第22話 甘いオムライス


「卵……たくさんあるね?また卵焼き……作ってあげようか?」


「なんでよ。お前卵焼きしか作れないんかい」


氷織はこの前も勝手に僕のお昼ご飯に卵焼きを忍ばせてきたことがあった。バランスよく食べろとか言って卵焼きを三人分くらい寄越してきたことは忘れていない。


「つきくん……喜んでくれたから」


恐らく、初めて僕に教室で卵焼きを食べさせた時のことを言ってるのだろう。

氷織のこういう不器用な一途さのようなものが、僕は嫌いではなかった。


「む……僕好きなものなら飽きるとかあんまりないし、それだけでも別にいいっちゃいいけど。あれはほんとおいしかったし」


一週間三食たまごやき縛りとかでも全然いけそうな感じはした。


「たまご……好き?」


「好き」


「えへへ……私も……好き」


「……」


えっと、卵の話だったよね。僕は何も間違えてないはずだ。大丈夫、落ち着け僕。


「んんっ。卵系の料理出しとけば黙って食べるからって母さんが多めにおいてるんだ。昔から嫌いなもの多くて、すぐ残したり文句つけたりしてたから」


「ふふ……つきくん、いつもぷりぷり怒ってそう……」


「勝手に想像して笑うな」


「何が……嫌いだったの……?」


「……や、野菜とか……」


「もっと……具体的に……」


「ネギとか玉ネギとか」


「もっと……思いついたの全部……教えて。好きなものも」


「ぜ、全部?えっと……」


氷織が食い気味に深堀りしてくるので、気圧され、今まで食べさせられた母さんの料理を思い返しながら、つらつらと嫌いなもの、好きなものをパッと思いつく限りであげつらうと、氷織はそれを全てメモしてしまった。


「嫌いなもの……多いね。好き嫌い……だめ」


「ふ、ふん……昔の話だって多いんだ。今はそうでもないかもしれない。野菜使いたきゃ好きに使えよ。まずかったら文句言ってやる」


一度食べてまずいと決めつけていたものが、後になって普通に食べられるようになるなんて珍しい話でもない。


「ん……おいしいって言ってもらえるように……頑張るね」


「あ、でもネギだけは入れないで。ほんとに嫌いなんだ」


あのガジガジした食感と基本薄くて小さいくせにわけわからん主張をしてくる苦味とも辛味ともつかないあの独特の味がマジで嫌いだ。


そのくせ、味噌汁やらラーメンやらねぎとろやら、美味いものにはあらかたバカの一つ覚えみたいに奴が放り込まれている。


ねぎとろはマグロの身をねぎ取るからねぎとろなんであって、ネギを乗せる必要性は一切ないって知らんのかマジで。


以上のことから、味も食感も嫌いだが、その存在自体も個人的には嫌いである。選挙に立候補する際には、まずは全国のネギ畑を焼畑農業でえだまめ畑に変えていく政策を掲げる所存であります。


「む……それだけ……だよ?」


僕の熱い思いが届いたのか、好き嫌いをダメだという氷織が譲歩してくれた。


「……あ、あとタマネギも……」


「……だめ。ネギだけ……ね」


まだいけるかもと、惨めったらしくさらに懇願してみたが、氷織シェフのお許しは出なかった。


「……はい」


有無を言わさぬノーに大人しく従うと、氷織は冷蔵庫から次々と食材を取り出し、シンクの上に並べていった。


「何作るかもう決めたの?」


「すぐ作れるものが……いいね。どっちがいい……?オムライスと——」


「オムライス」


オムライスは普通に好物なので、早押しクイズさながらに、二択目を聞く間をあけずに僕が言うと、


「チャーハン……」


氷織がむすっとした顔で、二択目を呟く。


「あ、う、チャーハン!」


チャーハンも普通に好物だった。

僕の中の天秤がダンスを踊り始める。


要するに僕は迷っていた。


僕が迷うことを見抜いていたと言わんばかりに、氷織が腰に手を当てて、ぷくっと膨れっ面を作った。


「ちゃんと最後まで……聞きなさい」


「……はい」


これは素直に反省である。なんだか今日は氷織に怒られてばかりだ。


「どっち……?」


「む……じゃ、じゃあ、オムライスで」


「わかった……待ってて」


「ね、ねぎ入れないでよ?」


「大丈夫……入れないよ。オムライスに入れるのは……玉ねぎ」


「う……ぐ」


痛恨のミス。チャーハンと言っておけばこんなことには……。今更変えてもまた怒られそうだし、許してくれなそうだ。


「ちゃんと美味しくなるように……頑張るから……安心して?」


「ほ、ほんとだな。まずかったら文句つけるからな」


「ん。危ないから……あっちで待ってて」


作ってもらうだけでもありがたいかつ申し訳ないのにいつの間にやらこんなことを言い出す自分はつくづくクズ野郎だと気づくが、氷織はなんでもないように答えて、料理に集中し始めた。


随分と自信があるみたいだ。


大人しくテーブルにつき、暇なのでテストに向けて英単語でも眺めるかと、単語カードを取り出してみるが、集中なんてできやしない。


氷織はいつに間にか髪を括って、潮海みたいなポニーテールになっていた。

そんな後ろ姿につい、目を奪われる。


「いやいや」


目を奪われてなどいない。あいつが刃物持ったらなんかしでかしそうで怖いから監視してるだけだから。


とはいえ、超越的に綺麗な女の子が手料理を振舞ってくれる、という状況は純粋に男心にくるものがないでもないのは確かである。


今更だけどこれは世間一般でいう友達の枠内ではなさそうだな。


どっちかっていうとお嫁さん持ったみたいな……。


……まいっか。


氷織は普通の友達じゃないし。


少しくらいおかしなことがあったって構いやしない。


「……できた」


そんなことを考えていると、30分もしないうちに氷織が料理を終えたらしいので、立ち上がり、キッチンを覗き込んだ。


「おぉ……すごい」


端的にありふれたそんな感想が漏れるが、その言葉に寸分違わぬものがそこにあるのだから仕方がない。なんか卵がふわっふわしてる。どうやってるんだこれ。


「あれ?」


しかしそこで、僕は疑問の声を漏らす。完成されたオムライスがそこには二人分しかなかったからだ。


「母さんの分も作るって言ってなかったっけ?」


「うん?作ったよ。つきくんの分と……お母さんの分」


「お前の分わい」


ナチュラルに自分の分を抜いている氷織に速攻で突っ込みを入れる。


「え……?でも……私は……。つきくんの家の食材だし……」


「お前は家でも僕にぼっち飯食らわせる気なの?」


飯を作らせるだけ作らせて、それを食べることはさせないなど、僕をどこまでクズに仕立てげるつもりなんだこいつは。


「つきくんが食べるの……ちゃんと見ててあげるから」


「いやずっと見られてても食べづらいし。今日は特に遅いし、氷織もお腹空くでしょ」


「でも……つきくんのお母さんの分……なくなっちゃう」


「あーもううっさい!じゃあ僕のやつ半分にすりゃあいいだろ!氷織と一緒に食べたいって言ってんの言わせんなばか!」


整合性を欠いた、数学の公式に文句をつけるような無駄な言い合いに嫌気が指し、一気に捲し立てた。


すると、氷織は一瞬気圧されたような顔をしつつも、それを少しの揶揄いとはにかみが混ざったような微笑みに変えて言う。


「ふふ……じゃあ一緒に……食べようね……」


「よし……じゃあこれは半分」


それを見た僕は軽く頷きを返し、オムライスを包丁でざっくりと真ん中から真っ二つに切り分けた。


随分と形が良いため、綺麗に切り分けられたそれを新しい皿に移し替え、食卓に持っていこうとすると、


「あ……私持っていくよ。つきくんは……座って」


「まぁ……いいけど」


なんのこだわりか知らないが、気を遣ったとかではなく本当にそうしたいようだったので、大人しく先に食卓についた。


すると氷織が僕の前にオムライスを運んで来て、言う。


「ケチャップ……何か描いて欲しいの……ある?」


「え?」


なんだそれ。メイド喫茶じゃあるまいし。

いや、これがしたかったから皿を自分で持って行きたがったんだろうか。


「うーん」


まぁ、せっかく描いてくれるというのなら、何か考えてみてもいいかもしれないけれど。


「……じゃあ、だ——」


「だいすき?」


「お前も最後まで聞け」


「あぅ……違うの?」


「違う。“だめ”って書いて」


「……だめ?」


「そう」


「……どうして?」


「なんかいっぱいだめって言われたから一回くらい逆らいたい」


「むぅ……確かにいっぱい……言ったかも?」


「食べちゃだめって書いてあるものを食べてみたい」


「つきくんの……反抗期。お菓子の乾燥剤とか……怒って食べたりしたらだめ……なんだよ?」


「どんな状況だよそれ。食べるかそんなもん。とにかくそれでお願い」


「ん……」


頷いた氷織が可愛らしい丸文字で僕の要望に答えてくれたのだが……


「なんでハートつけんの!?なんかえっちくなったじゃん!」


「そう……かな?可愛い……よ?」


確かにオムライスのケチャップでハートは王道だし、可愛いかもしれないけども……。

もういいやと、軽く息を吐いた後、ケッチャプの乗った半分に切り分けられたオムライスをスプーンで掬い上げ、口元に近づける。


「おぉ……」


その匂いが鼻腔をくすぐる。

食欲をそそる幸せの匂い。本当に大した料理の腕だ。


「料理習ったりしてたの?」


そう思わせる程度には、完成された卵のふわとろ具合だ。


「すごく前に……お婆ちゃんが……教えてくれた。自分の分は……自分で作れるようになりなさいって……」


「普通に尊敬するよ。すごい」


本心からストレートに言うと、氷織が少しだけ恥ずかしがるような挙動を見せた。


「……は、はやく……食べて。つきくんが……食べ始めるの見たら……私も一緒に食べる」


結局食べてるところをじっと見られることにはなるのか。まぁ僕のために作ってくれたのだ、反応を確かめたがるのは当然か。


「ん、いただきます」


掬い上げたオムライスを口に放り込む。


「どう……?」


「んん……!」


自然とトーンの上がった声が漏れた


オムライスにしてもかなり甘めの味付け。

めちゃくちゃ美味しい。わざわざ手を止めて感想を言うのがめんどくさくなるほどには。

僕の嫌いな玉ねぎも入れてやがるくせに、舌に溶けて存在をあまり感じない。


「ふふ……おいしいんだ」


僕の様子を見て満足したのか、氷織も僕の向かいの席に腰掛け、自分の分にもケチャップをかける。


「“だめ”ってかくの……面白い……かも。えへへ、つきくんと……一緒」


なにがお気に召したのか自分の分にも僕のと同じ文字を描いたらしい。


口をつけ始めると、氷織は何かに納得するように、ふむふむと頷いていたようだった。


あっという間に完食した僕は感想を告げることにする。


「ごちそうさま。こんなあまいオムライス……初めて」


「甘くないと……美味しくない。つきくんも……好きだと思ったの。違った?」


「違わない!すごくおいしかった。玉ねぎ入ってるのに」


この甘さを過剰だと文句をつける人も少なくはないかもしれない。それでも、それは間違いなく僕の味覚の正鵠せいこくを射ていた。


「……よかった」


「それに……なんか……優しい感じした」


食べる人の事をよく考えてくれてるというか.......いわゆる愛情的なものに近しいのかもしれないけれど、そういう感じがした。


「えへへ……お姉ちゃんに……なれたかな」


「まだそれ言ってんの。でも……ありがとう」


素直に感謝を告げると氷織は優しい笑みでそれに応えてくれた。


「片付けは僕がやるから」


食器を持って立ち上がると、氷織も同じ行動を取って言う。


「ううん……一緒に……しよ」


「いいけど……疲れてない?無理すんのはやめてよ」


「一緒に……したいの。……言わせんな……ばか」


氷織は悪戯っぽい笑みで、どこかできいたようなセリフを吐いた。


「ふん、生意気な」


僕はそんな捨て台詞のようなものしか吐けなかったが、誰かと一緒に食器を洗ったりするのも悪くはないと、その時知ったのだった。

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