第3話 ハンメルとドミンゴ
セシリエの父、セオドア・ハンメルはハンメル商会を経営する商人だった。
国内外で広く手堅く利益を積み上げ、富を築いたセオドアの商才が国王の目に留まり、男爵位を賜ったのが7年前。
だが、爵位を賜っても彼らの生活にさして変わりはなく、根っからの商人であるセオドアは、経理担当の妻に商会を任せ、あちこち飛び回る毎日を送っている。
今現在も、父は元気に商船に乗って航海中。
帰って来るのは1か月後だ。
「だからお父さんにイアーゴさまとの婚約解消をお願い出来るのは、まだ先なのよね・・・」
思い立ったら行動派のセシリエは、もどかしさに溜め息を吐いた。
ドミンゴ子爵家の嫡男イアーゴとの縁談が来たのは約1年前。
ハンメル家同様、商会を経営している。名前もそのままドミンゴ商会だ。
縁組をもって事業提携をし、互いの商会をより堅固にしようというドミンゴ側からの申し出だった。
ドミンゴが欲しかったのはハンメルが持つ国内外の流通経路。縁戚優遇を期待しての事だ。
見返りとして、ドミンゴは所有する熟練細工師らをハンメルに優先的にまわし、更に原材料の仕入れ値も大幅に安くすることを提案した。
当時の、つまり1年前のイアーゴおよびセシリエに特別な相手はおらず、政略結婚を結ぶのになんの問題もないと話は進む。
婚約前に、顔合わせと称して両家の両親を交えて会った時も、イアーゴは終始笑顔で穏やかに接し、そんなイアーゴにセシリエも恋心とまではいかないが好感を持った。
セオドアは念の為とイアーゴの素行調査をしたが、暴力、ギャンブル、飲酒などの問題経歴はない。
イアーゴの方が一歳上と年齢差も丁度良く、商会同士の繋がりも深められる。
正直、得られるうまみはドミンゴ側の方が大きいが、相手は子爵家で歴史ある商会でもある為、なかなかの良縁だと判断したのだ。
―――その時は。
「それが蓋を開けてみれば、とんだクソ野郎だったと」
「・・・まさか父さんも俺も、あの男が、婚約者ができてから女遊びを始めるとは思わなくてな」
例のカフェでの一件から2週間。
ハワードとセシリエは、アーノルドの呼び出しを受け、商店街の並びにあるケーキショップに来ていた。
そこは情報操作の場として、彼の勤めるギルドが所有している店の一つ。
アーノルドは去年からこの店で店員として働き、噂の収集、もしくは拡散、抑制などを担当しているという。
「はい、セシリエちゃん。これうちのおススメ」
2階にある個室に案内された2人の前に、アーノルドがお茶とケーキを並べる。
それから、数枚の紙を懐から取り出した。
「それと、これ。前に2人から頼まれたやつ」
テーブルの上に置かれたそれを見て、ハワードが「早いな」と呟いた。
「これくらい、
ハワードが調査書を手に取ると、隣に座っていたセシリエも一緒に見ようと兄の手元を覗き込む。
複数の女性の名前と、それぞれの年齢、身分、家庭環境、働いているならその職業などが細かく書かれていた。
その人数に溜め息が漏れる。なんと4人と現在進行形でお付き合い中だ。
4人のうちの2人は貴族、男爵家と準男爵家の娘で、残る2人は平民だった。
いずれも子爵家のイアーゴより身分が劣る。
それはつまり、余程の事がない限り、いつでもイアーゴの望む時に切れる相手という事だ。
最後に結婚するのはセシリエ、というイアーゴの言葉をセシリエは思い出した。
確かにそのつもりなのかもしれない、と、報告書を見てセシリエは思う。
だからイアーゴにしてみたら、婚約者を疎かにしているつもりはないのかもしれない。
実際、婚約の書面で約束するのは将来の結婚だけだ。
そこに婚約者を慈しみ、尊重し、良い関係を築くなどという文言はない。それは当たり前の事で、婚約したらそのように行動するのが常識だからだ―――普通ならば。
けれど、イアーゴはそうではなかった。
そうする気など、更々なく。
・・・ここで私が怒るのって、普通よね?
相手のあまりに堂々とした無神経さに、自分の常識が間違っているのかと心配になるセシリエだった。
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