第3話 クリアに向かって! ……えっ
「さぁ、塗るわよ」
「うんっ、うぅん……くすぐ、ったい……っ」
フィリンさんがマーカーだれを漬けた刷毛を僕の腕に塗っていく。刷毛の感触がくすぐったく、つい声が漏れ出てしまう。
「……本当に坊主か?」
「嬢ちゃんの間違いでは?」
「……僕は男ですが?」
そこ、うるさいです。
まぁちょっと平均よりも声が高いのは確かですけど。
「声が高いってレベルか?」
「どう見ても女の子にしか見えん」
「ちゃんと、男ですがぁ?」
いい加減しつこいなぁもう!
「はい、終わったわよ」
「ふぅ……ありがとうございます」
「いい? このマーカーだれは水ですぐ洗い流せちゃうから水に触れないこと。あと三分経過しても気化して効果が切れちゃうからちゃんと気を付けて」
それは果たして醤油だれなのだろうか。
「勿論、時間制限が来る前に私も頑張ってルースにマーカーだれを塗って来るから、その間になんとか彼らを引き離してね」
「……はい!」
さて、ここから僕の『こんばこ』内での初戦闘になるわけだ。
見張りのいないマフィアの屋敷の入り口に立ち、そっと扉に手を置く。親父さんたちは離れて注文の準備をしてもらい、フィリンさんは入り口から死角になるように隠れている。
開始の合図は僕の覚悟だけだ。
「それでは……行きます!!」
覚悟を決めて、僕はマフィアの屋敷の大扉を開いた。
そして注目を集めるように大声を上げる。
「そこまでだ!!」
『っ!?』
一瞬にして黒服の人たちが僕の方へと見る。
奥を見れば天井から逆さ吊りにされてブラーンブラーンと振り子のように遊ばれているルースの姿があった。
「誰だてめぇ!」
「いやおい待て、なんて可愛い顔をしてやがるッ!」
「くっ、俺の好みドンビシャだとぅ……!?」
「おいおいついに俺の運命の人が来たって事かぁ!?」
こ、こいつら……!
どいつもこいつも勝手に言いやがってぇ!?
「僕はそこのルースっていう人に用があるんです!!」
そう自棄になるよう叫ぶ。
するとさっきまで僕のことで取り合っていたマフィアの人たちが急にスンと静かになった。
すると。
「ほう……この若造に用、ねぇ……」
「!?」
そう言って、ルースのいる付近から何かが立ち上がる。
「で、でかい……!」
ここから距離もあるし、周囲の黒服のせいで視界が悪いというのに、それすら超えるデカさだ! それに怖いよ! 何か貫禄がありすぎる!
「おれはぁ、このザルド・ファミリーのボスをやってるザルド・フォーランドだぁ」
「ごくり……」
「嬢ちゃんよぉ……まさかとは思うがこの若造を狙っている女かぁ?」
「は?」
いやちょっと何言ってるのか分からないです。
え、狙ってるとは?
ナチュラルに女扱いされているのはまぁ置いといて、いったいどこの世界にチャラ男みたいな人を狙う女の人がいるんだ?
「残念だったな嬢ちゃん! コイツはもうおれらザルド・ファミリーのもんよぉ!」
いや僕はいらないんですけど。
そんな僕の心を理解できるはずもなく、ザルドとやらが事の経緯を説明し始めた。
「コイツはなぁ……泣く子も黙るおれの娘、カトリーナをナンパする度胸があり……尚且つ襲撃してきた敵対組織からカトリーナを連れて逃げ出した恩人なのよぉ!」
「……えぇ」
予想外にドラマ生まれてんじゃん。
じゃあなんでその恩人を逆さ吊りにしてるのさ。
「礼も兼ねて娘と結婚させるって言ったらコイツ断ったんだよぉ!!」
「えぇ……」
「いったい娘のどこが不満なんだこの野郎!!」
そりゃあマフィアの娘と知らなかったからじゃないんですかね。多分知ってたらナンパとかしてないと思うんだけど。
ってかなんか既視感のある光景だな。ルースさんって結婚話を破談にするプロかなんかですか?
そう思っていたらルースが涙交じりに言い訳を始めた。
「違うんですぅ!! やっぱりボスの娘と私じゃあ身分とか世界とか色々違うんで結婚は難しいと思ったんですぅ!!」
「じゃあなんで娘にナンパしてきたんだぁ!!」
「……………………あ、あまりにもぉ……そのぅ、高貴のオーラでつい声を?」
「じゃあ結婚しろよゴラァ!!」
コイツ、墓穴を掘る天才か?
「ふぅ……とまぁ、そんな感じだ嬢ちゃん。残念だがコイツのことは諦めな」
やばい、話が振り出しに!
ええい、もうこうなったら……!
「そ、そんなわけにはいきません! その、彼はその……ぼ、私と結婚するんです!」
『…………』
うーんやっちゃったなこれ。
と、思ったら。
『えええええええええええ!!?』
「どう見てもチャラ男だぜ嬢ちゃん!」
「男を見る目がないぜ嬢ちゃん!」
「いったいこんな奴のどこがいいんだ嬢ちゃん!」
なんか思った以上に反響があるなぁ!
かなり複雑な気分だけど、付け入る隙は今しかない!
ここでヘイトを買うんだ!
「か、彼と私は相思相愛なんです! ラブラブなんです! 今は、その、些細な喧嘩でこう、自棄でナンパとかしてますけど、やっぱり私のことを忘れられないから結婚を断ってると思うんです! 多分!」
おええええええええ!
なんでこんな事をしてるんだ僕ぅぅっ!
絶対信じてくれないよこれぇぇ!
『な、なにいいいいいいい!?』
嘘だろ信じるのかよやめてよもう!
「くっ、娘との結婚を断る理由があの嬢ちゃんにあるだとぉ……?」
「くっ、相思相愛じゃあ諦めるしかないのか……?」
「くっ、こんな可愛い子と喧嘩して放っておいたのか……?」
「くっ、なんて奴だ……!」
マズイ、ヘイトがルースに向かおうとしている!
「……いいや、ここで嬢ちゃんの存在を消せばコイツも結婚を受け入れる筈だぁ」
と思ったらヘイトがこっちに向いたぁ!
「お前らぁ! あの嬢ちゃんを捕まえろぉ!!」
『り、了解!!』
よし、ちゃんとマフィアの手下が僕に向かってくるぞ。
これで僕は彼らをルースから引き離すだけだ!
「逃げたぞ、追え!」
こうして、僕は手下に追われながら屋敷中を走ることとなった。
――でも。
「うわぁ!」
危ない。背後から危うく捕まるところだった。
うん! やっぱり無理があると思います!
このゲームに体力と言ったステータスパラメーターは見えない。全ての数値はマスクされており、プレイヤー側から見ることも干渉することも出来ないのだ。
ただ重要なのは隠されているということ。厳密に言えば見えないだけでちゃんと存在しているという点。
基本は現実の身体能力を基準にしているのは確かだ。
敵を倒し、クエストをクリアしてスキル熟練度を上げていけばちゃんと成長し、それに伴いキャラのスペックも底上げされていく仕様だ。
それでまぁ結論、何を言いたいのかと言うと。
「今の僕に勝ち目なんてないんだよね……!」
序盤は完全に現実の身体能力なのだ。
当然僕は現実で格闘技をやったことも、運動神経が特別いいわけでもない。全くの凡人。全くの素人である。
これがコンシューマーとかのアクションゲームだったら得意なんだけど、自分の体で動かす系のスポーツは平均ぐらいの評価だろう。
そしてその平均が、この『センリ』というキャラのスペックなのだ。
「これを三分の間引き付けて逃げるって……」
――はっきり言ってキツイ。
このゲームにスタミナ要素がないとはいえ、捕まらないように逃げ続ける集中力がどこまでもあるわけじゃない。背後から無数の手下に追いかけられ、屋敷の構造に疎い僕がいつまでも逃げられるわけがないのだ。
「っ!」
「あそこへ逃げたぞ!」
逃げるよりもどこか隠れた方がいいのかも知れない。
ゲームの中でも僕はかなり小柄だ。だから物置なり倉庫なりへ隠れたらそうそう見つからないはず。
「どこへ行った?」
「ボスのところへ戻るか?」
いや、マズイ。そうじゃない。
僕は引き付けなければならないんだ。
身を隠してしまうと、せっかく引き付けた手下たちがルースの下に戻ってしまう。
くっ、僕はいったいどうすれば……!
――ガタッ。
「!?」
「なんだ? どこか物音がしたぞ!」
見つかる……!
いや違う、僕が気にするべきは物音がした原因の方だ。
僕の前で落ちて物音を立てたのは、中央に弦があって、まるで洋梨を半分に切ったような形状のボディのそれは。
『入門用吟遊詩人のリュート』
「っ! はっ……はっ……!」
まるで希望に縋るようにリュートの下へと近付く僕。
これだ。僕がこのゲームで求めていたものだ!
ジョブの主な解放条件は二つある。
ジョブクエストの進行もしくは達成をするか、特殊な行動で手に入れるの二つ。そしてこの『吟融詩人』というジョブの習得方法、それは。
入門用吟遊詩人のリュート。
吟遊詩人として一歩を踏み出すあなたへ。
手には楽器を。そして伝える勇気があれば。
それだけで君は吟遊詩人だ。
『ジョブシステムを解放しました』
『ジョブ:吟遊詩人の習得条件を満たしました』
『ジョブ:吟遊詩人を習得しますか?』
笑うしかない。ご都合主義と思えるほどの幸運かも知れないけど、これはまさしく運命と言えよう。
「まさかこんな形でなるとは思ってなかったけど……」
それでも僕は、震える手でリュートを手に持った。
『入門用吟遊詩人のリュートを入手しました』
『入門用吟遊詩人のリュートを装備しました』
『ジョブ:吟遊詩人を手に入れました』
『ジョブをジョブ:吟遊詩人に設定しますか?』
「は、はは……!」
幼少の頃から歌うのが好きだった。
いつかは楽器を持って歌いたいと思っていた。
そんな願望を叶えるために、このゲームをやり始めたと言っても過言ではない。CTuberの配信で見た楽器演奏が目に焼き付いて離れないぐらいに僕はこの時を待っていたんだ。
『ジョブ:吟遊詩人になりました』
笑う。
これで僕は『こんばこ』内で念願の吟遊詩人になれた。
だけど悦に浸っている暇はない。
「……よし」
さぁ、ここから反撃の時間だ。
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