蘇った前世の記憶(2)


    ◇◇◇


 シャーロットが生まれたココリアラ公爵家は、どちらかといえば派閥争いを嫌い中立の立場を貫いていた。さらに両親は王族と交流があったこともあり、一つの派閥が力を持たないよう、シャーロットが七歳のときにイグナシア殿下の婚約者になったのだ。

 家に関しては、別段問題はない。

 では、シャーロットは?

 王妃教育で遊ぶ間もないほどに忙しかった。というのは、まぎれもない事実だ。

 朝から晩まで家庭教師がやって来て、淑女教育、国政、外交のために他国のことを情勢から特産品などまで覚えなければいけなかった。食事のときでさえマナーを注意され、お風呂は侍女に世話をされ、唯一一人で落ち着けたのはベッドの中だけだった。


「疲れた……」

 ベッドに潜り込んだ七歳のシャーロットは、体の力を抜く。日中は勉強で緊張して、どうにも体に変な力が入ってしまうのだ。

「眠いけど、本の続きを読もうかな?」

 侍女が下がった後なので、自室にいるのはシャーロットだけだ。ベッドから出て、本棚にあるお気に入りの絵本を手に取ってベッドの上に座り込む。勇者がドラゴンと戦いお姫様を救い出すという内容の絵本だ。

「ええと、勇者がドラゴンの元に行くと、なんとドラゴンはすやすや眠っていました。……え、ドラゴン寝てるの? でも眠たいのはしょうがないよね」

 シャーロットは自分だってドラゴンと同じで眠たいくせに、目をぱちくりさせて続きを読み進めていく。

「しかし勇者がドラゴンの横を通ると、目を覚ましてしまいました。……え、大変! そのあとは……ドラゴンと戦い、引き分けになりました」

 そしてドラゴンは勇者に言いました。自分は眠っていたいだけだ、と。どうか自分の寝床であるここを荒らしてくれるな、と。勇者はこの地を荒らすようなことはしないとドラゴンと約束し、無事に姫を助け出しました。

「よかった、お姫様もドラゴンも無事だった」

 シャーロットは読み終えた達成感とあんから、ベッドの上に倒れ込む。今ならとっても幸せな気持ちで眠ることができそうだ。

「……もし、わたしがドラゴンに連れ去られたら……イグナシア殿下は助けに来てくれるかなぁ」

 ぎゅっと絵本を抱きしめシャーロットが想いをせていると、次第に眠気が襲ってくる。そのままうとうとして、すぐに寝息を立て始めた。

 こうやってシャーロットの一日は終わるのだ。


 ……なんてハードな子供時代。ゲームの内容を思い出すだけで泣きたくなってしまう。

 つまるところ、悪役令嬢をしている暇はなかった。勉強勉強の毎日。もしも子供時代に私の記憶が戻っていたら、きっと何もかも捨てて家を飛び出していただろう。

 そんなシャーロットは社交をこなしてきてはいたけれど、親友と呼べる存在はおらず、私から見れば寂しく、辛い──楽しいということを知らない人間だった。

 家族は優しかったけれど、王太子の婚約者という立場は周囲が想像している以上に重くのしかかった。シャーロットが笑顔を見せないのは、彼女のせいだけではないのだ。

 ──ということをイグナシア殿下がわかってくれていたらよかったのだけれど、自分本位の性格では、シャーロットのことを気遣うなんてきっと無理だ。私は常々、イグナシア殿下が国王になったら国はほろぶのでは? と、考えてしまう。

 ただ、救いがないわけではない。ある程度の交流がある令嬢は、シャーロットがあまり表情を変えないということを知っているので、気にせず仲良くしてくれるのだ。まるで天使。

 悪役令嬢であるゆえんは、イグナシア殿下の婚約者だから、というもの。簡潔に言えば、当て馬役だろう。


    ◇◇◇


 ──とまあ、こんな風に楽しくない幼少期から今に至るまでを過ごしてきたシャーロット。今は私でもあるけれど……その辺はいまいちどういった仕組みになっているかはわからない。ひとまず、前世の記憶だと思っておくことにする。

 イグナシア殿下は私を見て、「確か」と言葉を続ける。

「シャーロットの職業ジョブは、〈闇の魔法師ダークメイジ〉だったか」

「はい」

 その通りなので、私は素直にうなずいた。

 このゲームにはいくつかの職業ジョブ──戦闘用の役割があり、それぞれ成長していく過程で得ることができる。私は〈闇の魔法師ダークメイジ〉というなんとも悪役令嬢らしい名前の職業ジョブだ。

 〈闇の魔法師ダークメイジ〉は、相手への弱体化デバフに特化している。戦闘面では有利な状況にできるので仲間にいたら役に立つのだけれど、名前やスキルのせいでイグナシア殿下や一部の王侯貴族からよく思われていないのだ。

 ハッと私をあざわらったイグナシア殿下は、エミリアの腰を抱いて優しく引き寄せた。

「その点、エミリアの職業ジョブは〈いやし手〉だ。みなの傷を癒すその姿は、私のきさきとしても相応ふさわしい職業ジョブだと思わないか?」

「褒めすぎです、イグナシア様……」

 イグナシア殿下の言葉に照れるエミリアに、私はなんともいえない気持ちになる。もちろん、自分の隣に立つ者を職業ジョブで選ぶイグナシア殿下にも。

「そうだな……〈闇の魔法師ダークメイジ〉ならばせめて、世界の平和でも祈っていた方がいいのではないか? 笑いもせずつまらない女でも、それくらいは国のためになることをした方がいい」

 そう言って、イグナシア殿下はエミリアと一緒に笑う。

「…………」

 私は言葉が出なかった。

 いくらエミリアが好きとはいえ、婚約者に対してこんなことを言うなんて……と。なんだか、とても残念な気持ちだ。

「国民に愛されない妃など、必要ない。それに……シャーロット、お前はエミリアを陰でいじめていただろう? 婚約破棄と同時に、国外追放を言い渡す!」

「殿下、それは──」

「言い訳は聞かぬ」

 確かにゲームと同じ展開だけれど、本来ならば婚約破棄という重要なことはイグナシア殿下の一存で決めていい案件ではない。両家で結ばれた婚約を、当事者だからといって「やーめた!」はできないのだ。そんなこともわからないのだろうか。

 しかし殿下は、私が自分との婚約を破棄されるのを嫌がっていると判断したようだ。これはもう、話が通じないだろう。この王太子殿下は自分が一番正しいと思っているのだから。殿下はにやにやしながら言葉を続ける。

「たとえお前が私に未練を抱いていても、もう遅い。出ていってもらおうか」

「わかりました」

「そんなに嫌がっても、決めたこと──なに!?」

 私が素直に頷くと、イグナシア殿下は目を見開いた。きっと、こんなに聞き分けがいいとは思わなかったのだろう。隣ではエミリアも同じように目をしばたたかせている。

「な、泣いて許しを乞えば、罪をもう少し軽くしてやることも……考えなくはないぞ?」

「結構です。私はこの国を出ていきます」

「え、いや……シャーロット、本当に──」

 焦りだしたイグナシア殿下を尻目に、私はくるりと背中を向けて出口へ向けて歩き始めた。後ろから殿下の声が聞こえてくるけれど、すべて無視だ。

 私が歩くと、遠巻きに見ていた人たちがざああっと波が引くように道を空けていく。その表情はいぶかしむものが多く、ほとんどの人がイグナシア殿下を支持しているのだということがわかる。王太子殿下を敵に回したくはないだろうから、仕方がない。

 ──まあ、私はまさに今、敵に回してしまったのだけれど……。

 私は扉まで歩くと、くるりと振り返って会場を見回した。ゲームで登場したこの場所を見ることは、きっともうないだろう。

「失礼いたします」

 その一言だけで、会場を後にした。



 私は会場を出ると、すぐに走り出した。

 扉の外に控えていた、中での出来事を知らない騎士が不思議そうな顔をしたけれど、それに構っている暇はない。

 ……早くここから離れたい。

 まっすぐ伸びた廊下の壁には等間隔に魔道具の明かりがともされ、たくさんの花が飾られている。敷かれた深紅の花柄のじゅうたんは足音を消してくれるので、気持ちは少し落ち着いた。

「はぁっ、は……」

 普段の運動不足がたたったようで、すぐに息切れが起こる。が、ゆっくり休んでいる暇などないので苦しいのを我慢して足を動かす。この国を出たら、勉強より体力づくりを優先しよう。


 ヒールのせいで転びそうになりながらも、私は馬車の停車スペースへやって来た。

 ここは従者が来る場所なので、貴族の娘が来るだけでとても驚かれる。でも、エントランスホールに馬車を呼んでいる時間も惜しかった。

「はぁ、はぁ──っ!」

 呼吸を整えながら前を見て、私は息をんだ。

 王城を背にした私が見たものは、満天の星と月と、わずかに輝く街の光。魔道具で街灯のようなものは設置されているけれど、日本に比べたら全然少ない。その分、星の光がよくわかる。

 ゲームで目にしたよりもずっと、何倍、いや、何百倍も美しく幻想的な世界がここにはあった。もっとこの世界を見たいと、純粋にそう思った。じんと胸に込み上げるものがあって、自然と涙が浮かんでくるほどだ。

「──あっ、流れ星!」

 きらりと光った一筋の線。願い事を三回と考えるよりも早く消えてしまい、苦笑する。流れ星に三回願いを告げたらかなうと言われているけれど、ぶっちゃけ無理だ。だって「あ」と言ったらもう流れ星は消えているから。

 ……残念。

「でも、私の願い……か」

 平日の夜と休みの日はゲームをしていたし、課金のために社畜の日々を送っていた。本当は山歩きとかが好きだったけれど、足を怪我して以降はやめてネットで世界の景色を検索したり、写真集を眺めるばかりだった。

 そういえば、記憶が戻る前──子供時代のシャーロットは冒険の絵本が好きだったことを思い出す。自分では外へ出て冒険できないことを理解していたからか、そういったものに憧れていたように思う。

 ……もしかしたら私たちは、似た者同士なのかもしれない。

「す──は──」

 私は大きく空気を吸って、ゆっくり吐いた。どこか自然の味がして、ほおが緩む。空に顔を向けると、少し赤みがかった月がある。この世界では当たり前の光景だけれど、とても新鮮で幻想的だ。ほかにもゲーム世界ならではの景色があることを私は知っているし、それは私の心をわくわくさせ、胸を高鳴らせる。

「もっと見たいなぁ……」

 悪役令嬢に転生させられたと思ったら考える間もなく断罪イベントが始まり、ふざけるな! と文句を言いたいところだったけれど……この景色は、それすらどうでもいいと思わせてくれた。


「決めた! 私はこの世界の景色を余すことなく堪能する!」


 社畜も強制的に卒業したことだし、大好きなゲームの世界だし、いったい何を遠慮する必要があるだろうか?

 とっても晴れやかな気持ちだ。

「──って、今はそれどころじゃなかった」

 私は慌てて周囲を見回し馬車を見つける。公爵家の馬車はオフホワイトのボディにパールゴールドの縁取りが施され、花のランプがるされているのでとても目立つのだ。

 ……まさにお姫様の馬車、って感じだね。

「すぐに馬車を出してちょうだい!」

「えっ!? は、はいっ!」

 会場にいるはずの私が連絡もなくやって来たことに御者はすごく驚いたけれど、何も聞かずに急いで馬車を出してくれた。後ろからは公爵家の護衛が馬でついてきてくれる。

「ありがとう! 帰るから、屋敷へお願い」

「わかりました」

 国外追放を言い渡されたのだから、一秒だって早くこの場を後にしたい。そして身の振り方を決め、この国を出ていくのだ。

 馬車の窓から外を見ると、もう王城の敷地内から出ていた。

「……大丈夫、私には『リアズ』の知識があるもの」


 これからは王太子の婚約者ではなく──自由な私として生きよう。

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