第26話 寄り道
帰り道。カラスが鳴いて、傾く日とともに、長い陰が前方に伸びている。
そんな中、僕は氷織と共に下校しているのだが……
「「あの……」」
二人同時に口を開いたことに驚き、顔を見合わせる。
「手……もういいでしょ」
氷織の顔が紅潮しているのを見て、なんとなく考えていることは同じな気がしたので僕からそう切り出した。
「ん……そう……だね」
「なんで氷織から握ってきたくせに恥ずかしがる?」
「つきくんににぎにぎされると……びっくりしちゃう。私が……握ってあげるのに……」
「無茶言わないでよ。握られたら握り返しちゃうじゃん」
「……把握反射?」
「僕赤ちゃんじゃねーっつの」
どうでもいいが把握反射とは、生まれたての赤子の
手のひらに何かが触れると無意識で握りしめるという反射的行為のことだ。
他にもモロー反射とか哺乳反射とかあるけどまぁそういう感じ。ちなみに今日の副教科のテストで出た。
「あ……おててぎゅってされるのは……嬉しいんだよ?」
「なんの注釈だよ。もういいよこの話は」
「ん……ねぇつきくん……少しだけ……寄り道しよ?」
「寄り道?まぁ、結構寝たしそれくらいの体力はあるけど……」
テストは昼前に終わってて、今が最終下校時刻を回って6時半とかだから……まぁ7時間くらい寝てたわけだけど……
「氷織は大丈夫なの?眠くない?」
あくまで仮眠。
それで今日までの疲れが全てとれるかといえば微妙だ。
「私も……たくさん寝たから。でも……お腹……空いちゃった」
「あぁ……確かに」
そういや昼ごはん食べてないんだ。
「じゃあ何か食べに行こう。お腹いっぱいになってまた眠っときゃ疲れも取れるかな」
「食べてすぐ寝ると……牛さんになっちゃうよ」
「ならねーよ。一日くらい大丈夫さ」
めんどくさいけど、ご飯いらないって母さんに連絡しとかないとかな。今日はそろそろ仕事終わるだろうし。
……というか、僕友達と外でご飯とか、初めてだ。
や、やばい、なんか急にそわそわしてきた。
「な、何かお店の候補とかあるの?」
「まだ……考えてない。つきくんは……?」
「えっと、うーん……」
テストも終わったしガツンと食べたい感じのお腹だなぁ。
お寿司……は張り切りすぎかな。高いし。
焼肉……も高いかな。
もっとこう、普通のでいいよな。
えっと……牛丼?
いや、牛丼は特別感が足りないような気も、いやでも……友達とご飯ならこのくらいの方が……。
「つきくん……なんだか楽しそう」
「そんなことない全然」
「うそ……ばっかり……わかりやすいんだから」
そもそもこんな風に考えすぎること自体が違うのかもしれない。もっとこう、直感的にふらっと立ち寄る感じだよな。周りを観察して……直感的に……。
「ラーメン」
近くのお店の匂いに釣られ、本能的に呟くと、氷織が少し驚いたような顔をした。
「ら……ラーメン?お夕飯に……?」
「え?なんかダメ?」
「あんまり……身体に良くなさそう」
「知らねーよそんなん。いつ食ったって同じだろ。あーでも深夜に食べたらすごくおいしいよねあれ。なんでだろ」
「し、深夜……そんなの……だめ」
「何、そんな法律でもあんの?」
「……で、でも……」
こいつ、ヘラると色々やばい癖に、普段は割と禁欲主義なとこあるな。そんなだから爆発するんじゃないのだろうか。
「ラーメン嫌いなの?食べたくないなら……しょうがないけど」
「そ、そう言われたら……食べたい……かも」
「じゃあ」
「う、うん……いこっか」
氷織とともに、暖簾をくぐって入店すると、カウンター越しに店主さんが声をかけてくる。
「いらっしゃい。何名様?」
「あ、いちめ——」
人差し指を一本立てると、氷織が僕の中指を引っ張ってくる。
「二名……でしょ?」
しまった。ぼっちの悪癖が出てしまった。
「カウンター席でいいかい?」
「あ、はい」
氷織と並んで空いてるカウンター席に座り、置いてあるメニューを開く。
「ラーメン屋さん……初めて」
「え……?そうなの?」
だから、そわそわと抵抗していたのか。悪いことしたかな?いやでも、食べたいって言ってたしいいか。
「普段潮海とか松原と来ないの?」
「女の子だけじゃ……こういうところ……入りづらい」
「えっと、じゃあ、逆巻とか成瀬とか」
「誘われたこと……ないよ。二人ではよく……いくみたい……だけど」
そ、そうか、あいつらはリア充だから、女子に対してそういうところの気遣いができるんだ。どうせピンスタ映えとかばっかり気にしてるに違いない。
「……ごめん。僕、友達とご飯とか、初めてだし。よくわかんなかった」
「え……つきくんの……初めて……私にくれたの?」
「よくない言い方しないでよ……まぁ、間違いじゃないけど」
「……そ、そっか……じゃあ、私もラーメン屋さん……初めてだから……つきくんに……あげるね」
「いや……あげるも何も……」
ダメだ、なんか頭おかしくなりそう。
語弊のある言い方ばかりする氷織に、突っ込むか迷うが、この変な空気を変えられる自信もない上に、早くメニューを決めてしまいたいので我慢する。
メニューを見る限り、この店の推しはとんこつと醤油らしい。
「とんこつにしようかな」
「じゃあ……私も……そうするね。えっと……店主さん」
「はいよ。とんこつ二つね」
氷織が店主を呼ぶと、話を聞いていたのか、流れるように注文を承ってくれた。
「あ」
けれど、それだと僕には困ってしまうことがある。
ネギ抜きにしたいからである。
「一つは……ネギとってあげてください」
「おう?ネギ抜きだな。はいよ」
僕が言う前に氷織が流れるようにそう言ってくれた。
「む……」
しかし、僕はそんな氷織にじと目を向けざるを得ない。
「うん……?これが……いいんでしょ?」
「いいけど……なんか恥ずかしかった」
好みを把握されているのはこの前言ったことを覚えてくれているのだろうが、まるで子供のような扱いではないか。
なんか店主にチラッとこっち見られたし。
普通に一人で言うだけでも、多少は恥ずかしいのに。
「じゃあ……今度来る時は……私……食べてあげようか?」
「いいよ。それも恥ずかしい」
「つきくん……恥ずかしがりやさん」
「違う。これはプライドとかそういう奴」
「……めんどくさいね?」
「お前に言われたくない!男はみんなこんなもんなの!」
「そっか……つきくんも男の子……だもんね?」
「なんの確認だよそろそろキれるぞ」
「怒ってるつきくんは……可愛い」
「……ふー」
落ち着け僕。このままではこいつの思う壺だ。何かマウントを取って、この状況を打破するのだ。
何か、何かないのか。
僕は辺りを見回した。
「……」
くっそ、なんもねーな。何だこのラーメン屋。
「ひ、氷織!」
「……ん?」
「えっとあの、あれだ。んと……ラーメン食べ切れなかったら……僕が食べてあげるからね。安心して」
「ふふ……ありがとう……つきくん」
「……」
ちっくしょ苦しいか完全に見抜かれてんな。
いいやもう、ラーメン食べて忘れよ。
そう結論づけたところでラーメンを店主がカウンターに置いてくれる。
「はいとんこつお待ち。こっちがネギ抜きね」
「あ、どうも」
軽く会釈し、僕がカウンターからどんぶりをテーブルに下ろすと、氷織もそれに倣って同じ行動を取る。
そして……
「すごい……ギトギト……ほんとに……いいのかな」
氷織が想定以上のラーメンの油具合を見て、驚愕と不安を覗かせていた。
「太るとか気にしてるの?」
「そうじゃないけど……お父さんとお母さん……叱りそう」
「氷織の家ってなんか固そうだね。別に悪いことじゃないよ。怒られたらぶん殴っとけ」
「そんなの……だめ」
「心持ちの話だよ。僕だってそんなことしたことないけど」
「でも……両親に逆らうのは……だめ」
「なんで?」
「それは……産んでもらって……育ててもらったから」
「頼んでないし。育てるのは勝手に産んだんだから当たり前さ。そういう約束のもと僕らは生まれさせられる」
国語の教科書だってそう言ってる。“I was born”
受身系だ、ってね。
「それは……そんなの……屁理屈。感謝は……すべき」
氷織は微妙に顔を強張らせて、考え込むようにそう言った。親に関する話題でそんな顔をすること自体がナンセンスだとわかっていないようだ。少し講釈垂れてマウントとってやる。
「どうかな。実際僕も親にはすごい感謝してるけど、僕が感謝してるのはそういうところじゃない。そんなに固く考える必要はないって、そう思うよ。もっと感情に任せていいと思う。親に逆らっちゃいけない合理的な理由なんか存在しない。親は生まれた原因であって、理由じゃないんだから」
僕は両親には直接的にいくらでも文句をつける悪い子供だ。けれど、僕がそうできるのは何があっても両親が僕に愛想を尽かすことはないという信頼が無意識の中にあるからだ。そう思わせるだけの育て方をしてくれたことに、僕は感謝している。
そして、昔の僕はこれを友達という関係性にも求めたのだ。何があっても離れない、何があっても離さない。けれど、それは罪な欲張りで、間違っているらしかった。納得はできないけどそう理解はしている。
「理由じゃなくて……原因……。つきくんは……危なっかしいね……けど……つきくんらしい……」
呟いて、ほんの少しだけ氷織は笑った。
「ほら、食べようよ。おいしい。我慢すると、また変なとこで爆発するよ」
「し、しないもん……でも……いただきます」
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