第62話 告白
三枚のガードを躱しながらスリーポイントシュートを決め続ける氷織には、誰もが言葉を失っていた。
大盛況を見せた男子バレーの準決勝のことなど今この瞬間は誰も覚えていない。
場の雰囲気が……否、球技大会というイベントの全てが掌握されていくような感覚。
それだけの可憐さが、美しさがそこにはあった。
そして、最後の瞬間を決めるシュート。観客の誰もが、そのボールが綺麗にゴールを抜ける光景を待ち望んだ。
期待した。
「あ……」
声が漏れた。それは僕のものだったのか、隣にいる潮海のものか、そのまた隣にいる成瀬のものだったのか。
放たれたボールがゴールのリングをなぞり、その外側に落ちたのだ。
一瞬遅れて聞こえるブザー音。
試合終了の合図。
閉会式にて、球技大会の総合優勝は例年通り特進クラスが持っていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
大会終了後、解散を告げられた教室内の盛り上がりは中々のものだった。
僕らのクラスの成績は総合2位。
優勝こそ逃したものの、毎年3位までを独占する特進クラスを押し退けての2位。
無論悔やまれる声もあったものの、その多くは大健闘を讃えあうものだ。
その騒がしい教室内を僕はさっさと抜け出す。
理由は簡単。氷織のやつがいつの間にか姿を消していたからだ。
どこに行ったのかなんて深く考えもせず、足の趣くままに、特別棟の階段を登り、屋上へと続く扉を開ける。
「……」
いた。
学校において完璧な姿を見せ続ける金髪の美少女……ではなく。
黒髪の美少女。
その艶やかな黒が彼女の本来の色であることを知っている。
顔を伏せてうずくまるその瞳には、紫ではなく、薄い紅色が潜んでいると知っている。
「おい」
声をかけると、ゆっくりと顔をあげ、赤らんだ瞳でこちらを見た。
「……ッ」
そして再び顔を伏せた。んだこいつ。めんどくさいなぁ。
「また泣いてんの?」
彼女の長袖の裏側を確認した。相変わらずだ。
「っ……つきくん……っごめん……なさっ……ふぇっ」
嗚咽混じりに謝る氷織を見つめながら、僕は慰める言葉を考える。
「謝ることないでしょ。氷織は頑張ってたじゃん」
実際、特に氷織は何も悪いことはしていないので、言葉は簡単に出てきた。
「つーか、謝るのは僕だし。啖呵切っといて、結局結果出せなかった。ごめんね」
最善は尽くしたつもりだが、どこかでもっと上手くやれていたかもしれないし、目標に届かなかったのなら、僕の努力もきっと足りなかったのだろう。
氷織が母親から与えられた課題をこなせなかった以上、今後のことも考えなければならない。
「ちがっ……それは……私のっ……せいで……でもっ……そうじゃ……なくて……ごめ……ごめんなさい……ごめんなさい」
「……?」
途切れ途切れに謝り続け、要領を得ない氷織の言葉には意味があるのか、それすらも判別は難しかった。
謝る必要など皆無だと言っているのに、何をそんなに謝ることがあるのだろう。
溢れる感情をうまく言葉にできていないだけなのかとも思ったが、氷織には何か明確に言葉にしたいことがあるのかもしれない。
その後もしばらく氷織の謎の懺悔は続いたが、僕は意味を急かすこともなく、そんな氷織の様子を見つめ、浮かんだ言葉をかけ続けた。
面倒とは思うが、僕はその行為が嫌いではなかった。
「最後にっ……ボールを……持った……ときねっ……」
体の反応が少し治まったのか、かろうじて氷織の言葉に整合性が生まれ始めた。
「あまちのことがあって……それで……つきくんが……私のためだけじゃなくて……もしかしてあまちのためにも……って……それがっ……怖くなっちゃ……ぐすっ」
「あ?」
やはり整合性などない。何言ってんだこいつ。今潮海のことに何の関係がある。どうでもいいだろが。
「し、試合……がんばって……がんばらないと……つきくんの……がんばり……無駄になっちゃうって……でも……」
「いや……僕の頑張りって」
氷織を助けるために僕は頑張ってたわけで、その助からなければならない本人の頑張る動機が僕になってるのはおかしい。
「でも……でもねっ……つきくんが……私だけを……見てくれないかもって……不安で……最後……うまくいかない方が……つきくんが……こうして……慰めてくれるの……わかってて……私……ずるいこと……ずるい……ごめん……なさいっ……」
「……」
続く言葉も結局……僕。
僕、僕、僕。
つきくん。三咲月夜。
こいつはいつも僕のことばかり。
その最初の理由さえ、僕は知らないのに。
「今もっ……私っ……だめって……わかってるのに……うれしいのも……あって……かまって……ほしくてっ……嫌いに……ならないでっ……」
なんとなくだが、要領を得てしまった。そう、要領を。全ての要領を。僕の心の奥底の何かが、吹っ切れる音がする。だめだと塞いでいた、取り繕っていた穴が開く。
氷織の中の拗れて、溢れる感情を、常人には理解し難いのであろうその感情が、僕にはスッと落ちてくる。
「つまり、最後のシュートを外したのはわざとで、僕が今こうしてお前を慰めるのも計算づくだと?その方が、僕がお前のことを気にかけるって?」
「……ごめんねっ……ごめんねっ」
氷織の正直すぎる言葉が、告白が、僕の中で蹲っていた何かを解いて、溢れさせてくる。
遠ざけたい一線がまた近づく。
近づいて、迫って。
その一線を僕は今、自分から引き寄せて……そして……踏み越えてしまうのだろうと……なんとなくわかった。
僕は息を大きく吸い込んだ。
少しだけ氷織が身を縮こまらせた。
僕は息を大きく吐き出した。
「……僕の方がずるい」
「……え?」
「一つ聞くけどさ……お前……そんなに僕なんかが欲しい?」
わかりきっていることを、それでもと、僕の汚くてずるくて臆病な心は、彼女に問うた。
「……ふぇ?」
「そんなに僕なんかが欲しいのかって!そう聞いてるの!さっきから話聞いてんのかお前!」
「う、うぅ……聞いてるもん……」
「じゃあ答えてよ」
初めて彼女が顔をあげて、こちらを強い眼差しで見た。
「……欲しいっ……つきくんだけが……ずっと……何よりもっ……」
「……」
想定以上の迫力と、面と向かって伝わる気持ち。
感情の方向性が同じだからか、ここまでで一番の感情が乗りながらも、その言葉はひどく澄んでいた。
それでも……今の僕は動じなかった。
「……僕も同じだから」
僕が押し殺してきたもの。
彼女の気持ちと僕のそれは、果たしてどちらが大きいのだろう。
彼女を知り、言葉を交わし、心に触れて、溢れ出たそれはきっと、僕が恐れる昔の僕自身にあったそれよりも、はるかに大きなものだ。
それに名前をつけるのは簡単だけれど、簡単な言葉で括りたくないと、今はそう思ってしまうほどで。
(それでも…………初めてだ)
自分の気持ちの大きさで他のやつに負けるかもしれないなんて思ったのは。
いや、それはここで彼女に出会った時から、ずっとそうだったのかもしれない。
それを理解して、安心して、ようやく言葉にできる僕は、誰よりもずるくて、弱い。
「…………え?」
だから、
「だから!僕もお前が……氷織だけが欲しいってっ!そう言ってんのっ!聞き返さなくてもわかってよ!……わかってるん……でしょ」
「!!!」
「氷織……僕は君がすき。すき、すき、すき。付き合ってくれなきゃ……死ぬ」
「〜〜〜〜!!!!!」
言った。言葉にした。
彼女の気持ちが、依存という言葉で解釈できるものだと知っている。
僕の気持ちが、依存という言葉で解釈できるものだと知っている。
それは今でもきっと変わらない一面で、正しくないことなのだろう。
それを理解して、受け入れてしまう僕は、きっとこの先、気持ちの悪い、人としておぞましい何かになってしまうのだろうと思う。
何かにつけては彼女を理由にする。
行動を起こす度に彼女のためと。
失敗する度に彼女のためだから仕方がなかったと。
嫌な思いをする度に思うのだ、彼女がいるから自分は大丈夫と。
それはきっと彼女も同じで。
僕はそれを受け入れて、彼女もそれを受け入れる。
いつか後悔する日が来るのかもしれないと、辛い目に遭うのだろうと、ひどく恐ろしかった。
そうならないようにと、努めてきた。正しくないからと、成長できないからと、ずっと頑張ってきたのに。
それなのに言ってしまったのは、結局のところ簡単な話。
理性が本能に負けた。それだけ。
依存という一線をどうしようもない開き直りと正当化で、踏み越えた。
考えてもいない。感情のままに、理屈を無視して、どうなってもいいと、本能に従った。
滑稽な話だ。
彼女を引き上げるつもりが、僕が彼女に引きずり込まれるなんて。
元の場所に戻されるどころか、さらに深いところまで。
僕は……弱かった。
そして思う。
(ほんとそれの……何が悪いんだろ)
僕にはわからない。
視界が暗転していた。
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