第44話 母親

「……」


「つーちゃん、どうして何も言わないの?」


黙秘権。あまりに過激な取り調べや、焦って虚偽の自白をしてしまうことで起こり得る冤罪を防ぐために保障される権利である。


そう、こういう時に焦っても碌なことにならない。とにかく黙って機械のごとく思考を整理するのだ。


「んぅ……つきくん……よし……よし」


早速エラー了解やね。


夢でも見てるのか、甘い声で囁くように寝言を吐く氷織によって思考が乱される。


氷織の非現実的なほどに整った美貌は、触れることさえ許されないのではと思わせるほどだ。


だというのに、無防備に緩んだ幸せそうな表情は、その上で最大限の魅惑を放ち、見るものの本能を暴走させようとしてくる。


そして見事に魅せられた者の例が、こちら。


「きゃぁ〜!!今この子つーちゃんのこと呼んだのよね!?そうよね!?彼女!?彼女なの!?つーちゃん!ママに内緒でこんな美人さんな彼女作ってたの!?男の子のお友達もずっといないつーちゃんが!?」


黄色い声を上げ、母さんが僕の肩を全力で揺さぶってくる。


「何か言いなさい!つーちゃんのお嫁さんになってくれる子ならママ大歓迎だから!」


「彼女じゃない放せ放せ」


霧夜ねぇはまだ冷静というか、素のテンションが低いからいいけど、母さんはなぁ。


こうなるもんなぁ。


ここまで興奮状態の人が目の前にいるせいで、僕は逆に冷静になってきて、もはや諦めの境地である。


「な〜に言ってるの!女の子は好きでもない男の子の部屋に入ったりしないのよ!ましてやその男の子のベッドで!無防備に!眠ったりしないの!!」


それはそうかも知れないが。


こいついつもなんか疲れてるし、テスト前じゃなくても、授業中とか眠そうにしてること結構あるんだよな。


普段から無理してる部分があるからそれはすごく大変なんだろうけど、他にも何かもっと疲れるようなことがきっとあるのだろう。


今日も普通に疲れて眠っただけな気がする。

こんだけ母さん騒いでるのに、起きないし。


つーかいつまで寝てんだこいつ。とりあえず母さんが落ち着くまで、いっそ寝かしといた方がいいのかな。


「……」


「もう、何も話してくれないのね!?もういいわ!ママこの子とお話するから、ちょっと起こしてあげなさいな!こんな時間に眠るのも良くないわ!」


などと思っても、状況は僕に都合良くは回ってくれないわけで。


「……はい」


氷織も会ったこともない母さんに起こされるよりは、僕に起こされる方がまだ動揺が少ないだろうと思い、母さんの言うことを大人しく聞くことにした。


「あの、氷織。そろそろ起きなよ」


「んぅ」


軽く声をかけるが、氷織は目覚めるのを嫌がるように、目を瞑ったまま、顔を顰める。そんな表情一つ一つに魅力があるのだから、美少女っていうのはすごい。


「きゃ〜!」


事実、母さんがさっきからうるさい。声で起こすのは難しいと判断した僕は、彼女の長袖の裏側を中身ごと強く掴む。


すると、氷織は存外ゆっくりと瞼を開いて僕の姿を捉え、不思議そうな顔で見つめてくる。


「……つきくん?」


驚いて飛び起きるくらいの反応があるかと思ったのだが。


「意外と落ち着いてるね。前はもっとびっくりしてたのに」


「えへへ……つきくんの手の感触、覚えた」


「そ、そんな報告いいから、とりあえず状況を把握しろ」


そう言うと、氷織が起き上がり、改めて周囲を確認する。


「ぁ……」


きらきらと目を輝かせて見つめる母さんに気づいたのか、小さく声を漏らす氷織。


そして、


「……つ、つきっ……くん……ご、ごめんね?私……うぇっ……」


泣き出した。


「あー!!つーちゃんが女の子泣かせた!!な、何してるのつーちゃん!!ママはそんな子に育てた覚えはありませんよ!」


「だぁーもぅ!!なんでこうなんだよくそ!ちょっと母さん出てってよ!!僕こいつ宥めるから!!」


カオスな状況に血圧が上がってしまった僕は、足の具合も無視して強引に母さんを引っ張り、押し出し、部屋の外に追い出す。


「あ!こら!母親に力で訴えないの!ちょ、ちょっと!」


「うるさいうるさい!でてけでてけ!しばらく入ってくんなよ!?」


そう言いながら思い切り扉を閉め、泣いてる氷織に近づく。


「……っすん……つきくん……わ、私……で、出ていかなきゃいけなかったのに……つきくんのベッド気持ちよくて……つきくんの匂いで……それで……ねっ」


「あーあー、泣くなってば怒ってないから!!」


「う、うそ……絶対怒ってるもん」


「怒ってないって言ってんだろ!!」


「怒ってるもん!」


「怒ってないってば!僕はお前がいつも疲れてるのわかってんのに!ベッドの中でじっとしてるよう強制した僕が悪い!!」


「つきくんは悪くないよ!私が寝ちゃったのが悪いの!!」


「だからそれは悪くないっつってんだろ!んなことよりお前、僕のメッセージさっさと既読つけろよ!!何分未読にしてんだ!?」


「め、メッセージ?」


氷織が僕の言葉にすぐに携帯を確認する。


僕も自分で急にそんな言葉が出てきたことにちょっと驚く。


送ったメッセージは母さんにバレないように部屋を出ていけと言う内容のもので、今更確認しても意味のないものだ。


氷織に送ったメッセージを無視されている状態に想像以上にストレスを感じてしまっていたらしい。


「お前、僕が既読がつけるの遅いとヘラるくせに僕のメッセージ無視すんな!!」


「ご、ごめ……で、でも無視とかじゃ……私眠っちゃってたから……」


「眠っててもメッセージくらい確認できんだろがい!!僕を無視すんな!」


「そ、そんなのむりだよぉ……!」


「むりじゃない!スマホ食って寝りゃいいだけだろ!」


「うぅ……な、なんでもしてあげるから、許して?」


「っ……」


氷織が年頃の男子にとって良くないことを良くない言い方で言い出すので、僕は癇癪を起こしていたにも関わらず、少し狼狽えてしまった。


こいつ意味わかって言ってんのか?軽々しくそういうこと言うなよほんと。


だが、その言葉を引き出せたのなら丁度いい。


「……じゃあお前、とりあえず泣き止んで落ち着けよ。そしたら許す」


「……ぅん。が、頑張る……から、よしよし……して欲しい……な?」


「はぁ?……もー」


なんでこの状況で逆に要求してくるのか。ほんとに意味がわからないし、素直に言うことを聞いてしまう僕はもっと意味がわからなかった。


「……えへ」


頭を撫でると氷織はあっさり泣き止み、にこりと顔を上げてこちらを見てくる。そんな状況に頭を抱えそうになってると、部屋の扉がゆっくりと開き、母さんの声が聞こえた。


「あのー、つーちゃん?ママいるよ?終わった?終わったわよね?」


「……あぁ、入ってどうぞ」


やべぇ母さんのこと完全に忘れてた。今の聞かれたかな。聞かれたよな。


そんなことを考えていると、母さんがあり得ないくらいウキウキ浮かれた表情で、氷織の前に立った。


「氷織ごめん。あと任せていい?」


「……ぇ?」


ひどく動揺する氷織に全て丸投げすると、すがるような瞳がこちらに向けられたが、僕はそれに応える術を持ち合わせていないのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「初めまして!」


「え……えっと……」


「つ、つきくん……お姉さんは霧夜さんだけ……だよね?」


「あら、そんなお世辞いいのに!正真正銘、月夜の母です。三咲ゆらと申します」


「あ、有栖川氷織です……」


「可愛いくて上品な名前ねぇ!ひーちゃんでいいかしら!?」


その可愛くて上品な名前がほとんど意味を成さなくなる呼び方はどうなんだろう。


「え、えっと……お、お母様。つ、つきく……つ、月夜くんとはその……な、仲良くさせてもらっていて……え、えっとつ、つきくんが……つきくんで」


「何それ、学校での僕を馬鹿にしてんのかお前」


「ち、違うよ……緊張しちゃうの」


「お、お母様……!つ、つーちゃん!ママ、彼女さんにお母様って認めてもらえたわ!やったわねつーちゃん!もう一押しよ!!」


「あ……ご、ごめんなさい。ま、まだつきくんとはそこまで……行けてなくて……えっと」


「あら、そうなの!?私は全然問題ないけれど……そうね!楽しみにとっておくのもいいわね!じゃあゆらって呼んでくれるかしら!?」


「……ゆ、ゆら……さん」


「わぁ、若い女の子のお友達ができちゃったわ!うれし〜。ねぇねぇ!さっきみたいな痴話喧嘩は月夜とはよくするの?二人して喚き出した時は止めなきゃと思ったんだんだけどね!なんだか二人ともちょっと楽しそうにしてるから間に入れそうになくって!」


どこに目ついてんだろこの母さん。


「あ……えっと、さっきのはその……」


「私もねぇ、昔は凪夜なぎやくんに……あ、つーちゃんのパパのことなんだけど、凪夜くんにたくさんあんな風に我儘言って……でも凪夜くんったらひどいからあんまり構ってくれなくて……でもでも、好きだったから……」


しまった、と言った顔をする氷織を無視して、自分の過去語りを始めた母さん。


親の馴れ初めなんて聞きたくもないってのに。


しかしながら、それな!と言わんばかりに氷織は存外その話題に食い気味に言葉を挟んでいく。


「わ……私も……つい……歯止めが効かなくなっちゃうことがあって……で、でもつきくんはどこまでも……かまってくれて……それが嬉しくて……」


「そう!そうなのよ!つーちゃんはパパとは違ってね!しつこいのも鬱陶しいのも、本当は大好きだから!態度はちょっと裏腹なこともあるかも知れないけどねぇ、どれだけ好きを与えても応えてくれる子なのよ!ま、まぁその、逆につーちゃん自身がちょっと重たいときがあるかも知れないけど……」


「全然……そんなことないです!つきくんのそういうところが私……ほんとに……」


「やだもう!つーちゃん良かったわねぇ!こんな可愛いくてつーちゃんにぴったりな子他にいないわ——」


「母さん……さすがにうるさいよ。氷織が困るだろ」


興奮が最高潮に達している母さんに冷や水を浴びせるべく、手のひらを母さんの口元に当て、僕は冷静に言葉を紡いだ。


「あ……嬉しくってつい……ごめんねぇひーちゃん」


「あの……よかったら……もっとつきくんのこと……教えて欲しいです。つきくんの……昔の写真とか……ありますか?」


ようやく静まったと思った矢先に氷織が母さんに再点火を促すようなことを言い出すものだから、


「あらあら!まぁ!!一階にアルバムがあるわよ!!」


母さんのベロはリロードされてしまい、マシンガンのごとく回り続け、二人してうちのアルバム鑑賞タイムに突入するのだった。


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