蘇った前世の記憶(1)

「夜会のときくらい、もう少し笑顔を見せられないのか?」


 ため息交じりの低い声が耳に届いて、私は目を見開いた。視線の先にいたのは、輝く太陽のような金色の髪を持ち、どこか見覚えのある男だ。

 突然、自分に向けられたであろう失礼な言葉に表情をしかめそうになるが、しかしそれ以上に今の私には気がかりなことがあるし頭痛もひどくなってきた。なので、正直に言ってこの男性の言葉に構ってなどはいられない。

 ──これはいったい誰の記憶で、今の私は誰?

 呼吸が浅くなって、頭はガンガン殴られているかのようだ。立っているのがつらくて何かにつかまりたいけれど、近くに体を支えられそうなものはないし助けてくれそうな人もいない。

 思わずふらつきそうになると──

「なんだ、体調不良のふりでもするつもりか? 逃げ出そうとしても、そうはいかない」

「──っ!」

 こんなに辛そうにしている相手に、なんということを言うのだ! と、口元が引きつる。

 自分のことだけで精いっぱいなのに、どうしてこんな無遠慮な人のことを考えなければいけないのか。そう思ったところで、その最低な男と目があった。

 ──あ、イグナシア殿下だ。

 瞬間、私はこの人物が誰なのかがわかってしまった。

 何度か深い呼吸を繰り返す。

 しんらつな言葉をかけてくるこのイケメンは──私の婚約者であり、乙女ゲームの攻略対象者だ。

 イグナシア殿下の整った顔立ちが、私の視線を受けてしかめっつらになる。婚約者だというのに、私の顔を見るのが大層おいやらしい。

 少し落ち着いてきたからか、状況が見えてきた。段々と自分のことを思い出してくる。どうやら私は、この世界と前世、両方の記憶を持っているみたいだ。


 笑顔を見せないとちょうしょうされた令嬢、シャーロット・ココリアラ。

 それが今の私の名前。

 ここ、ファーブルム王国のココリアラ公爵家の娘だ。

 アッシュレッドの瞳を持つ表情は、あまり喜怒哀楽を示さない。それは公爵家の令嬢としてそのように教育されてきたからと思われがちだが、単に興味がないものに表情筋を使っていなかっただけのようだ。

 ミルクティーの色に似たホワイトブロンドの腰まである髪は、手入れが髪先まできちんと行き届いている。一束だけ下ろしてまとめた夜会用の髪型はの装飾品で留められて、落ち着きがありつつも華やかだ。

 ドレスは瞳の色に合わせ、髪飾りと同じ深いワインレッド。オフショルダーのAラインのドレスは胸元に黒のレースと宝石が飾られ、袖口は薔薇のつぼみの形になっていて、スカートの部分は腰に布を寄せて薔薇のリボンで飾り、レースを幾重にも重ねたデザインになっている。手にはショート丈のオフホワイトの手袋。

 現代では着る機会などなかっただろう自分のドレス姿が、なんだか気恥ずかしい。

 そして生い立ち。──と言えば聞こえはよさそうなのだけれど、残念ながら特別な力もない普通の小娘だ。ただ、親が公爵という地位で、自身の婚約者がこの国の王太子であるイグナシア殿下という以外は、だけれども。

 イグナシア殿下とは幼少期に親が婚約を決め、二人ともに現在の一六歳に至る。


 そしてたった今、頭痛と一緒によみがえったものがある。

 それは──前世の記憶。

 ……最悪かも。

 私はイグナシア殿下にばれないように、小さくため息をついた。その理由は、転生したらしいこの世界のことを前世の私が知っているからだ。

 ──どうやらここは、私が前世でプレイしていたゲームの世界らしい。しかも私の役どころは、悪役令嬢。

 笑う気力もないというものだ。

 別に主人公になりたいなんて言いはしない。けれど、わざわざ敵役にする必要はないのでは? と、思わずにはいられない。

「……いつまで黙っているつもりだ?」

「! ああ、失礼いたしました」

 再び声をかけられ、私は自身だけではなく、周囲にも目を向ける。

 私がいるのは、パーティー会場だ。

 高い天井には魔法石を加工したシャンデリアがこうこうと室内を照らし、壁沿いの柱は花と草木の彫刻がほどこされている。場所は王城だろう。

 大勢の招待客が楽しそうに談笑し、ダンスをし、食事を楽しんでいる。そんな人たちから少し離れ、一段高いところにいるのが私とイグナシア殿下だ。

 ──なんだか見覚えのある風景。

 しかも、嫌な方向で。


 私の横でまったく楽しくなさそうにしているのは、イグナシア・ファーブルム。

 落ち着いた金色の髪は、中央で分けて後ろで一つに結んで肩の前に下ろしている。空色の瞳は明るい空というよりも、冷えた氷のようだ。

 盛装はダークブルーの上着に差し色として水色が使われており、右に群青色の片マントをつけている。

 黙って立っていれば整った顔立ちの美青年だ。

 花の国と呼ばれるここファーブルム王国の王太子なのだが、ぶっちゃけて言うと彼には心酔している令嬢がいる。私という婚約者がいるくせに。最低な男だ。私は今しがた思い出した前世のゲーム知識があるのでそのことを知っている。


 そして自分の行く末は……と、ゲームのシナリオを思い出す。しかし、それほど酷いことにはならなさそうだぞと、私は胸をでおろす。

 別に、悪役だから死亡ルートがあるとか、そんな酷いゲームではなかった。ハッピーエンドのときも、バッドエンドのときも、国外追放されるだけだ。まあ、救いがないという風にもとれる。

 ただ、貴族の令嬢としてはかなり重い処罰だろう。だって、国外追放された地で、多少の面倒は見てもらえるにしろ……お金もほとんどなく身分を失い、どうやって生きていけというのか。

 まあ、私は前世の知識があるからぶとく生きられるけれど!

 と思いつつも、実はこの乙女ゲーム、ちょっと特殊なところがあるのだ。それは、このゲームがただの乙女ゲームではなくて──

「きゃあぁっ!」

「え?」

 ふいに真横から聞こえた声で、私の思考は中断させられる。何事かと隣を見ると、れんな少女……このゲームのヒロインが涙ぐんで私を見ていた。

 ──え? どういうこと?

 たった今、記憶が蘇ったばかりで、まだ状況整理だってきちんとできていない。というのに、次から次へと厄介なことが起きるのはどうにかしてほしい。

 ヒロイン──初期ネームは『エミリア』だったはず──は、白いドレスに赤ワインの真っ赤なシミを作っていた。一目でグラスの中身がこぼれて悲惨な状態だということがわかる。おそらく、イグナシア殿下と話をするためにやって来たのだろう。

「……大丈夫ですか? エミリア様」

 私がため息をつきたいのを我慢しつつ声をかけるも、エミリアが何か言葉を発する前に、イグナシア殿下が彼女をその背にかばった。

「エミリアにワインをかけるなんて、いったいどういうつもりだ」

「このドレス、イグナシア様が贈ってくださったものなのに……」

 ──なんて?

 思わず目が点になってしまうところだった。私は考え事をしながらただ立っていただけなのに、言いがかりにも程がある。ワインを持っていたのだって、私ではなくエミリアだというのに。そもそも、かけるどころかぶつかってすらいない。

 しかしここでぎゃあぎゃあ騒ぐのは淑女としてよろしくないと判断し、私は無表情ばかりであまり仕事をしない表情筋を動かして微笑ほほえんでみせる。

「いえ、私はぶつかってなど──」

「言い訳は見苦しいぞ、シャーロット。私がエミリアにドレスを贈ったのが気に食わなかったのだろう?」

「──……」

 反論は許さないと、イグナシア殿下が私の言葉を制止した。

 ついつい、婚約者がいるのにほかの令嬢にドレスを贈ったんかーいとツッコミそうになってしまったが、我慢した私は偉いと思う。


 イグナシア殿下の後ろで震えているのは、エミリア。

 腰まであるこげ茶色のロングヘアには白い真珠の装飾品が散りばめられ、エメラルドグリーンの瞳はわずかに揺れている。口を開かなければ、おしとやかで清楚な印象を受ける女の子だ。

 純白のドレスは肩を出すAラインのシルエットが美しく、腰回りには花の装飾がされている。スカート部分が裾に向けて白からブルーグレーへと色合いを変えているのは、おそらくイグナシア殿下の盛装の青と合わせているのだろう。

 エミリアは貴族ではなく平民だが、たまたまお忍びで城下へ行ったイグナシア殿下が、たまたまをしてしまい、そこにたまたま居合わせたエミリアが回復魔法で助けたところから二人の恋物語が始まるのだ。さすがは乙女ゲーム、都合がよすぎる展開が盛りだくさんだ。


 小さく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 ──なるほど、ね。

 今の状況を私は知っている。

 正確には、ゲームでプレイしたことがある……だけれども。イグナシア殿下と私が二人でいるところにやって来たヒロインのワイン添えは──エンディング間近の悪役令嬢断罪シーン。

 つまり私は、今から婚約破棄を言い渡されるのだ。


 きらびやかなパーティー会場では、盛装に身を包んだ貴族たちが楽しく歓談をしていたけれど、今やその視線は私たちに向けられている。興味本位のような、あわれみのような……いろいろなものが混ざっているだろうか。けれど、私たちに関わりたくないともその目が訴えている。

 イグナシア殿下は遠慮せずため息をつき、私を見た。

「今日まで私の婚約者であったが──そろそろ限界、か」

 ぽつりとつぶやかれた言葉には、温かさなんて一つもない。優しい瞳と穏やかな声は、すべて隣にいるエミリアに向けられている。私なんて、厄介な婚約相手以外の何者でもないのだろう。

 けれど、私がいったい何をしたというのだろうか。

 私の意識が覚醒する前のシャーロットは、悪役令嬢というわりには大人しく、つつましやかに過ごしていた。

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