第7話 その名もバタリスト、梅江留

 これを見ればあなたの人生も変わる。

 全信者が感動した、心を震わす成り上がりストーリー……ここに開幕。


「もう! いい加減将来のことを考えてや!」

「うるさいな……ちゃんと考えてるよ」


 美林ミリン梅江留ウメェルは恋人同士だった。美林はバタリストである梅江留を支え、同棲してもう数年。だが梅江留は未だバタリストとして芽が出ず、いつしか自堕落に過ごすようになっていた。


「アンタがバターで世界一になる言うとった情熱はどこに行ったんや! こんなんじゃいつまで経っても立派なバタリストになんてならへんで!?」


 息ができなくなるようなそんな停滞した時間に美林は叫ぶ。自分のためにもそして梅江留のためにも、ここで声を出さないと梅江留は終わると思うから叫ぶ。だけどそんな美林の声でも、梅江留は寝っ転がって何も言わなかった。


「~~~ッ! 昔のアンタはそんなんじゃなかった! この焦げたパンケーキが!!」


 ドタタと美林が部屋から去っていく。

 残るのは最早抜け殻と化した男のみ。


「分かってるよ……オレが焦げたパンケーキだってことぐらい……!」


 だが現実を知っているのは梅江留もだった。情熱、理想、それらをもってしても梅江留はバタリストとして大成できなかった。

 そんな辛い現実にいつしか心は折れ、梅江留は何もしなくなっていった。自分もこのままじゃいけないことぐらい自覚しているというのに、それでも奮起するには自分は最早焦げ過ぎていたのだ。




 それからしばらくして、夜になるまで外で空気を吸っていた梅江留が家に帰る。だが扉を開けた瞬間、強烈な焦燥感が梅江留を襲った。


「美林?」


 いつものように電気で明るかった部屋は暗いまま。美林がいたことで密かに温かさを感じていた心が、今や妙に冷えている感覚がする。


「美林、どこだ?」


 探せど探せど、そこに最愛の彼女はいない。するとふと、梅江留はテーブルの上に置いてある紙を見つけた。


「なんだこれ……これって!?」


 美林の字で短く書かれていた手紙だった。


 そこに書かれていたのは。


『――実家に帰らせていただきます』


 美林からの、別れの言葉だったのだ。


「そんな……そんな……!!」


 いいや、分かっていた。

 彼女が出て行ったのは、彼女の献身に甘えていつまで経っても立ち止まったままの自分のせいであることは重々承知していた。これは何もしない自分に巡ってきた因果なのだと梅江留は理解している。


 だけど、それでも。


「クソ、クソ……! オレだって、オレだって……!」


 自業自得だとしても嘆かずにはいられなかった。


 いつまでそうしていたのかは分からない。朝と夜が何回巡ってきたのかも数えていない。自分はこのまま終わるのかと、今まで以上の諦観が心を支配している。


 そんな時だった。


 ガチャリ。


「……よぉ」

「遼か……」


 親友の遼が部屋に入ってきた。彼が部屋に入ってこれるのは当然だ。親友には合鍵の場所も教えており、こうして自由に出入りができるのだから。


「美林に聞いたぜ……実家に帰ったんだってな」

「……」

「で? お前はどうしてそこで燻ぶってんだ?」

「……説教しに来たのか」

「当たり前だろ」


 遼がうずくまる梅江留に近付く。

 そして彼の胸倉を掴んで持ち上げた。


「お前は美林が帰ってもなんも思わねぇのか!?」

「グッ……こんなオレと一緒にいるよりかは幸せになれるだろうさ……!」

「バカヤロォーッ!」

「ぶげらッッッ!?」


 遼が放った渾身の一撃が梅江留の顔面に突き刺さった。


「お前が美林の幸せを語るんじゃねぇ! 美林はなぁ、アイツはお前と一緒にいる時が一番幸せだったんだよ!!」

「!?」

「だがそんな自分の幸せを捨ててまでお前から離れたのは! それがお前のためにならないと思ったんだ!!」


 遼の言葉に梅江留が息を飲んだ。


「目ぇ覚ませよ……のお前がそんなんじゃ、いつまで経ってもあのは幸せになんねぇぞ」

「父、親……」


 遼から発せられた衝撃の事実に梅江留は目を瞑る。思い出すのはバタリストとして大成する夢を持った記憶。そしてそんな自分を支えると言ってくれた最愛の人との思い出。それらを経て、梅江留は目を開ける。


 そこには以前よりも真っ直ぐとなった目があった。


「周りが何倍も努力していることは理解していた……それを見ずにオレはただ自分に才能がないんだって思っていた」

「馬鹿野郎……お前は天才だ。ただ努力をしてこなかっただけなんだよ」

「あぁそうだ……自分すら裏切って、オレは不貞腐れてた」


 梅江留は親友である遼に目を合わせる。


「変われるかな……オレ、変われるかな……!?」


 そんな梅江留に、遼は笑みを浮かべる。


「やって見なきゃ分からねぇだろ」




 アーティストオーディション当日。


 様々な参加者たちの前で演奏を披露するオーディションにて、一人の老人と一人の美少女が審査員をしていた。


閃莉センリ殿、次の参加者は?」

「梅江留さんという方ですね。バターで演奏するようです」

「ほう、バタリストの方か」

「それでは呼びますね。梅江留さん、アピールをどうぞ」

「はい」


 閃莉の言葉にバターを持った梅江留が前に出る。そんな彼の姿を参加者の一人である美瑠符雨みるぷーは目を細めた。


(へぇ良いバターを持ってんじゃん……だけどそのバターを使いこなせる力量が、君にあるのかな?)


「演奏をすると聞いておるが」

「はい、オレはバターで世界一になるという夢を持っています。だからこの機会を物にして夢に近付きたいと思います」

「なるほど、良い覚悟じゃ」

「それでは演奏をお願いします」

「はい!」


 見ててくれ、遼、美林。

 そしてまだ見ぬ我が子よ。


「それでは行きます……『パンケーキの歌』」


 バターの包装を取り、梅江留は静かにバターを掻き鳴らした。その瞬間バターの香りがオーディション会場全体に包み込む。


(こ、これは……なんというバター捌き!?)


 美瑠符雨はこれほどまでに華麗にバターを使いこなす存在を見たことがない。まさに天性のバタリスト。バター捌きによって飛び散ったバターが顔に当たっても幸福と思えるのは初めてだった。


「これは……!」

「凄い!」


 老人と閃莉が驚嘆の声を上げる。

 今まで嗅いだことのないバターの風味。これが梅江留が歌うパンケーキの歌なのかと誰もが立ち上がる。


(見てくれ……これがオレの焼き様だ!)


 バターを一つまるまる消費した梅江留。もうこれで思い残すことはない。そうして彼はゆっくりと腕を下ろし、これで自分のアピールを終わらせた。


「これで、以上となります」


 梅江留が奏でたパンケーキの歌の余韻は未だに周囲の観客の心を掴んで離さない。それほどまでに彼のパンケーキの歌は衝撃的だった。そんな中、先に我に返ったのは審査員である老人だった。


「――素晴らしい」

「!?」


 審査員から発せられる称賛の言葉に梅江留は目を見開く。


「濃厚バターの風味に良い焼き加減のパンケーキ……まさに至高の演奏料理と言えよう……」

「じ、じゃあ今回の試練は!?」


 審査員の言葉に思わず梅江留が声を上げる。そんな彼の反応に老人は笑みを浮かべると――。




「ダメ」

「え?」

「 ダ メ 」




「不合格のようですね……」

「そんなあああああああ!!!」


 僕が発したトドメの言葉にウメェルさんは膝をついた。

 どうやらウメェルさんが悩みに悩んでようやく作り上げた『たっぷり濃厚ジャイアントカウバターのパンケーキ』は、オル太老の試練を突破できなかったようである。

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