第28話 イケメン講座


でかくて立派な家の近くまで氷織を送り届けた僕は、自宅までの道を歩く。


空はすっかり闇に包まれ、触れれば切れてしまいそうな三日月が顔を出している。


「おっと.......」


そんな月を飽きずに見上げ、時々手をかざして厨二ムーブをしていると、気づけば家の門の前を数歩通り過ぎてしまっていたので後ろ歩きで位置を調整する。


随分と空を見上げるのに夢中になっていたらしい。


普段はあんまりこんなことはないのに、などと考えて、気づく。


今日は月の姿が見やすいなと思っていたが、それは氷織のやつが僕の髪をいじって視界を開いたせいだ。


色々あって、元に戻すのを完全に忘れていた。

このまま帰ったら母さんにからかわれてしまうところだった。


僕が髪についたヘアピンに手をかけた瞬間だった。


「あれ……お前」


空なんか眺めていたから、僕は近くの人の姿に気づくことができなかったのだ。聞き覚えのある声に、自然と顔が動いて、その姿を捉えた。


「あ……」


そこにいたのは、キリッと整った顔立ちでありながら、目尻から穏やかな雰囲気を纏う男。


成瀬燐だった。


「おぉ、やっぱり!さっきの面白ギャップ少年!」


なんだギャップ少年って。舐めてんのか。


そんなセリフが、僕の口から漏れることはない。


「な、なる、成瀬……くん」


僕の弱気な声と共に、前髪の一部が目元に降りてきて、視界を少し狭めた。


「ん?どうした、何か落ち込むことでも……あれ……?」


僕の普段の喋りに成瀬が純粋にそれを憂うような表情を見せた後、何か引っ掛かりを覚えたような顔をした。


まずいと、そう思った。


「……そういやこの辺りって……」


こいつの姿はたまに登校時間が被ると家の近くで見かけることがあった。恐らく家の方向がかなり似通っているのだと考えられる。そしてそれに成瀬もなんとなく気づいている可能性は、あった。


「……三咲?お前……三咲か?」


ちげーよ。人違いだ。さっさと帰れカス。

などと心中で答える。


「あ、い、いや……え、えっと……」


けれど僕の口は、肯定や否定といった意味のある言葉さえ、発することができない。

できるならば、先の教室で失礼な発言を連発したこともあり、あれが僕、三咲月夜だったなどと知られたくはない。

けれど、幸い今は隣に氷織がいるわけじゃない。

成瀬が僕についての認識を改めたところで、黒髪の少女が氷織とバレるわけじゃない。


少なくとも今は僕がほんの少し、損をするだけ。

その程度のリスクでは、僕の口は、舌は、綺麗に回ってくれはしなかった。


「そのおどおどした感じ、間違いなく三咲だよな?家もなんとなくこの辺だろうなとは思ってたけど……じゃあやっぱりここお前の家か」


成瀬もやはり馬鹿じゃない。すぐにここが僕の家だと気づいた。


この状況で僕が取れる選択肢。


それは……


「あ、あの、えっと、じゃ、じゃあ、ぼ、僕はこれで、ま、また明日ね!」


逃げる。

ははは、誰がお前なんかとまともに会話してやるもんかヴァーカ。目の前に無敵の要塞があんのに戦うわけねーだろ。

つーか何も喋らず、最初からこうしてればよかったちくしょガチでミスった。


「お、おい、ま……」


成瀬の言葉を聞き切ることもなく、家の玄関のドア開き、中に飛び込むと、僕はがっちりと施錠したのだった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




数日後。


テスト終了日には色々なことがあり、僕はその翌日から、成瀬やその仲間にびくびくとしながら、登校していたのだが、特に変わったことはなかった。


強いて言えば、成瀬に話しかけられる頻度が少し、増えたくらいだ。


クラスの連中から変な絡み方をされることもなかった。


テストが終われば、放課後に氷織や潮海と行動することもピタリとなくなったため、学校の連中もあれは何かの間違いだったのだろうと、気にしないことにしたのかもしれない。


キンコンなんたらと、終業のチャイムが鳴り響く。


ホームルームが終了し、放課後がやってくる。


テストの結果が発表され、僕はテストの順位が30位以内までの生徒の名前が張り出された掲示板の前に立っている。


正確にはそこにできた人だかりの後ろに立っている。そこで僕はちょっとだけ噂の人になっていた。


——お前順位どうだった?


——張り出されてもなかったわ。


——一位はやっぱり有栖川さんかー。やっぱりすげーよあの美少女様


——うへー、じゃあやっぱ2位は潮海さんか?


——え?あぁどうだったかな。一番しか見てなかったけど、その下に名前あった気がする。


——っぱうちの二大美少女よ。同じクラスの連中マジで羨ましい。



嘘です。別になってなかった。なんだこいつら洗脳されてんのかよ。2位は僕だっつの。潮海は3位だったろがい。


まぁ、一番以外はそう目立たないなんてよくある話だし、そういうこともあるか。


現実なんてこんなもんである。なんでもない奴がちょっとお勉強ができたくらいで劇的に何かが変わったりなどしない。


ここで自分の成績を確認できるのは30人だけ。

見る必要性を感じない人も多いはずで、この人だかりではちらっと見て帰る人も多いだろう。


張り出しが放課後となれば、学校で声のでかい部活ガチ勢どもはすぐに部活に向かう。

自分の目で確かめずに噂の方を信じた声のでかい連中が声高にそれを広めていく。

そしてそれがいつしか学校の共通認識になっていくのだ。


褒められたいわけじゃなくて、自尊心保ちたいだけだから別にどうでもいいけど。


むしろ誰も知らない中、有象無象を見下して一生悦に浸っていたい。


「あれ……そう考えると都合いいかも」


「何が都合いいんだ?」


僕の呟きに反応した何某かの声がしたので、振り返ると、制服を着た成瀬が立っていた。


身長が低めの僕がその顔を見上げると、にこっと笑って手を上げてくる。


「よ、三咲」


「……」


よ、じゃねぇ。話しかけてくんなマジで。


一歩距離を詰めてきた成瀬に、僕はしっかり二歩距離を取る。


「うーん、最近結構話しかけてるつもりなんだが、やっぱ、なかなか心は開いてくれないのか」


「い、いや.......あ、あの僕は.......」


僕の言葉など無視して、成瀬は少し背筋を曲げると、僕の顔をじっと見つめる。


「やっぱりお前、わかりづらいけどよく見りゃきれーな顔してんのな。なぁ、その喋り、理由はわかんねぇけど、演技なんだろ?」


演技じゃねぇ。馬鹿にすんな。うまく喋りたくても喋れない奴もたくさんいるって知らないのかこいつは。


僕はこいつが嫌いだ。


けれど、僕を気にかけてくれる相手を蔑ろにしたいわけでもないのだ。


それなのに、ちっともこの口がいうことを聞きやしないのは結局、普通の友達ってやつを僕が恐れているからなのだろうか。


「見たぜ、お前の順位。テスト前になんでお前が、有栖川や雨音と勉強してたのかマジで意味がわからなかったけど、納得したよ。あいつらはお前が頭良いの知ってたんだな」


「い、いや.......あ、あれは」


潮海が難癖つけてきて、それに氷織のやつが乗ってきたせいで、いつの間にかあんなことに。


いやでも、そういう風に成瀬が認識してくれたなら、少なくとも逆巻とかに難癖つけられることはなくなるかも。


「安心してくれよ。お前のこと、誰かに言ったりしないからさ。なんか事情があんだろ?めちゃくちゃ可愛い彼女がいることも黙っててやる」


「彼女じゃねぇ殺すぞ二枚目」


「お、おぉ........」


あ、本音出た。なんであいつのことになるとこの舌は急に回り出すのだろう。なんて思っていると成瀬が一拍おいて笑い出す。


「くくっ。やっぱ、そっちのがおもしれーのになぁ。修斗より口悪そうだけど。ま、あの謎の美少女のことに関してだけは、そのうち色々聞かせてもらうつもりだから覚悟しとけよ?あのレベルとは俺だってまだ付き合ったことないんだぜ?」


今まで何人かと付き合ったことがなければ決して出てこない発言。

お前らのそういうところが本当に嫌いだ。死んでくれ。


「な、成瀬くん、今日は部活じゃないの?」


サッカー部の成瀬が部活用に制服を着替えていないことがふと気になり、尋ねてみると、成瀬は少しだけバツが悪そうな顔をした。


「ん?あーいや、今日はちょっとな……」


たぶんこの顔はサボりだろう。こいつは割と真面目に部活に行ってるイメージだったが、そういうこともあるのだろうか。


「ここだけの話……駅前のモールで限定モデルのスパイクが発売されるんだよ。テストの順位も悪くなかったし、俺も自分にご褒美っつーか、そういうのが欲しくてなぁ」


なるほど。よくわからないが限定というからには今日中に行かないと売り切れるとかそういうレベルのものなのだろう。そのために部活を休んで向かいたいわけか。


しかし、ご褒美……ご褒美か。


ふむ……。


「あ、あの........な、成瀬くん。ひ、一つ、き、聞きたいことが、あるんだけど」


「お?なんだ?悪いけど俺急ぎたいからあんまり長話は……」


「あ?お前が話しかけてきたんだろ。そんな勝手許すわけねぇだろ。いいから僕の質問に答えろよ」


あ……ご、ごめん。な、なんでもない。じゃ、じゃあね。


「ふっ、今の俺の話聞いててそれをいってくるのかよ。お前こそ実は相当自分勝手だろ?」


「……?」


「お、おい、自覚ないのか……?ほんとお前……くっ」


成瀬がかなり機嫌良さそうに笑い出す。この感じ、おそらくまた本音と建前が逆になってしまったのだろう。


「まぁ、いいさ。お前が本音漏らしてまでってことは大事なことなんだろ。なんでも聞いてくれよ」


成瀬には申し訳ないが、本人がそういうのなら遠慮なく聞かせてもらうとしよう。


「お、女の子って.......な、なにあげたらよ、喜ぶと思う?」


「ぶはっ。わ、悪い。もう勘弁してくれねぇ?腹痛いって」


成瀬の腹事情などどうでもいいが、無論、僕がいう女の子とは氷織のことである。

彼女の成績がトップであることは、珍しいことではないのだろう。皆、彼女は天才だともてはやしていた。


その結果が多少なりとも彼女の才能に依存したものであることも間違いではないのかもしれない。


けれど、天才だって努力する。努力は誰にとっても等しく大変なことで、それを頑張ったと褒めてあげることもまた、誰にとっても必要なことだと、そう思うのだ。


きっと凡人には天才の努力量なんて推し測れない。


凡人より努力しているかもしれないし、そうじゃないかもしれない。


けれど、偶然にも僕はその真下に位置していて、彼女がどれだけ努力したかを多少なりとも推しはかることができる人間だった。


そういう意味で僕は凡人じゃなかった。


だからたぶん、僕がやらなきゃいけないこともあるんだと、そう思う。


なんて仰々しく考えたけれど、本心ではただ近しい人間を労いたい、その人の喜ぶ顔が見れたら嬉しい。


それだけの話である。


「しかしなるほど……。ほぉ〜ん」


予想はしていたが、恥を忍んで聞いたと言うのに、成瀬は爆笑した後、心底楽しげな様子でうざすぎる顔をこちらに向けてくる。


「な、なに?」


「いんや?ま、そうだなぁ.......一概には言えないってのが正直なとこだが........。無難なのは消費できるものかな」


いわゆる消え物ということか。せっかくもらったものがいつかなくなってしまうとか、僕からすれば最悪なのだが。普通はそういうもんなのか。


「た、例えば?」


「スイーツなんかがわかりやすいだろうけどな。他の男との差別化を図りたいならコスメはおすすめだぜ?」


コスメ。ハンドクリームやらファンデーションやらアイなんとかやら大体男にはよくわからんあれか。


うーん、でもそういうのって既にその女の中のテンプレみたいのがあるはずで、そこに水を差すようなのはどうなんだろうか。


そもそもハードル高すぎるし、普通の男がそんなのあげたら引かれそうだが、ことイケメン成瀬燐に限ってはそうはならないのだろう。


「あいつらは常に新しいコスメを試したがってるもんさ。今使ってるのが一番自分に合ってるかなんて、誰にもわかりやしないからな。全部試したくっても種類は無限だし金もかかる。高校生なんかは特に経験もまだ浅いからな。意外と彼女らもよくわかんねーままとりあえずベストセラーのを使ってたりするんだ」


詳しいなこいつ。普通にためになる。聞いて正解だったか?


「へ、へぇ。そ、それってあ、有栖川さんとか、し、潮海さんとかも?」


「あー、いや、あいつらはどうだろうな。顔やら肌やら整いすぎてて、そういうのの必要性をあんまり感じてなさそうな気もする。雨音なんかは仕事柄、その辺は相当詳しそうではあるが。服とかアクセのがまだいいかもしれない」


「な、なるほど.......」


レベルがカンストしてて上げる必要がないから、装備変えるくらいしかステータスを変化させる方法がないわけだ。贅沢な奴らだ。タウリンあげても“使っても効果がないよ”って言われんだろうな。


「あーでもそうか、このタイミングで俺に聞くってことは........こないだの超美少女想定でいいんだよな?」


「.........」


僕の無言を肯定と受け取ったか、成瀬は考え込むような素振りを見せた。


「あのレベルじゃ、有栖川や雨音と同じく例外側だろうしな.........」


成瀬はそんな風に呟くと、ふと思い出したように制服の袖を少し捲った。


「と、そろそろさすがに時間やべぇかもな」


どうやら腕時計を確認したらしい。引き留めすぎたか。これ以上はさすがに申し訳ない。


「ご、ごめん引き留めて。い、色々教えてくれて、あ、ありがとう」


「わりぃな三咲。大したアドバイスできなかったかもしれないが、とりあえず迷ったら消え物だ!わかったな!」


「あ、う、うん」


「少しだけどまたお前のこと知れて面白かったぜ。じゃあな!」


そんなことを言って成瀬は早足で去っていく。

結局問題の解消には至らなかったが、参考にはなった。普通に感謝だな。


とはいえ、考えることが増えてしまった。


コスメやら何やらが僕なんかにうまく選べるとは到底思えない。氷織に対して何かあげるものを考えるとなると成瀬でも手を焼くようだし……。


「くそ、厄介だなぁ」


成瀬が去った後もその場で立ち尽くしていると、よく通る綺麗な声が耳に届く。


「何が厄介なのよ」


「あぁ?」


「何よ、その顔は」


僕の上級思考を邪魔する者は誰ぞと声のした方に向けば、そこにはぶすっとした顔の青髪ポニーテールがいた。

彼女の発言を鑑みるに恐らく僕はもっとぶすっとしていたのだろうけれど。
















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