第32話 凝った料理 2
以前に比べてある程度長い時間待っていたはずなのだが、待つのに煩わしさを感じることはなかった。
その間僕は、氷織の後ろ姿を眺めているだけだったというのに、なかなかどうして飽きないものだ。
氷織が食卓に並べた献立は和食全開。
主菜は鯖の味噌煮、副菜に筑前煮。汁物はお雑煮ときた。ぜーんぶ煮物。
「……すごいね。今日って僕のお誕生日だっけ?」
氷織はこのくらい普通だと言わんばかりに、僕の冗談にだけ反応する。
「つきくんのお誕生日は……まだ先。生まれた時間も……夜中の2時53分12秒だから……まだ」
「なんで時間を、それも秒単位まで把握してるの?」
僕が目を細めて問えば、氷織は顔をふいと逸らす。
「助産したのが……私」
そしてまた騙す気のない明らかな嘘を言いやがる。
少し泳がせて見るかな。
「へー。僕どんな感じだった?」
「え?えっと……」
氷織はすぐに突っ込みが入るとでも思ったのか、少し意外そうな顔で一拍置いた。
そして、
「つきくんは……私のおっぱいが飲みたいって……泣いてた」
「母さん差し置いてそんなこと言うかバカ!だいたい誕生日的にお前まだ生まれてすらいないだろが!」
氷織がとんでもないことを言い出すので、僕は結局速攻で突っ込まざるを得なくなった。だから、少し、失言をしてしまったのだ。
「私の……誕生日……覚えてるの?」
「うぇ?」
「つきくん……私に興味……深々?」
今度は僕が視線を逸らさざるを得なかった。
「……メッセージアプリのプロフに……書いてあったから」
「……そ、そっか……ちゃんと……覚えてくれたんだ」
しっかり記憶しているのはきっと、初めて家族以外の連絡先がができて嬉しかったから。
「……ちなみに僕はメッセージアプリに誕生日とか何も書いてないんだけど?」
「母子手帳が……食器棚に置いてあったの……」
「あぁ……」
わかっていたけど僕のソースとは格が違うんだが。
変なとこに置いておく母さんも悪いけど。
こいつ僕の情報知るためならモラルとかないのかな。
「3243グラム……つきくん……生まれたときは……ちょっとぽっちゃりさんだね」
「あーあーもう、そんなん覚えないでよ」
「や……見ちゃったんだもん」
「くっそ、不公平な。氷織も今から帰って母子手帳持ってこい」
僕はこいつの誕生日くらいしか把握してないのに。
「無茶……言わないの。それに……恥ずかしいもん」
「じゃあ僕も恥ずかしいって何でわかんないんだよ。どうせ生まれた時の体重僕よりでぶなんだろそうなんだろ」
「わ、私……太ってないもん」
「ふん……どうだか……つーか」
そんなことはどうでもいい。僕はお腹が減っている。
「この美味しそうなのはやく食べようよ」
「あ……そうだね。今お茶……」
「一体いつから……食卓にお茶がないと錯覚していた?」
僕はこれでも気遣いと効率厨の男。氷織が料理している間にできることはやっておいたのだ。
「つきくん……これ……りんごジュース」
「うっせぇな色味ちょっと似てるしいいだろ。お前はあれか。スタバでお茶しよって言われてほんとにお茶飲むのか?」
僕の一番好きな飲み物はりんごジュースである。
どれくらい好きかというと、遠足で水筒の中身は水かお茶のみと言われてもこっそりりんごジュースを母さんに入れてもらっていたほどである。
「飲まない……かも?」
「りんごジュースきらい?」
「ううん……すき」
「はい、じゃあ黙れ。このハラダさん家の透明りんごは僕の一推しなんだ。文字通りクリアな感じして癖がないのが最高。何にでも合う」
もちろん、果汁は100パーセント。
昔は1パック1リットルだったのに最近は物価の上昇で二度も内容量が減らされたことに気づいているのは世界で僕だけだと信じている。
誇張してなんにでもあうとは言ったが、実のところ、たらこやすじことはすこぶる相性が悪い。めっちゃ苦く感じる。
つーかこいつらにはそういう変な成分があるらしく、ジュース全般と相性が悪い。
「そんなに私と……りんごジュース……飲みたいの?」
「……別に」
言われて、自分の好きなものを友達に布教したいオタク心を自覚し、図星を突かれた感じがしたので、素直な受け答えができなかった。
「そっか……私もつきくんの好きなの……好きになれたら……嬉しいな」
「……もう食べていい?」
妙に恥ずかしくて氷織の微笑に反応できない僕は、そう聞くことしかできない。
「いただきますした?」
「今する。お前もしろ」
「私は……つきくんの反応……見てから」
「またかよ。まぁいいけど」
氷織にじっと見られつつ、ぼくは手を合わせると、まずはメインの鯖の味噌煮に手を出した。
正直食べる前から美味しいのなんかわかっているのだが、思わずハイトーンの息が漏れる。
「……ん!」
あまじょっぱ。プロの甘みだこれ。
うまいうまい。
「ふふ……」
以前と同じく氷織は僕の顔を見るなり満足して微笑み、自分の箸を動かし始めるのだが、ちょくちょくと僕の方を見てはこれも食え、あれも食えと言ってくる。
「にんじんも……食べて?」
「……僕にんじん苦手なんだけど」
「だめ……甘くしてあるから……食べなさい」
ほんとかよ。だってあのにんじんだろ?もともと変な甘味あるし、ちょっと甘く味付けしたところでなぁ。
「あ……食べれる。ていうか……おいしい」
なんかほろってしてる。すげー。
「ふふ……よかった。好き嫌い……減らせると……いいね」
嫌いなものが食えるようになるのは確かにいいんだけど。
その内こいつの料理じゃないと食べられないものばっかりになりそうで怖い。
苦手な野菜もところどころ入っていたのだが、結局おいしく食べられたので、あっという間に完食してしまう。
「ごちそうさま。とてもおいしかったです」
「ん……お粗末さまです」
「全くお粗末じゃなかったけどね」
僕がお腹を叩いて、ぼーっとしてると、氷織はりんごジュースをちびちび飲んでいた。
僕は一杯しか飲んでいないのにいつの間にかパックは空になっていた。
推した飲み物がかなり気にいってもらえたようで何よりだ。
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