第20話 ふともも

優雅なクラシックBGM。

華やかでありながら調和の取れた落ち着きのある空間。

時折響くグラスの透き通った音が、妙に心地良い。


「あ、だめっ。動かさないで」


「い、いや……でも」


四人がけのテーブル席のソファに僕は座っている。対面には誰もいない。代わりになぜか、横並びに金髪の美少女と、


「ちょっ、バカ。一回止めなさい!」


青髪の美少女がいた。


「む、無理……」


「あ!もう!どうして我慢できないのよ!」


潮海は僕の不甲斐なさにぷりぷり怒り散らかすのに対して、


「そこ、しっかりたたせて」


「うぐ……」


「ほら、頑張って」


氷織は優しく僕の手を覆いつつも、ひたすら僕の細筆を矯正してくる。


そして……


「はぁあ——」


その芯が折れる音と共に僕は内側に溜め込んでいたものをついに暴発させてしまうのだった。


「——クソが!やってられっかこんなもん!字なんか自分で読めりゃなんでもいいだろ!僕に指図してんじゃねー!」


そう、僕はなぜか氷織と潮海に字を教えられていたのだった。


字のとめとか払いとか、ペンをしっかり立てろとかいちいちめんどくさいのだ。氷織と潮海は字がめちゃくちゃ上手いが、こんなのをわざわざ意識してるなど脳のリソースの無駄遣いとしか思えない。


「きゅ、急に強い言葉使わないでちょうだい……びっくりするわね」


「え……?何が?」


「何事もなかったかのように冷静になるのもやめてほしいのだけど……」


また潮海の前で少し素が出てしまったらしい。どうでもいいし、特に問題はないけど。


「そういえばひおりんは全然驚かないわね?」


「あ……い、いや、私はびっくりしすぎて声が出なかったというか」


ここは、昨日と同じ喫茶店である。昨日と同様、潮海と同じ問題を解かされた後、ノートを奪取されたのだが、そこで字が読みにくいと指摘を受けたのが事の発端である。


「……三咲には触れることにあんまり躊躇とかないみたいし……うーん……」


潮海がじっと僕の顔を見つめながら唸る。

僕に及ばぬ足りない頭で愚かな勘繰りをする潮海の思考を止めるべく言葉を発する。


「も、もうい、いいよ……。ふ、普通にべ、勉強し、しようよ」


やべ、いつもの倍くらい吃った。


「あんた絶対裏で失礼なこと考えてるでしょ」


なぜバレた。


「はぁ。字が汚くて減点されたら実力通りの点数にならないでしょ。先生達も受験の時ほど甘くないわよ」


つまり、後で変な言い訳されても困るとかいうのが潮海の言であった。

それに乗っかる形で、氷織が字を教えてあげるのはどうか、などと言い出したのがマジでよくなかった。


向かい側に座ってた二人が字を教えるためにわざわざ僕の左右に移動してきやがったのだ。


小一時間をほど我慢した僕を褒めてほしい。


ちなみにどうしてまたこいつらとこの場所に来ているのか。それは今日の放課直後まで遡る。


「……」


いいえ、遡ってもわからないので遡りません。

マジックに遭いました。以上。


「はぁ」


いつも以上に疲れた僕は軽くため息をつき、入店直後に頼んだものの、ノートの横に放っていたケーキに手をつけることにした。


「お……」


このチョコケーキ美味しい。スティックシュガーかけてもっと甘くしちゃお。


しかし、改めて僕には似つかわしくない喫茶店だ。周りはリアル充実してそうな幸せそうな奴らばっかりだし、なんかキラキラしてるし。


どうでも良いけどその辺のギリギリ手が届かなそうな棚に並べてあるカラフルなお菓子の入った瓶とか箱みたいなやつってお店の人に言ったら買えるんだろうか。ていうか中身本物なのかな。


「まぁ、今日はこのくらいでいいかしらね。普通に勉強しましょうか」


さすがに潮海もこれ以上時間をかけるわけにもいかないと悟ったのか、なんとかお許しが出た。


「三咲くん、チョコケーキに普通の砂糖かけてもそんなに合わないと思うよ!」


うっせぇな。甘ければ甘いほど美味いに決まってんだろ。


「……」


いや、確かにあんま合わないかもな。中のフルーツがすっぱく感じる。氷織の奴はガムシロをかけてやがるので僕もそっちを試そうかと迷っていると、潮海がそれに突っ込む。


「だからってこっちのケーキにガムシロかけるのもどうなのよ……。二人ともえげつない甘党……ひおりんと三咲って変な共通点あるわね……?」


「さ、さっさと、は、始めよう」


またしても潮海が変に勘繰る前に流れを戻そうと声を出すと、氷織もそれに乗っかってくれる。


「そうだよあまち!勉強しにきたんだから」


「え、えぇ、そうね……なんで私が急かされたのかしら……」


潮海が不満そうにしつつも、勉強道具を広げると、それに続いて僕と氷織もテーブルの上を整理する。


そういやこいつらなんでずっと僕を挟んで横並びのままなんだ。


左右から膝やふとももが触れたり擦れたり、気が散るなんてレベルじゃない。


もう普通に勉強するんだから向かい側に戻れよ息遣いとか聞こえるし勉強しづらいんですけど。


「あ、あの……」


文句をつけようと軽くジャブを打ってみるが、集中し始めた氷織は勿論、潮海にも無視される。


「あ、あの、あの……ね、ねぇ」


右ストレートにも反応なし。二人ともただの屍おーけー。


くそが。


僕は諦めて今日のイライラを全て勉強にぶつけることにする。


とはいえ、同性の友達さえロクにいない僕のような奴が、異性に左右を挟まれた状態では思考が大いに乱され、集中しづらくなるのは確定的だった。


それでもどうにか自分を奮い立たせ、問題と向き合うことができたのは、成績という、己の学校におけるたった一つの取り柄を失うことを恐れたからだろうか。


気づけば思考の軸はとうに勉強にすり替わっていた。


ただし、左右から訪れる甘かったり、柔らかかったりと情報量の多い刺激がなくなるわけではないし、それを完全無視することは決してできない。


なんとなしに動かした潮海のふとももが僕の同じ部位に擦れる。


何度目ともしれないその現象に対して僕が先程まで反応し、幾度となく心を乱していたのを気取られていたのか、潮海は何度か揶揄うような瞳を僕に向けてきていた。


すなわち、


“こんなことで、動揺するなんてやっぱ陰キャってキモいわね”


と。


「……ちっ」


しかし、思考の軸が変わればそれらの刺激に対する苛立ちが先行してしまうのが癇癪持ち元メンヘラの僕という男であった。


潮海がいよいよ持って故意に膝を動かすようにしてきたので、僕は反撃するように勢いをつけて膝を動かし、潮海の膝を撃退した。骨と骨が軽くぶつかる鈍い音がした。


「いたっ……」


「ハッ……」


潮海が反射的に挙げた小さい声に、僕は嘲笑うような声をあげて挑発する。


「このっ……」


潮海がお返しと言わんばかりに素早く膝を動かしてくるがタイミングを見切っていた僕は両の膝をサイドステップさせ、潮海の関節の可動限界まで退避させる。


「ふん……」


「ぐぬぅ……」


潮海の膝に完全勝利したところで、苛立ちが解消され、問題を解く効率も上がっていったところで、今度は氷織の吐息が耳につく。


「ん……」


潮海の攻撃を避けたせいで氷織の方にふとももごと移動してしまっていたようだ。一度集中した氷織が手元から視線を放すことはないが、僕のふとももと擦り合わせるように、ゆっくり氷織がふとももを押しつけてきていた。


普段ならこの程度触れ合いでもお互いに気まずい空気になっていただろうが、氷織も僕も今は理性の大半は勉強に注がれており、それ以外の意識は本能によるところが大きかった。


「む……」


潮海と同じく勢いで撃退しようと考えた僕は、押し返すように股関節から力をこめていく。

しかし、


「なんだこれ……」


氷織のふとももを動かせる気配が全くしなかった。力を込めれば込めるほどふにふにと健康的な柔らかさが返される。


制服のスカート越しの部分はそれほど気にならないが、そこから露出した膝に近い方の部分があるせいで、余計に変化する感触が気になってしまう。


仕方なく敗北を認め、潮海の方にふとももを退避させる。


「だめ……」


すると、そんな呟きとともに追いかけるように氷織がふとももを移動させてくるので、いつまで経っても氷織のふとももが僕に密着していた。


「おい……」


さすがに口頭で文句を伝えようとすると、


「今……いいところなの……集中……乱れるから……寂しくさせないで……」


意味わかんねぇだろ。こっちの集中が乱れんだよやめろ。


「ちょっ、三咲いい加減にしないと怒るわよ!私のふとももに膝押し付けすぎなのよっ!そんなに感触を楽しみたいの!?いやらしいわね!」


「うっせぇやい!黙って足閉じてスペース開けろ!こっちはそれどころじゃねんだよ!」


いつの間にやら今度は潮海の方に寄っていたようだがそんなことはどうでも良かった。


「ふーん。私の足はぶつけて払い除けるくせにひおりんにはそういう感じなの。へー」


「うぐ……くそ、なんでお前も押し返してくんだよ、こっちくん……な」


言ってるうちに、手をつけた英語のテスト範囲を網羅してしまい、一旦のブレイクとして、なおも走り続けていた僕のペンがついに止まった。

挟み込まれるように押し付けられる二つのそれぞれ違った柔らかさのふとももの感触がダイレクトに脳に伝わり始める。ついでに、無理矢理閉じさせられている膝の部分が痛い。


「あ……あの、ふ、ふたりとも……や、やめて、ぼ、僕がわ、悪かったから……」


んなわけあるか、僕は絶対悪くない。

くそ、集中が切れたせいで思うように喋れない。ついでに急に顔が熱くなってきた。最悪だ。

そんな僕の態度を見て、潮海がにしっと笑った。


「なぁに〜?急にしおらしくなったわね。生意気タイムは終わったのかしら。ほらほら〜」


くそくそやめろやめろ、ぶち殺すぞ。


「……や、やめてよ……い、いたいよ」


今まで精神を削られるような言葉は多く耳に入れてきたが、物理的に煽られるような真似はほとんどされたことがなかったため、自分で思う以上に弱々しい声が出てしまった。そのせいで嗜虐心を煽ってしまったのか、潮海の目の焦点が曖昧になっていた。


「……な、なにかしらこの気持ち……もっと……」


何か仕返ししてやらなければやられると直感したところで、僕の身体は反対側に引き寄せられ、柔らかい感触に包まれる。


「あまち、やめて。かわいそうだよ」


氷織がいつの間にやらペンを止めて、僕を身体ごと引き寄せていたのだ。


お前が侵攻してくるのも原因の一つだろ、という反論は氷織の身体の温もりや甘い匂いも含めた多大な情報力にかき消された。


側頭部に当たるおっきめの特に柔い感触が思考を停止させる。


「はっ……な、何してるのかしら、私。こんな奴にくっついたりして……少しやり過ぎ……」


潮海が正気に戻ると、申し訳なさそうにこちらを見るが、それはすぐに怒りの感情に書き変わる。


「って何してんのよ三咲!ひおりんから離れなさい!」


これ以上は無理だ。自分も含めた周りの目まぐるしく動く感情に耐えきれず、僕は財布から自分の分のお金だけをテーブルに残し、その下をくぐり抜け、その場を脱出した。


「あ、ちょっと!」


「ぼ、僕……か、帰る」


それだけなんとか言い残し、僕は一人で店を出たのだった。

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