第51話 僕にできること

(つきくん……それ……なに?)


潮見と成瀬が話し込んでるのを見計らったか、ここにきてから僕の携帯画面がずっと気になっていたらしい氷織が小声で聞いてきた。


(見ての通り情報収集さ。各競技、各選手のデータを集めてクラスの連中に提供してやるのさ)


うちの高校は行事での活躍が内申点に大きく響くので、他校に比べても、行事の積極性はかなり高い。


とはいえ、所詮は球技大会。


部活の公式戦でもないのだから、これだけガチる奴もそうはいまい。


ほんの少しの情報収集ですら十分なアドバンテージになるはずだ。


(すごい細かいデータ……そんなの……何人分とる……つもり?)


(知らね。一ヶ月で取れる分だけ取るつもりだよ)


(……!そんなの……大変……疲れちゃう……よ?)


(うるさい。僕はやる)


(つきくん……)


(疲れたら……頼っていいんでしょ?)


(う、うん!なんでも……してあげる)


(……そ。じゃあ早く松原のとこ行ってきて。僕のメッセージ見たんだろ)


言葉の意味を深く考えないように意識的に思考を切り替えて言うと、氷織が不満そうな顔をした。


(うぅ……じゃあ……いってきます)


◆◇



「それでひおりんは……って三咲!ひおりんとの距離が近いわよ!何してるの!」


潮海は相変わらずちょっと氷織と話したくらいでぴーぴーうるさい。氷織のことに関しては本当に過敏な奴だ。


「ご、ごめん。で、でもこのくらいべ、別に……」


「ほー、肩が触れ合うような距離がか?」


「……?」


あ?そんなに近いわけが……


「ん?どうしたの三咲くん?」


改めて氷織の綺麗な顔を確認するとそんな声が返ってくる。


「え?あ……い、いや……」


いつもの黒髪の氷織の姿と目の前の氷織の姿がチカチカ切り替わってブレるような、そんな錯覚にクラッときてしまう。


確かにこの距離は近い……のか?まずい、なんか感覚がおかしくなってるかもしれない。


僕があげた淡い紫のカラーコンタクトはそろそろ使い切っているはずだが、氷織の瞳の色が元の紫に戻ることはない。おそらく自分で同じものを買い足してくれているのだろう。


自分の行動が氷織の姿を変えているという事実に、謎の背徳感のようなものを覚えてしまうのは、おかしいんだろうか。


もしも……このまま僕が望むままに……彼女の姿を支配したのなら……


「とにかく離れなさい!」


「……!」


潮海によって強引に氷織から引き離され、ふと我に返り、僕は片手で頭を抑えた。


様々な初めての感情に乱回転していた思考が、厨二病ポーズと潮海のおかげでようやく静まった。


潮海のわがままもたまには役に立つようだ。


「それでひおりん、何か用があったんでしょ?」


「あ、うん。そうそう、るいるいに用があったんだった。ちょっと行ってくるねー。バイバイ」


「あ、こら、そんなコートのど真ん中突っ切らないの!」


風のように去っていくの氷織を潮海が追いかけていった。そして今、残った成瀬がこちらを向いて、相変わらず面白がるような、見定めるような、そんな目で僕を見て、言う。


「三咲お前……意外と有栖川と仲がいいのか?こそこそなんか話してたろ?雨音のやつ、ちょっと拗ねてたぜ?」


「……」


僕が苦笑いをキめて、黙秘権を行使すると、成瀬は諦めたように手を上げて首を振った。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


旧体育館を後にし、今度はフットサルの練習が行われている第二体育館へ移動した僕が、目を引く動きをしたやつのデータを片っ端からとっていると、氷織からメッセージが飛んできた。


『(氷織)つきくん……松原さんから……つきくんが欲しがってたの……もらえたよ』


僕が欲しがっていたというのはもちろん、種目別の名簿。


球技大会で誰がどの種目に出るか、全校生徒分のデータである。


『(氷織)つきくんの言う通り……私が知ってる……運動が得意な人には……印……つけた』


そんなメッセージとともに、氷織からデータファイルが届いた。


『(三咲)ありがとう。助かるよ』


氷織には警戒が必要な相手のリストアップを手伝ってもらうことにしていた。


氷織はもともとの人気と知名度から、学校で顔が広いし、生徒の名前もよく記憶しているから、うってつけだ。


『(三咲)調べる必要がありそうな生徒が見つかったらどんどん印を更新して。僕は印ついた生徒のデータを取れるだけ取るから。』


逆に情報収集そのものは彼女がいると目立つし、特に男子はプレイに精彩を欠くことが多いので、僕だけで行う必要がある。


『(氷織)つきくん……私のために……ありがとう。私も……頑張るね』


『(三咲)お前はいつも頑張ってるからそんなに頑張らなくていい。僕が頑張るから』


「(氷織)じゃ、じゃあ……つきくんは……疲れたら……すぐに私のところに……くるんだよ?』


『(三咲)……わかってるよ』


氷織とのやり取りを終えると、ちょうどチャイムが鳴った。球技大会前にだけ設定された、出場種目の練習時間の終了を告げるものだ。


「今日はここまでか……」


そしてそれは、僕がデータを収集できる時間の終了を告げるものでもあった。


部活動に励む生徒たちはここから本業のスポーツに戻り、練習を始める。


今日手に入れた情報を数十分ほどかけて、軽く整理した後、僕は旧体育館に戻った。


普段は使われていない旧体育館にはもう人は残っておらず、明かりも消えている。


空模様も暗さが増しているので、やたらと点くまでに時間のかかるその電気を点け直し、一人倉庫からバレーボールの入ったかごをひいてくる。


ボールを一つ取り出す。そして……


「……っ!」


一本、全力でサーブを打ってみると、想像以上に弱々しい音とともに、大きな動きに自分のメガネがカシャ、と床に落ちる音が、旧体育館に遅れて響いた。


小学校時代は僕だって、年相応にサッカーなり野球なりで遊んでいた時期はあった。特にサッカーはそれなりに得意だと自負もしていたが……


「それがどうした……ってね。はは」


現状の僕が陰キャ相応にうまく身体を動かせないことは事実なわけで、もっというなら僕が出る競技はサッカーでなくバレーである。


「それもどうした……っ!って話だけどね」


ボールを打つたびに落ちていくメガネを拾うのが煩わしくなった僕は、せめて視界を広げるために氷織にもらったヘアピンで前髪を留めた。


そして自問自答を繰り返すことで己の士気を高め続ける。


今の僕がどうだろうがやれることを全て限界までやる。それだけだ。


僕一人が少しうまくなったくらいでクラスの勝利に大きく近づくわけじゃない。だけど、無駄なわけでもないから。


しかし、何度か見た成瀬や逆巻のプレーとは勿論、氷織や潮海のプレーとも月とすっぽんくらいの差がある。


三咲すっぽんに改名しようか迷うレベル。


こんな状態なら一人でやるよりも、誰かに教えを乞う方が効率はいいのだろうが、無駄にプライドの高い僕にはそんなことはできないのである。


というか、その必要がない。


携帯を取り出し、あらかじめあたりをつけていた動画投稿主のチャンネルを開き、再生ボタンを押す。


『はい、どうも皆さんおはこんばんにちわ。今回なんですけれども、誰でもすぐにジャンプサーブが入るようになる方法をね——』


ふはは、見たか。今時ぼっちでも、効率のいい練習は可能なのだ。なぜなら僕には画面の向こうに無限の味方がいるのだから。Z世代舐めんなっつの。


「なるほど……まずはトスから練習した方がいいのか」


まずは何度かトスを行い、理想のトスの位置を探す。


それを見つけたら、そのトスが落ちる位置に印をつけて……そこに寄せるように安定するまで繰り返す。


余裕余裕。


などと心中で思いつつ、動画で研究しながらさまざまな練習を試していくと、


「言う通りにやってもうまくいかねぇんだけど!もっとわかりやすく教えろや!これ無理じゃん!」


そんな文句も出てきてしまう。


「……なんて言ってる暇すらない、限られた時間の全てをものにしろ僕」


けれど、それすら僕は踏み潰し、トライアンドエラーを繰り返しながら、ボールを打ち込む。


自覚できるほどに集中力が高まり、謎の全能感が身体を支配し始めたころだった。


キュッと、体育館を誰かが走る音がして、俊敏に動いた影が目の前で止まり、


「ほい、レシーブ」


そんな軽い調子で、僕のサーブを受け、打ち上げた。


「くくっ、久しぶりに見れたな、その顔。一人で何してんだよ?」


「燐!急に走り出すんじゃないわよ。掃除道具はそっちじゃ——」


こんなに見開いたような目をする潮海を僕は初めて見たかもしれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る