第47話 お医者さんごっこ


玄関に続く廊下で、俯いてしゃがみ込む氷織の表情はよく見えないが、その気持ちの沈みようはもはや推測する必要性もない。


なんだこいつ。最近リスカしてないって自慢げにしてきた矢先にこれか。


そりゃメンヘラが簡単にリスカをやめられるとは思わないけどさ。


「別にお前がやめられなくったって問題ねーよ。僕がすぐやめさせるから」


「……うぅ」


「はん、さては親になんか言われたな。怒られてやんの。悪い子だ」


さっきまでは大分機嫌が良さそうだった。それだけ嫌な電話だったのだろう。


「……わ、私、つきくんと違って……いい子にしてるもん。きょ、今日はたまたま……」


「ほーん。じゃあいい子を怒る氷織の親は悪い親だね」


「そ……それは……」


「ま……いいや」


軽く冗談で濁してみたが、原因の予測くらいついてる。


「……たぶんそれ、僕のせいだよね。もしかして氷織今日何か家で大事な用事あった?」


「つ、つきくんのせいじゃないよ!私がぼーっとしてたのが悪いの……」


「いや……じゃあ、その、何か僕にできることある?」


氷織はそんな風に言うけど、たぶん客観的に悪いのは僕だ。せめて何かお詫びを……少なくとも氷織のメンタルは必ず安定させてやらなければならない。


「ううん……」


くそ、僕が譲歩した時に限って、遠慮してきやがって。

そんなことを考える元気もないと言ったところか。


ならば、僕にできることを自分で考えるだけだ。足が痛いなどと、小学生の徒競走前の決め台詞を吐いている場合ではない。


「はぁ……もう、こっちこい!」


「……ひゃ」


氷織の腕を取り、無理矢理リビングまで引っ張り出して、ソファに座らせた。


とりあえず無理矢理にでも他のことを考えさせて、いつもの調子を取り戻してもらおう。


いつの間にか居間に放ってあった道具を持って、氷織の隣に僕は陣取る。


「つきくん……それ」


「せっかくあるんだし……ちょっと遊んでみようよ」


遊びに使うのは無論、氷織が持ち込んだ聴診器。


「でもさっきつきくん……恥ずかしいって」


「事情が変わったし……帰る前に……少しだけ。どきどきしたら……気もまぎれるかもしれないじゃん」


あぁ、何言ってんだろ僕。ちょっとおかしくなってきたかも。まぁいいや、どうにでもなれ。


「どきどき……したくないの?」


「し、したい……つきくんと……どきどき」


氷織の紅に染まり出した頬は相変わらず僕の気持ちを動かそうとしてくるが、今はそんな場合ではない。


とりあえず同意は得たし、思いつきでやってみるか。お医者さんごっこ。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



えっと確かマホヤミのミオザくんは心臓の鼓動を聞くだけで、その人の深層心理、果てはその人の過去や未来に至るまで見抜けるんだよな。

僕もできるかな。


「今日はどうされましたか?」


「あ……えっと……全体的に身体の調子が……悪いです」


「それは大変ですね」


「はい……あの……何か重い病気な気が……します」


「かもしれませんね」


「心臓のところとか……たくさん音がして……変な感じが……するので……しっかり診てほしい……です」


そんなことを言う氷織の心臓部に目を向けようとすると、豊満な膨らみが僕の心を乱してくる。


うん。できねーわこれ。くそ、ミオザくんは相手が男だろうが女だろうが、顔色一つ変えないってのに。


「あの……聴診器……当てないの?」


「うるさいですね患者さん。今準備してるの」


「ふふ……何の……準備ですか?」


仕方ない、まずはハードルの低い場所から行くか。


「ま、まずはお腹の調子を見ます」


「……お腹?つきくん……お腹が好きなの?」


「うるせぇな。さっさと服捲れよ聴診器当てらんないだろ」


「お医者さん……お口……悪い」


「……失礼。じゃあ、お腹出してください」


「は、はい……」


氷織は承諾しつつも、制服の裾をそわそわといじるだけで、なかなか行動に移さない。


「……どうしましたか?」


「そ、その……男の子にこんな風にお腹見せるの……初めてだなって……」


ははは、何言ってんだろこいつ。


「今日の診察は終了です。ありがとうございました」


「え……ど、どうして?……いや」


「だってお前が変なこと言うから……」


「い、言ってないよ。ほ、ほら……」


氷織はゆっくりと制服を捲り、肌を大胆に露出させた。


綺麗。白くて透き通るよう。滑らかで柔らかそう。


氷織の肌は女の子の体を褒める言葉なら大抵のものがそのまま当てはまるだろう情報力を秘めている。


「好きなだけ見ていいから……ね?」


「っ……だからそういうのが……いや、いいや」


とりあえず聴診器を氷織の白くてスベスベしたお腹に当てる。


ふよふよとした肉感が視覚と聴診器越しの感覚で脳に伝わってくる。


氷織の肌には、間接的に触れるだけでもいい知れぬ背徳感を湧き上がらせる何かがあった。


「えっと……どうですか?元気な赤ちゃん……産めますか?」


あぁ、くそ。普通胃腸の調子とかだろ調べるの。僕は何を調べたことになってんだ。


「……ま、まぁ……大丈夫でしょう。ポンポンペインにならないよう気をつけてください。これお薬です」


知らんけど。

とりあえず僕の非常食を渡してみる。


「あ……ラムネ。ふふ……つきくん……楽しいの?」


「もうやめる」


「ご、ごめんね?も、もう少し……しよ?ね?」


「……もう少しって……」


こんな恥ずかしくなるのに、なんでこんなことしてんだっけ。


あぁ、そうだ、氷織の気を紛らわそうと思って。

じゃあ、頑張らないと。


「じゃあえっと……次は心臓の音……」


「は、はい……」


氷織は頬を朱に染めつつも、躊躇なく自然に制服の裾を捲り直す。


先ほどは腹部で止まったそれが、そこから膨らみに引っかかるように数瞬の抵抗を経て、その上まで持ち上げられた。


「……!」


薄紫の下着、その下の豊満な膨らみが魅せるように揺れる。


氷織がこちらを見て、はにかむように微笑んだ、その瞬間。


僕は映像を巻き戻すようにすぐさま氷織の手ごと捲れ上がった服を元に戻した。


やっぱこれ無理だ。


「ひゃ……ど、どうしたの?」


「い、いや……だってお前。お腹の時はまだちょっとためらってたのになんで……」


「だ、だって……つきくんが好きなの……わかってる……から。遅いとつきくん……怒っちゃうかなって」


「そ……それは……あれだけど、僕だって準備とか……あるし」


僕が尻すぼみにそう言うと、氷織が今更本気で恥ずかしがるように赤らんだ顔を俯ける。


「そ、そっか……そうだよ……ね」


女の子に対する欲求についてそんな風に見抜かれていることにはどうしようもない羞恥を覚えるが、氷織の胸が大きくて気持ちが乱されることには何度か言及してしまっているし、今更そこを否定することはできない。


けれど……これに関してもし僕の理性が飛ぶようなことがあったりしたら、取り返しがつかないのだ。


僕がどれだけ氷織に魅せられているかという点について、彼女は未だに大きくはき違えていると言わざるを得ない。


「えっちなのはだめっていつも言うくせに……」


想像以上に心を大きく乱された腹いせに愚痴を吐くと、氷織も多少の自覚はあるのか、言い訳するように呟く。


「うぅ……だめなのも……楽しむって……前につきくん……言ってたもん」


「うぐ……」


過去の自分の発言に基づいた反論には文句がつけようがなかった。


「……と、とにかく……まだその……準備とかあれがあれだから……今回はこのまま……するよ?」


「う、うん……」


よくわからない言い訳をしつつ、視覚的情報だけはある程度カットさせてもらう方向性でどうにか了承を得て、聴診を続けることにする。


「その……つきくん。頑張って我慢してるの……えらいけど……無理はしなくて……いいからね?我慢できない時は……ちゃんと……教えてね」


「……だから……それ……お前のことだろ」


さっきだってリスカする前に僕のところにきて、何があったかさっさと説明すればいいものを。


「……?」


「はぁ……いいよ。どっちにしろこれ終わったら吐かせてやる」


服のなかに聴診器を潜り込ませるようにして、氷織の胸に聴診器を当てていく。


「んっ……」


氷織がくすぐったそうな声をあげるが、それに気を回す前に、疑問が湧く。


「あ?なんか……」


さっきお腹に当てたときも思ったが、音が聞こえない。肺の音も、心臓の音も。


聴診器に触るのなんか初めてだからわからないけど、これだけ色んなところに密着させて音が聞こえないなんてことあるのか?


「きゃ……つ、つきくっ……ま……まだ?」


「ちょっと静かにして」


「あぅ……」


改めて色んなところに聴診器を当てても吸い付くような、ふよんとした柔らかさが聴診器越しに伝わってくるだけ。


しかし、どうやら心臓だけはよく動いているらしいというのは分かった。


だが、音というよりは振動がそのまま手に伝わってくるような感じなのがどうにもよくわからない。


もしかしてこれ……まずい?メンタルがどうとかじゃなくて、普通に身体の調子が悪かったのか?


「ひ、氷織……あ、あの、音があんまり聞こえないんだけど。ほ、ほんとに病院行く?まじで調子悪いの?」


聞くと、氷織は動揺しつつも、僕を宥めるような声音で言う。


「つ……つきくん……あのね……それ……おもちゃ……だから……音は……聞こえないんだよ?」



……は?



「……なんでそれ早く言わないの?僕が苦労してるのどんな気持ちで見てたんだよ。あ?」


「だ……だって……悪戯したくなっちゃったのかと……思って。な、何回も……ふにふに……して」


氷織が確かめるように自分の胸に両手を置くのを見て、今更自分がしたことを自覚させられる。


「そ……それはだって……ごめん」


「う、ううん。謝らないで?……たくさん……どきどきできて……うれしかったよ?」


僕が謝ると、氷織はいつものように僕の頭に手を置いてそんなことを言ってくる。


どきどきは想定通りのはずで、目的は達成できたはずだけれど、この高鳴りを鎮める術を持ち合わせていない。


どうしたらいいのかわからない。


きっと僕はバカなんだと思う。



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