第53話 コソ練 2
成瀬と潮海に教えを乞うことになったわけだが、サーブ、レシーブ、トス、スパイクと満遍なく教えたがる二人の意向を無視して、僕はレシーブだけを練習させてもらうよう意見を通した。
「……っ」
しかし僕は、肩慣らしに成瀬が打ってきた軽めのスパイクを受けきることができなかった。
じっと成瀬の方を見たままの僕の目に、遠慮がちな表情が映った。
「三咲お前……わかっちゃいたが……そこそこヘタクソだな」
「……黙れよ。まだ始めたばっかだろ。あと、700時間以上もある。早く次打ってこいよ」
「おぅ……またずいぶんと偉そうだなぁ……」
「あなた……その言い分……」
「あん?どした雨音。なんか気になることでもあったか?」
「いえ、なんでもないわ。次、私いい?」
「あいよ」
そんな軽い調子で潮海が打ってきた回転のかかりまくったふざけたボールを当然僕は受けきれず、尻もちをついた。
「はは、雨音のボールは受けづらいだろ。回転だけは俺のよりたぶんかかってるからな」
それでも、僕は最後まで潮海から目を離さずその動きを脳内に焼き付ける。
圧倒的な勢いと速さで反応すら難しい成瀬のスパイクと、ボールに触れても打ち上げるのが難しい潮海のスパイク。それぞれ特性が違ったのは僕にとって好都合だった。
二人の体の使い方を生で体感し、踏み込みからその指先の動きに至るまで記憶する。真似しやすそうなのは案外潮海の方だろうか……。
「あ、ちょっと大丈夫?」
「問題ない。次早く打って」
わざわざ駆け寄ってくる潮海に適当に答えつつ、成瀬を睨んだ。するとニヤリと笑った成瀬が言う。
「今朝の修斗に対する挑発といい、俺の提案をあっさり受け入れたことといい、もしかしてお前、今回の行事にガチなのか?どういう風の吹き回しだ?」
うるせぇな。ガチでいいだろ別に。
くそ、いつもの僕ならこんなのにガチになるとかアホくさって見下す側なのに。
「でもこの感じ覚えがあるぜ。また、あの黒髪美少女絡みだろ?」
「だからうるせぇって言ってんだろ。早く練習に付き合え……合ってください」
「ふっ、言われてねぇしそれ。いまさら取ってつけたような敬語で変なわきまえ方もしなくていいから」
「……三咲、燐の言う黒髪美少女って誰のことよ」
くそ、こいつもうるさい。成瀬のやつ、余計なことを。
「くくっ、ずいぶんと食い付いたな雨音。そんなに気になるのか?」
「なにかしら……その含みのある言い方は」
「いやぁ別に。俺が見たのはお前と有栖川にすら引けをとらないすげー綺麗な女で——っと」
ベラベラと余計なことを話そうとする成瀬に、ボールを全力で打ち込んでみるが、あっけなく打ち上げられてしまった。
「ちっ……」
思わず舌打ちがこぼれるが、打ち上げられたボールの軌道がほんの少し、それでも明らかにズレたを見て、手応えを感じた。
やはりこちらの方が僕に合っているみたいだ。
僕の体格が成瀬よりも潮海のそれに近いからかもしれない。
「今の……いや……気のせいか?」
その後も飽きもせず二人にボールを打ち込み続けてもらっていると、最終下校時刻を知らせる放送が流れた。
「……ふぅ、終わりみたいね」
「ずっと打ち込むのもなかなか疲れるなぁ……」
「二人とも、今日はありがと。それじゃ」
二人がそんな風に一息入れるのを尻目に、それだけ伝えた僕はチャキチャキと、道具を全て片付け、帰り支度を整えた。
「あ、おい三咲!お前明日もこの時間ここにいるのか?」
「……たぶん」
「じゃあ気が向いたら明日も付き合ってやるよ。嬉しいだろ?」
「嬉しくはないけど……都合はいいね」
「こら、生意気言ってると明日は来てあげないわよ?」
なんでこいつも当然のようにくる気でいるんだろう。
そんなことを考えながら、僕は帰路についた。
◆◇◆◇◆◇
「あ……おかえりなさい……つきくん」
「ただいま——ん?」
すっかり遅くなったので、てっきり母さんの出迎えかと思ったが、そこに捉えた姿は想像と異なっていた。
「ご飯にする?お風呂にする?それとも——」
「氷織……なんでうちにいるの?」
家の中で氷織が僕の帰りを待っていたという事実や乱された心にふざけたセリフで追い討ちをかけられる前に、なんとか平静を装いつつそう聞いてみる。
「……!」
すると氷織が降って湧いた幸運を得たかのような顔で、一歩近づいてきて、僕の頭を抱き寄せた。
「お、おい……」
相変わらず目眩のするような温かさと柔らかさは、学校帰りの身体にはまるで麻薬のようでもあった。
「おうちに来たのに……つきくん……いないみたいだったから……ご飯作って……待っててあげようかなって」
回答になっているようないないような、耳元で囁かれる氷織の言葉に、霧夜ねぇが彼女に合鍵を渡していたことを思い出す。
母さんや霧夜ねぇに氷織の存在が知られてしまった以上、僕にとっては金曜日に固執して家に来てもらう必要もない。
以前からその気は強かったが、もはや全てが氷織の都合次第というわけだ。
口に出した疑問には納得がいったものの、他にも突っ込むことはあった。
「……な、なんで急に抱きついてくるんだよ……いきなり心臓に悪いって」
寝不足時の起床に必要な気力の数倍は振り絞って氷織から離れて言うと、不思議そうな顔が目に映った。
「だって……つきくんが私にする……って。疲れちゃったんじゃ……ないの?」
「はぁ?そんなこと言って——」
言いながら、氷織が零したテンプレのセリフを途中で遮ったことで、そうとも取れなくもない会話の流れになっていたことに気づく。
「はぁ。とりあえずご飯食べる」
揚げ足を取られたような気分になりつつも、妙に得心の言った僕が氷織に連れられてリビングに足を踏み入れると、珍しくさらに二人の女が僕の姿を捉えた。
「あら、月夜。おかえり。お姉ちゃん先にお風呂入っちゃったから今日は一緒してあげられないわよ」
「いつも僕が一緒に入りたがってるかのような言い方するな」
「つーちゃんおかえり〜。今日はひーちゃんが手伝ってくれたから夕飯期待してていいわよ〜」
「……そう……」
食卓に視線を送れば、確かに氷織が手を入れたと納得できる繊細な盛り付けの施された献立が並んでいる。
「……ふー」
ひとつ息を入れた後、ソファでくつろぐ霧夜ねぇとキッチンで洗い物をしている母さんを見て、僕はこの状況に突っ込む言葉を整理した。
「まず、霧夜ねぇ。なんでいんの?こないだ帰ってきたばっかりじゃん」
「お母さんが今日はひおちゃんと美味しいご飯作るってメッセージきたから。ちょうど暇して近くで飲んでたし」
こんな時ばっかり母さんの連絡に気づくとは。というか大学生ってそんな暇なんだろうか。
「そういえば母さんも最近帰ってくるの早いような気がするんだけど……」
「うふふ、ひーちゃんが来てるかもって思ったら自然と足が速くなっちゃうのよねぇ。お家に帰ってきてつーちゃんじゃなくてひーちゃんが出迎えてくれた時は嬉しくて抱きついちゃったもの」
「あ、それ私もやった。ひおちゃんすごく可愛いし、いい匂いするし、おっぱいも大きいから、すぐ抱きしめてあげたくなるわよね」
「最後のは関係ないし、なんでそこまで魅了されてなお上から目線なんだよ。お願いだから、二人とも氷織に迷惑かけないでよ」
「かけてないわよ。ねー、ひーちゃん」
「ひおちゃん、こっちきたらお姉さんまた抱きしめてあげるよ」
「……!」
氷織が存外顔を輝かせて、霧夜ねぇの方に足を向けそうになっていたので、僕はそれを無理矢理止める。
「だめだって。氷織は僕とご飯食べるし」
「あー!つーちゃんがみんなのひーちゃんとったー!」
「いい歳して幼稚園にいるクソガキみたいなムーブするな!」
本気か冗談かも判別がつかないようなトーンで野次を入れてくる母さんに文句をつけると、氷織が珍しくあわあわとあっちこっちに視線をやるので無理矢理引っ張って食卓に座らせた。
それを見ると、母さんも霧夜ねぇも、自然と食卓につく。
皆なんだかんだ僕が帰るまで食事を待っていてくれたのか、あるいは、単に氷織目当てなだけか。
普段より騒がしくも圧倒的に美味な食事を終えると、僕は早々に立ち上がる。
「……つきくん……お風呂?私……洗ってあげようか?」
「あ、ひおちゃん、お姉さんが月夜の綺麗な洗い方教えてあげる」
「……ふざけんな。必要ないし、僕はちょっと……庭で軽く食後の運動というか……」
「あら珍しい。つーちゃんが運動なんて」
うちの庭はお隣さんがやたら高い石壁で敷地を覆っているおかげで、壁打ちがやり放題なのだ。
玄関には旧体育館から拝借してきたバレーボールが一つ放ってある。早朝にあらかじめ学校の許可をとっておいたものだ。
「あ……つきくん……もしかして」
母さんが怪訝そうな顔をするのに対し、氷織は僕が何をするのかわかったようだった。
立ち上がりつつも、夕飯の後片付けに後ろ髪を引かれる氷織の様子を見て、霧夜ねぇが気遣うよう軽く微笑んで言う。
「片付けはお母さんと私がやっとくから大丈夫よ」
テキトーなくせに相変わらず察しだけはいい姉だ。氷織は霧夜ねぇに向かって軽く頭を下げた後、言う。
「つきくん、私も……一緒にやって……教えてあげるね」
僕は軽く頷いて氷織とともに庭に出た。
◆◇
現段階で今度は打ち込みの練習を徹底したかったので、氷織には僕のフォームのおかしいところや、改善点を見てもらい、打つたびに矯正してもらうことを頼んでみた。
氷織が運動全般を過剰に得意としていることはわかっていたので、見てもらえればある程度練習効率が上がることは見越していたのだが、想像以上の振れ幅だった。
氷織に教えを乞う度に、自分の中の打ち込みの違和感や邪魔をしてくる変なクセみたいなのが抜けていくのがわかった。
「つきくん……打つ時の姿勢……崩れてきたよ……こっち……おいで」
「……」
もっとも、矯正を受ける度に氷織に至近距離で身体をあちこち触られるという問題点はあるが。
「もっと力……抜いてね。あとは踏み込みの軸足の向きと……膝のバネ……それからほっぺた」
「おい、最後の絶対関係ねーだろ。なんで最後に僕のほっぺた触った?」
「か、関係あるもん……」
学校でも感じたが、最近は氷織の僕に対する距離の近さに遠慮が無くなってきている気がする。
もともとあってないようなものだったような気もするが、僕の帰宅直後なんかもあわせて、特に顕著なのは確かだ。
僕も感覚がおかしくなってきている気がする。
「リズムも崩れてきてるから……ほら……またおてて繋いで?一緒にタイミング……測り直そう……ね?」
「……うん」
氷織が呟くタンタタンという擬音を僕も真似しつつ、つなぐ手の温度から意識を逸らして、氷織のリズムを身体に覚えさせる。
側からみればふざけているようにも見えそうだが、実際その後一人で打ち直してみると妙にしっくりくるのだからどうしようもない。
そんなことを繰り返しながら、妙な恥ずかしさを堪えきれなくなってきた僕は口を開く。
「あれから……家の方はどう?またなんか言われたりしてない?」
僕の家に来れているということは大きな問題はないのだろうし、球技大会までは安泰だと思いたいが、心配は心配だ。
「……うん。大丈夫。でも……球技大会の日は……家の人が……見に来るみたい」
「そりゃいいね。勝ちを疑われる心配がなくなる」
聞いた通り、氷織の家の人はプライベートにはあまり干渉してこないらしいが、やはりその能力に関わることについてだけは徹底しているようだ。
「つきくん……」
「まだ不安?」
「ううん……そうじゃ……ないの。今、つきくんと……こうしていられるのが……すごく楽しくて……好き……だから……そう思うほど……」
氷織の言いたいことはよくわかる。
僕とて……失うことが怖くて、ずっと、どの方向にも踏み出せないままなんだから。
「結局不安なんじゃんか。心配いらないよ。負けないし、負けたってなんとかするし」
それでも、うちにある固い気持ちだけを失わないように言語化し、その意志を確かなものにしていく。
「うん……」
氷織がこうして笑ってくれるから、僕の気持ちが折れることは、きっとない。
「そういえばつきくん……なんだか打ち方のくせがあまちに似てるように見えるときが…………あるよ?」
「……」
「そこだけ……何回やっても……直らないね?ほら……またこっち……おいで?」
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