第23話 中間テストが終わったら


片付けを終えた後ははそのまま食卓で、二人で勉強しつつ、いい時間になったところで切り上げた。


「来週は……もう少し凝ったもの……作ってあげるね」


家がある程度近いこともわかっていたので、家の近くまで送ってやると、別れ際に氷織はそんなことを言った。

別に毎週作れなどと言った覚えもなければ、氷織もそんなことは言っていなかったはずなのだが、それは確定事項らしかった。


なんだか氷織が初めて僕の家に来たときもそんなだった気がしたけれど、そんな風に感じられるのも、僕が彼女との時間を少しは積み重ねてきている証拠なのだろうと、そう思った。


なんとなく、何かを惜しむように自室には戻らず、食卓で勉強をしていると、10時を回らない辺りで母さんが家に帰ってきた。


「ただいまー。今ご飯作るからねー」


「もうお腹いっぱいだから今日は大丈夫」


「あら、つーちゃんもうご飯食べてたの?またきーちゃんが帰ってきてた?」


「うん。霧夜ねぇが母さんの分もって冷蔵庫にオムライス置いてったよ」


「あら、助かるわー。もう今日はくたくただったのよねぇ」


鼻歌混じりに冷蔵庫を開け、電子レンジでオムライスを温めると、母さんはキッチンで立ったままそれを食べ始める。


「行儀悪いよ」


「だって〜。どうせつーちゃん一緒に食べてくれないし」


「そりゃもう食べたからね」


「片付けも楽だし?」


僕は食卓からその姿に向けて注意するが、母さんはそれらしい言い訳をいくつも並べ立てていた。


「んん?これ……すごく美味しいけど……随分と甘口。あの子らしくない味付けね。見た目もなんだかいつもより綺麗だし.......」


「........」


なまじ氷織が作ったものの完成度が高すぎた故に、疑われてしまっている。バレることはないと思っていたが、甘かっただろうか。


「ようやく彼氏でも作ったのかしらねぇ」


「かもね」


僕が黙って固唾を飲んでいると、幸い母さんは見当外れの推測を立ててくれた。


「よかったわ〜。あの子も中学高校でずっと男の子に人気だったみたいなのに、めんどくさいめんどくさいって絶対に彼氏作ろうとしなかったのよねぇ」


姉は恐らく、自分の行動を少しでも阻害されるのを嫌がったのだろう。


「自由人だからね」


「つーちゃんは……」


母さんが霧夜ねぇの昔を思い帰すように明後日の方向を見つめていたが、今度は僕の方を向いてじーっとこちらを見ていた。


別に姉に文句をつける筋合いはないが、姉弟というものはどうしても親には比較されてしまうわけで。

姉の話が出れば同じテーマで僕を連想されてしまうものなのだ。


「まぁ、頑張って!ママ似のこんなに可愛い顔してるんだもの!大丈夫よ!」


「変な気遣わないでよ。どうせ僕は霧夜ねぇみたいにはなれないですよ」


器用で強い姉と不器用で弱い弟。

姉がもう少し僕に似た性格だったらよかったのに。いや、僕が姉に似ればよかったのかな。


「そんなこと言ってないじゃないの」


「勉強できないからもう黙ってよ。つーか部屋行く」


母さんが帰ってきてしまい集中できなくなったため、僕は食卓を離れ、自室で勉強を再開することを決める。


「今日も夜更かしするの?やめなさいな」


「うっさい。命令すんな」


「もう、ほんとにいうこと聞かないんだから。身体壊さないよーに。お母さんが帰るの待っててくれてありがとうね」


「待ってねーわ」


そんな母さんのおこがましい言葉に答えつつ、僕は自室に入って机に向かった。


あ、やっぱり冷蔵庫からカフェイン持ってこないと。台所まで戻ろ。



◇◆◇◆◇◆◇◆



土日を挟み、数日後、ついに中間テストが始まった。


なんだかんだと、放課後は潮海と氷織に何故か当たり前のように引っ張り出され、結果的にテストの日までは毎日一緒に勉強することになってしまった。


教え合うようなことはあまりなかったが、近くにドンピシャの競争相手がいることはモチベーションのアップに繋がり、普段よりもむしろ勉強は捗った。


クラスでの様々な感情が混ざり合った視線は痛いなんてレベルではなかったが、進学校だけあり、中間テスト当日が近づくにつれて皆余裕がなくなっていったのか、過剰に絡まれるようなことはなかった。


恐らく真の地獄はテスト明けだろうが、僕とてそんなことを考えている余裕はなかった。


そして本日。氷織が手料理を振る舞ってくれてから一週間余り。テスト最終日の最終科目。


その終了を告げるチャイムが鳴った。


クラス全体の空気が一気に弛緩する。


「皆さんお疲れ様で〜す。これで中間テストは終了になりま〜す。後ろから答案用紙を集めてくださ〜い」


教師の声を合図にガタガタと椅子が動き、教室は至高の雑談空間へと成り代わる。


——お、終わった〜


——それどっちの意味?


——うおおおお、解放感やばすぎー


クラスのうるさい連中が近隣の人間と肩を組んだり身体を無駄に揺らし合ったりと身体接触も交え、その喜びを分かち合う。


うざったいが、気持ちはわかる。


僕も張り詰めていたものがぷつんと切れて、大きな自由を手にした気分だ。


僕にはそれをノータイムで共有できるような友達はいないけれど、別にいいのだ。

その分内側でそれをたっぷり噛み締めるだけさ。


「ふぁ」


さて、寝るか。


今日はこれで放課だけれど家に帰る気力なんてない。


学校の空き時間で睡眠時間は毎日確保してたとはいえ、こちとら一週間徹夜続きだ。もう無理。


本格的に眠るには邪魔くさい眼鏡を鞄にしまう。


そして、騒がしい教室内の雑音をものともせず、僕は机に項垂れ、気絶するように眠りについた。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



ピンポンパンポーン。


『間もなく最終下校時刻になります。校内に残っている生徒は、速やかに帰宅してください』


ピンポンパンポン。


うっせーな。なんの音だよぶち殺すぞ。

などと思いながら、寝返りを打った。


ふに、と。


あったかくて柔らかい感触が僕の頭を包み込んでくれる。


「……ぅん?」


寝返りが打てる?柔らかい?

僕は確か、机に向かって眠ったんじゃなかったけ。


心地良さと、状況の不可解を解消したい気持ちがせめぎ合い、その後も何度か寝返りを打ち、5分ほどかけて、僕は目を開く。


まず目に入ったのは灰色の生地。この色味は間違いなくうちの高校の女子制服の一部だろう。


そこから首を動かし、視線で上に向かってなぞって行くと道半ばで少々主張が強めな双丘が現れる。


そしてその奥には、人形めいた美しさを持ちながら、温かな血色の通った、少し気の抜けた寝顔があった。


「すー……」


安らかな寝息を立てる、黒髪の美少女。僕がその姿を学校という場所で見たのは二度目だった。



初夏の訪れを実感させる暖かい風が、彼女の艶やかな黒髪をふわりと膨らませ、その白い首筋を露わにする。


「……」


脳が溶けそうな、甘い匂い。

息が詰まる。


意識の曖昧さ故に、その姿に完全に魅入られてしまう。


夢現のまま、引き寄せられるようにその頬に触れたいと、左手を伸ばし……


「はっ……!」


自分の左手首の傷跡を見て、飛び起きる。

そして意識を完全に覚醒させた。


決して見るものを愉快にさせることはないであろう、その左手首を右手の親指でさする。


「あぶね……リスカ跡に助けられるとは……」


別に大した話でもないから、こんなところで告白してしまうけれど。


昔の僕には普通の学生よろしく、決して多くはないが男女関係なく数人の友達がいた。


僕がリストカットを初めてしたのは、小学校の時だった。あらゆる友達という存在に過剰に期待し、依存しまくった挙句に見放され、ついに、一人ぼっちになってしまった時だったと記憶している。


リストカットという行為は、そんな愚かな過去の僕への戒めでありながらも、思い出したくないことを思い出さないための衝動的行為でもあった。そして、学校という、学生にとっては人生の大半を占めると言っても過言ではない環境で、友達のいない僕が自分の存在を確かめるための手段でもあった。


そしてそれすら黒歴史となった今となっては、その傷跡を目に入れるだけで、僕の精神には当時の行為と同様の効果が発揮される。


すなわち、関係を深め、依存して、また見放されてしまうことを恐れる気持ちの表出である。


友達ってのはなんなんだろう。世間一般で言う、いや、少なくとも僕が知る学校の連中が言う友達って奴はとても浅い関係だ。

クラスが変わる。部活を変える、辞める。学校が変わる。喧嘩する。いじめの標的にされる。クラス内カーストが落ちる。


友達という関係性に対するアプローチとしては、どれも些細なことだと、僕は思う。けれど、そのどれもがその友達とやらの関係性を薄くし、不安定にする。時には断ち切る。


僕はそれを見てきたし、経験もした。


少なくとも昔の僕に言わせれば、その程度の関係性は、そんなものは、友達じゃなかった。


けれど周りの人間はそれを友達と呼んだ。


『みんなの中の一人ってだけで、別にお前個人に対してそんな興味ないって』


じゃあ、僕は何人友達ができても、その中の一人でしかないわけで、僕はずっと一人なのかな。


『別に皆で仲良くしてるから、私も仲良くするだけでしょ』


その通りなのだろう。


どうやらズレていたのは僕の方で、友達とやらの共通認識はそちらが正しいようだった。


“遠くに引越してもずっと友達だから。毎日電話するから”


そんな約束は守られないのが、普通らしい。


そもそもずっと友達だってんなら全てを投げ捨てて、そいつについて行けよカスが。


昔の僕は、そんなことを思った。


それでもお正月の年賀状だったり、成人式やら、同窓会だったり。


何かのイベントで、会ったり、話をすることはあるのかもしれない。


けれど、そんな小さな頻度で話をするだけ、時間を共有するだけの関係性でも、彼らは友達と呼ぶらしい。


じゃあ、僕が欲しがったのはそれより唯一性を持つと思われる恋人という奴だろうか。


けれど、それも、”友達“とやらを薄れさせ、不安定にするアプローチの影響を受けないわけではないらしかった。


完璧で、特別で、本当で、理想の関係性に名付けるものでは、ないらしかった。


けれど、そんな浅い関係性をいくつも繋げて、協力していくことが社会で生きるということで、大人になっていくってことらしい。


時間の流れという奴はすごいもので、こんな僕でも、少しは大人とやらに近づいた。


どうやら、間違っているのは僕のようだった。


じゃあ僕が求めていたものはなんだったのか。


本当の、何か。


特別な、何か。


理想の、何か。


結論、僕は理想の体現であるサブカル的なものにハマって、今でも大好きである。


けれど、


「どうしてあの時の僕は氷織に向かって簡単に特別な友達になるなんて言えたんだろ……」


純粋に疑問だ。

こいつがヘラんのが怖くてめんどくさかったからかな。


そういえば昔も、僕は屋上で泣いてることがよくあって、そのとき確か……


「んぅ……つきくん……?」


僕が勢いよく飛び起きたせいか、氷織も目を覚ます。


「……おはよう……よく……眠れた?」


僕のここまでの混乱をよそに、氷織は、寝ぼけまなこの優しい瞳でそんなことを聞いてきた。







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