されているのは日中のみなので、人がいる時間に祈るしかない。仮に夜中に忍び込んだとしても、見つかって大聖堂を敵に回す方が何倍もリスクが高いのだ。

「今だけ恥ずかしいのを耐えればいい……」

 ──私は心を無にすることにした。


 深呼吸をして、ゆっくりとフローディアの像の前でひざまずく。

 数人が私を視線で追ったけれど、すぐに目を閉じて自分の祈りに集中したようだった。〈祈りの間〉にいる神官にも何も言われなかったので、もしかしたら直接祈りたい人は時折現れるのかもしれない。

 そう考えると、気持ちがちょっと楽になった。

 私は目を閉じたまま何度か深呼吸を行い、ゆっくり口を開く。


「癒しをつかさどる光の女神フローディアよ。我は貴女あなたけんぞくとなることをここに願い、世界のために祈りを捧げる」


 私が転職の祈りの言葉を捧げると、突然フローディア像が光り出し周囲の人がざわめいた。

 ──え? これは……もしかしてもしかしなくても、ちょっとやばいのでは!?

 目の前にある女神フローディアの像がキラキラと輝くのを見ながら、私は必死にゲームのときのことを思い出す。あのときは特に気にもしていなかったけれど、確かに転職のときに演出があった。

 ──すっかり忘れてた!!

 ざわざわする声は大きくなるし、神官の戸惑うような声も耳に届く。今すぐ逃げ出したい! しかし転職はまだ終わっていない。私は早く終われと祈りながら、跪いて祈るポーズを続ける。

 そして私の脳内に直接話しかけてくる、声──。

『わたくしの眷属になりたいと望む者よ、その清らかな心の願いを聞き入れましょう』

 透き通るような優しい声に、私の体は無意識のうちに震える。もしかしたら歓喜かもしれないし、女神という存在へのかもしれない。

 ……こんな高揚感、ゲームにはなかった。

 ただわかることは、やはりゲームのときと同様──転職が可能だったということだ。ドキドキ高鳴る心音を聞きながら、少しだけ肩の力が抜けた。

『本来であれば、わたくしの眷属になるための貢ぎ物が必要ですが……〈冒険の腕輪〉を持っているので、今回は不問としましょう』

 ゲームの転職のときと同じ言葉が聞こえて、私はあんしてひとつうなずく。そして無意識のうちに、心の中でお礼を告げる。「ありがとうございます」──と。

『どういたしまして』

「──っ!?」

 心の中で返事をしたら、なんと女神フローディアからも返事があった。

 現実になったとはいえ……実際に意思疎通ができることに驚いてしまった。もっとこう、一方的なやりとりというか、単なる演出だと思ってしまっていた。

 ……女神は本当にいたんだ。

『わたくしたちが人間の前に顕現することは、ほとんどありませんからね。あなたのように眷属になることを望む者もほとんどいませんから』

 どうやら私はかなり珍しい体験をしているようだ。女神フローディアはどこか寂しそうな、けれど優しい声で『楽しいひと時でした』と言ってくれた。

『それでは、あなたにわたくしの祝福を。どうぞ世界を癒しへ導いてくださいね』

 ──はい。

 私が心の中で返事をすると、祝福の星の光が降り注いだ。それから一〇秒ほど私の体が輝き、その光は消えた。

 これで転職は完了だ。

 私は〈冒険の腕輪〉を使って〈システムメニュー〉を確認する。

 きちんと〈癒し手〉に転職できたことを確認し、ほっと息をつく。ここからは自分の好きな支援職になれたので、本領発揮だ。まずはレベルを上げて、スキルを覚えなければいけない。やることがたくさんある。

 帰るために立ち上がって振り返ると、〈祈りの間〉にいた全員の視線が私に向けられていた。驚きや尊敬、畏怖など様々な視線だ。その中には、最初に私を睨みつけてきた神官の姿もある。私は隠れるように、フードを深くかぶった。

 しんと静まり返っていた〈祈りの間〉だったけれど、すぐに小さな話し声が私の耳へ届く。

「今のは……何? 奇跡?」

「女神フローディア様の像が光ったわ。もしかして、何かお告げが……?」

「あの子はいったい何者なの? もしかして、覚醒職業ジョブ……〈アークビショップ〉様?」

「私はすごいところに立ち会ってしまったわ……!」

 全員が口々に何やらすごいことを言っている。女神をあがめるかのように私を見ているけれど……私はただ〈癒し手〉になっただけで何もすごいことはしていないし、レベルだって1に戻ったばかりだ。最下位の〈癒し手〉と言ってもいいだろう。

 ──まさかこんなに注目されるなんて。

 どうしよう、どうする? だけどここで立ち止まっていたら、きっと根掘り葉掘り聞かれてしまうだろう。

 この世界で一般的とされていない転職の話をするわけにもいかない。転職自体がいけないというわけではなく、何も考えずに話し、混乱を招くようなことは避けたいだけだ。

 つまり──ここは、逃げの一択。

 私は「あはははは」と笑いながら、人々の間をすり抜けて、どうにか大聖堂を後にした。〈猫のローブ〉で素早さを上げておいてよかったぁ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る