第48話 慰めと約束

「その……気……紛れた?」


結局氷織をうまく慰めることに繋がったのかを確かめるべく、そう聞くと、


「……うん。心の中……どきどきと……嬉しい……ばっかり。えへへ」


優しくてほんのりと赤らんだ、そんな微笑みが返ってくる。


だいぶいつもの調子が出てきている。


そしてようやく僕は、次の段階に進むことができる。


「落ち着いたんなら親に何言われたかくらいは吐けよ。我慢するな」


「あ……う、うん……えっとね……あのね……」


氷織がぽつぽつと、電話の内容を自分の家のことを含めて詳しく教えてくれた。


出自について。普段の稽古や教育について。

もしかしたらいつか……自由を奪われる日が来るかもしれないこと。


氷織は感情については語らなかったから、それをどう思っているのかは完全に理解なんてできないけれど、僕は、その感情の方向性を汲み取れないような愚か者ではない。


「そっか」


大体が予想通りで驚きとかはあまりなかった。結局、僕が考えなきゃいけないこと、悩まなきゃいけないことは何も変わらない。


ただ、氷織を苦しませる事実を改めて聞かされるのは、嫌な感じだ。


「大変だったね」


僕はただ、氷織の気持ちにそっと寄り添うようにそう呟いた。


「うん……大変……だったの」


僕はまず、いつも氷織がしてくれることをまず返してあげなくちゃいけないと、そう思った。


「よしよし。頑張っててえらかったね」


共感を与えつつ、頭を撫でてやる。


すると、


「うん……!うん……!それでね……それでね……」


氷織はそれをもっと欲しがるように、せかせかと子供のように話を進めていくので、僕は言い方を変えた同じような言葉で相槌を打ち続けるのだった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆



氷織の愚痴にも似た、散らかった感情を僕に吐き出し切った後、


「それでね……球技大会で……みんなを勝たせないと……いけなくて……でも……私には……そんなの……」


「へー。それはなんか……面白そうだね」


氷織が悩みを話してくれた段階で、僕は氷織と異なる感想を呟いていた。


不謹慎にも、ようやく氷織のために何かを頑張る理由ができそうな予感が、身を震わせたような、そんな感覚だったから。


「お、面白い?」


「だってなんか漫画みたいな展開だし。弱小高を優勝させろーみたいな」


まぁ、うちの部活は強豪ばっかだが。


「で、でも……失敗できない」


「ナンセンスだね。失敗できないわけないよ。失敗しない人間なんかこの世にいないんだから。どーせ氷織の親だって何回も失敗してるに決まってるんだ。自分だってできやしないくせに、それを子供ができないと怒る。理不尽な話だよ」


「で、でも……お母さんが失敗するの……想像できない」


「そりゃ今の氷織のお母さんと比べたらフェアじゃないよ。高校生の頃は氷織のお母さんだってものを知らないクソガキだったに決まってる」


「そ、そうかな……?」


「ミスらないのが一番だけどさ。ミスってもいいよ。もし氷織が自由を奪われて、僕とあんまり遊べなくなっても、僕が頑張って、たくさん遊べる方法考えるからさ。すぐには思いつかないかもしれないけど、思いつくまで頑張り続けることは約束できるし。問題が明確なら、理性とプライド飛ばして本気出せば割と大抵のことは何とかなるんだ」


僕らみたいなネガティブな人間にとって、何かに挑戦するときは、成功に向けた努力よりも、失敗しても問題ないというメンタリティを作る方が重要なこともある。


「あと……なんていうか……何ができるかわかんないけど……氷織が怒られないように……僕も手伝うよ……。もし怒られちゃったら……たくさん……慰めるし」


「うん……うん。つきくん……私もね……私もね……頑張るから……だからね」


そんな言葉を僕が捲し立てていくと、氷織はそれを最後にもっと欲しがるように意味のない言葉を続けて甘えるような上目遣いをしてくる。


どうやら今日の分の慰めがまだ足りないらしい。


「はぁ……えっと、氷織はいつも頑張っててえらい。大変だったね。すごい。でも頑張らなくてもえらいから大丈夫。嫌になったらいつでも逃げていいからね。逃げ場はいつでも用意してあげる。生きてるだけでえらい。元気出せ」


「……うぅ」


ゆっくりと、思いついた言葉を並べながら頭を撫でてやると、氷織は泣き出してしまった。


「な、泣くなよ……」


それが悲しみによるものではないことくらいわかってるけれど、僕は少し困ってしまう。


「ねぇ……つきくん……」


「な、なに?」


「ぎゅってしていい?」


「な、なんで?い、嫌だよ恥ずかしい」


「だめ……私の言うこと一個聞くって……約束した」


「うぐっ……」


そういや、保健室で潮海のやつが無理矢理そんなことを言いつけてきやがったっけか。くっ、何か抵抗する術は……


「……嬉しくて我慢できないの……我慢しなくて……いいんでしょ?しちゃうね」


「うわっ」


甘い匂いと、温かな柔らかい二つの感触が、僕を包んだ。頭がチカチカするような、強烈な情報力。


「えへへ……つきくんは……そんなに頑張ってでも……私と……遊びたいの?」


「むぐっ……はぁ?な、なんだよ。今は僕がマウント取るターンだったはずだろ。びーびー泣いてるくせに上からくんなってば」


「つきくんはどうしてそんなに……私を慰めるの……上手なの?」


「し、しらな……もご」


「心臓の音……さっきはよく……聞こえなかったよね?どう……かな?私の音……ちゃんと……聞こえる?」


甘い体温と極上の柔らかさに眩暈がする。


それなのに、少し早い彼女の鼓動は、それ以上に加速しようとする僕の鼓動を沈めてくる。


どきどきと安心感がせめぎ合う心地よさに、思考がふらっと消えそうになる。


「……き、聞こえるから……ぎゅーぎゅーするな。う、動かすなってば」


「……や。……ちゃんと……覚えて?つきくんが……私を生かしてね?約束……だよ?」


これは……まずい。氷織がこちらに近づけば近づくほど、僕が踏み込んではいけない依存というその一線が、近づいてくる。わかっている……わかっているのに。


「……そのくらい……任せとけ。球技大会、僕も手伝うから」


僕が繋ぐ言葉は、また、その一線を引き寄せてしまう。


「〜っ!」


氷織が抱く力をさらに強めてくるのを感じつつ、僕の頭はこれから先のことを静かに考え始めていた。


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