第37話 心配かけちゃった
僕だっせーとか思いつつ、どうにか膝立ちまで体勢を戻し、顔をあげると、目の前に長袖体操服に身を包んだ氷織がかなり動転した様子で駆け寄ってきていた。
「つき……三咲くん、大丈夫!?」
「だ、大丈夫だから……」
そんな露骨にあたふたするな恥ずかしい、ちょっと転んだだけだろ。クラスの連中の視線が痛いからマジで寄ってくるな。
「……っ」
問題ないことを証明すべく、立ち上がろうとしたが足を挫いてしまったらしく、動けない。
「三咲、保健室行ってこい」
などと体育教師が軽い調子で言う。
「私連れて行きます!」
氷織がそんな事を言い出すので、なんでだよついてくるなとか思うが、体育教師はさっさと行けとばかりに適当な手振りをした後、試合進行に戻ろうとする。
「え?お、おい、なんで有栖川さんが……」
「ッ!」
そして吉田が遺憾に思っていそうな顔でノンデリなセリフを吐くが、氷織が珍しくすごい勢いで睨んだので、狼狽えたように吉田は一歩下がった。
「おーい有栖川、お人好し発動してんのはいいが、別にお前じゃなくても俺が三咲連れてくぜ?」
今度は成瀬がそう言うが、そちらを見ることもなく、氷織が少々強めの語気で呟く。
「……なんで?」
「な、なんで?いや、男が運んだ方が手っ取りば」
「りんりんは試合してるでしょ。待機中の私が行くべき。さかまも怒るよ」
「お、おう、そうか。まぁ……既に怒ってそうだがな……」
成瀬が動揺しつつ、やがてそれを呆れたような表情に変え、視線を険しくする逆巻と氷織を交互に見る。
しかし、氷織は僕の方ばかり見てどこ吹く風だ。
「あ、あの……そもそも付き添いなんかいらな……」
せっかく怪我で保健室に行けるのなら、一人でこっそり放課後までサボりたい。ついでにこの大したことなさそうな怪我を過剰に見せることで球技大会を欠席したい。
だから、そう言おうとしたが、体育館の床が血で赤く染まっていたので、驚いて言葉を止めてしまった。
くっ、あばらが二、三本逝かれたか、とか心中で呟いてみるが、鼻血が出てるだけだけだったので、咄嗟に袖で鼻を押さえる。
ほらな、やっぱ半袖より長袖よ。
「ひおりん、私も——」
「いらない!私だけがいればいい!」
「え……えぇ?」
潮海までが手伝いを申し出ようとしたが、氷織はそれすら拒否した。
「三咲くん、おんぶしてあげるから行くよっ」
「え?……は?」
困惑する潮海を無視して氷織が背中を差し出してくるので、僕は咄嗟にうまく反応できない。
こちらの様子に注目している人達もざわつく。「俺も無理矢理にでも怪我しておけば.......」などと言った声すら聞こえた。
「早く!言うこときかないとだめ!」
馬鹿言うな、そんな恥ずかしい真似、他クラスの連中だっている前で晒せるか、と思ったが。
「あ、は、はい……」
学年で1、2を争う人気者としての有栖川氷織に強い口調でそんな事を言われれば、路傍の石同然の人気しかない僕には拒否権などないし、この口も言うことを聞くわけがなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
騒々しい体育館の音が徐々に遠ざかっていく。
小さな力で折れてしまいそうな華奢な背中。
背徳的なことに僕はそこに体重を預け、静寂の廊下を進んでいる。
氷織の甘い体温と匂いが直に伝わってきて、心臓が無駄に動くから、それがバレないように僕は可能な限り彼女の身体との間に空間を開けようと努力するが、あまり意味はなしていなかった。
こういうの、普通男女逆じゃないの?いや、足挫いた僕が悪いんだけど。鼻血もまだ止まんないし。
授業途中に抜け出してきたため、廊下に人気はない。誰かに見られる心配はないだろうが、それゆえに、僕は今の状態に不満を漏らさざるを得ない。
袖で鼻を押さえたまま、口を開く。
「……ねぇ」
「……?あ、鼻血……ごめんね……ティッシュ……制服のポケットに入ったまま……なの。押さえてなくても……私の体操服使って……いいからね」
「いいわけあるかい。お前の肩とかに鼻押し付けてろっての?超汚れるじゃん」
「体操服くらい……好きに汚しちゃっても……いいよ?体操服は……そういう……服」
「いや……っていうかそうじゃなくて、この体勢がそもそも……」
普通に肩とか貸してくれれば、歩けそうだし。
なんて言おうとする間に保健室についてしまい、僕が言葉を続ける意味は無くなってしまった。
時間が悪かったのか、保健の先生はいないようだった。
氷織は僕をソファに下ろし、適当なところからまずはティッシュを見繕い、僕の鼻に充てがった。
「ほら……ちんして……」
「いや鼻血はかんじゃ——んぐ」
だめだ、今日こいつ全然人のいうこと聞かない。
氷織はしばらく、そのまま僕の鼻をティッシュ越しに押さえ、血が止まったのを確認すると今度は僕の上履きを脱がせ始める。
「足……見せて」
返答もさせてもらえずに、靴下も勝手に脱がせられると、既に僅かに赤く腫れ上がった不自然な足首が露わになった。さらに氷織はそっと僕の足首を動かして反応を窺ってくる。
「痛い……?」
「っ……痛く、ない」
内側に響く痛みを無視して強がって見せるが、
「ごめんね……痛かったね。すぐ……冷やしてあげるからね」
もはや、僕の回答は意味をなしていなかった。
諦めの境地に至った僕はしばらく逆らうのをやめることにした。
氷織があせあせと保健室内を探して回り、
今度は湿布を探して、また保健室の適当な場所を覗いたり、開けたりしていく。
保健室は体育館と校舎を繋ぐ通路を通ってすぐなので、ここからでも忙しない生徒達の声が聞こえてくる。
皆が授業に拘束されている中、サボってる感じは悪くない。
僕は応急処置が完了するまで氷織の様子をぼーっと眺めつつ、されるがままになっていた。
最近気づいたが、僕は氷織がせかせかしているのを眺めるのが結構好きなのかもしれない。
「どう……?少し……楽になった?」
「ん、いい感じ。ありがとう」
「大丈夫?他に……いたいとこ……ない?」
「ない」
「そっか……良かった」
ここに来て、ようやく氷織は長い息を吐いた。
「もう……あんまり心配させちゃ……だめ」
「勝手に心配するな……」
変な理由で怒られたので、少しの不満を声に出すと、氷織はぷくっと頬を膨らませ、短く呟く。
「……や」
「……」
まぁ、なんだかんだ色々世話をかけたのは確かだし、それはすごくありがたい。
しかし、せっかくの保健室。できれば僕は早々に氷織には授業に戻ってもらいつつ、保健の先生に事情をあることないこと説明して、放課後まで昼寝してサボり倒す魂胆があった。あわよくばこの一日二日で治りそうな怪我を過大に見せることで、直近の球技大会の欠席を勝ち取りたい。
「他にして欲しいこと……ない?」
「ない。大丈夫」
「本当に?」
「本当に。助かったよ。もう授業戻りなよ」
「つきくん……なんだかあっさり……してる。なんで……甘えてくれないの?」
「は?いや別に——」
「なんで?」
氷織の雰囲気がちょっとめんどくさい感じになっている。僕が何をしたっつんだこら。
思い返してみれば体育館の時点で氷織の変なところのリミッターが外れてる節はあった。
「私に甘えるの……飽きちゃったの?それとも……他に誰か……」
「あぁ?」
ふっ、と血圧が急激に上がったのがわかった。
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