第40話 これも神のご加護?

 鼻をくすぐるのは何とも言えない、旨味がぎゅっと詰まったお出汁の香り。

 目を楽しませるのは色鮮やかな小皿の料理たち。

 まるで懐石料理やフルコースのフレンチのようで、どれも美味しそうな和洋折衷の料理に囲まれたグラナートさんと料理長は、突然の来訪にも関わらず私を笑顔で迎えてくれた。

 しかもそのまま部屋に戻るのはまだ気まずい私の気持ちを何も言わず受け止めてくれて、せっかくだから出来立ての昼食を食べて落ち着いてから戻ればいい、とお披露目用の試作料理とは別に用意されたお昼ご飯を並べてくれた。

「出来立てが一番美味いからな。本当は神子様に厨房で食事させるなんて失礼かもしれないけど」

「大丈夫です。マールスパイもここで出来立てを食べたし」

「じゃあ安心だ」

 ニカッ

 輝く白い歯を見せてグラナートさんは笑う。

「せっかくだから俺も休憩だな。料理長たちにも一休みしてもらわなきゃ」

 彼はふう、と息をついてから調理場のみんなに声をかけて、厨房内は一斉にランチタイムになった。

 そして私たちはテーブルを挟んで向かい合うように座る。

 私の視線はまだ調理スペースに並んだ試作料理に向いていて、グラナートさんはその視線を追うように自分の顔をそちらに向けた。

「たくさんあるだろ?」

「はい。良い匂いがして食欲をそそられますね」

「それは嬉しいな。どれも自信作なんだ」

 グラナートさんは小さく笑みを浮かべる。

「神子様に食べてほしい料理ばかりなんだ。絞り込むのが難しい」

 くしゃっと苦笑する。

 私もそれにつられて笑顔になる。

 それから目の前にある今日のお昼ご飯となったグラタンを口にした。

 まろやかなホワイトソースに、野菜やキノコ、鶏肉の味が染み込んでいて美味しい。

 そう言えば向こうの世界にいた頃もよく食べたっけ。

 マカロニグラタンもポテトグラタンも大好きで。

 西洋料理に似た料理が主流のユエイリアンで、食材や味つけが合わなくて困る、なんてこと…そう言えば一度もなかった。

「これも月光神様のご加護なのかな」

 ぽつり、本当に小さな声で呟いたその言葉に、ふっと厨房が静かになる。

 ハッとして顔をあげると、グラナートさんだけでなく料理長をはじめ厨房にいる全員が、驚くのと同時に感激しているような様子でこちらを見ていた。

「あ…突然ごめんなさい」

 そう言うと、料理長たちはみんな揃って無言で首を横に振り、グラナートさんは

「いいんだ、謝ることなんてない。良かったら、そのご加護について話してくれないか?」

 と言った。

 もちろん断る理由なんてない。

「私、ここに来てから食事について困ったことがないな、って思ったんです。私の知っている世界とここでは食べ物の名前が違っているけど、味は似ているし、よく食べていた食材が揃っていて、毎日作っていただいている食事もこのグラタンみたいに馴染のある料理や初めて食べる料理や…どれも美味しいものばかり。こんな風に恵まれているのって、もしかしたらご加護なのかな、って思ったんです。食べることは生きることだから…もし食事に困っていたらきっとこの世界で生きていくことを困難に思ったかもしれません」

「…食べることは生きること、か…。それをちゃんと分かってる神子様だから、作ることから大切にできるんだろうな」

「え…?」

 グラナートさんの大きくて力強い瞳が穏やかにこちらを見つめる。

「神子様の作る料理はどれも優しい味がする。食材を余すところなく使って、食べる人のために丁寧に刻んだり下味を付けたり、ゆっくり時間をかけて旨味を引き出したり…。どれも心底楽しそうに、嬉しそうにやっていた。だから俺は…改めて、自分に出来る最高の料理を神子様に食べてほしいと思ったんだ。これからも、ずっと」

 じわり、温度の上がった彼の言葉が私の胸の中に広がる。

 そんな風に思ってくれていたなんて、想像もしていなかった。

 とても気さくで人当たりの良いグラナートさんは最初からどこか気軽な感じがあったけれど、人を見る目は確かな人だとも感じていた。

 表面上は当たり障りなく接するけれど、自分の懐に入れていい相手かどうかは厳しく見極めている、そんな印象。

 そのグラナートさんの「ずっと」という言葉は、まるで私の心を丸ごと包み込んで抱きしめてくれているみたいに心強い。

 だから素直に思えた。

「グラナートさんと出会えたことも、月光神様の思し召しだったんですね」

 私の言葉に彼の頬が高揚する。

 瞳の中にはさっきまでとは別の、柔らかで静かに熱を持った輝きが宿る。

 それからグラナートさんは照れたように顔を背けて、ぽんぽんと厚い手のひらで私の頭をそっと撫でた。







「ごめんなさいっ」

 身体を二つに折る勢いで頭を下げる。

 ランチタイム終了後の厨房は波を打ったように静まり返っていた。

 その場にいる誰もが息をのんで様子を見守る。

「ユウっ、顔を上げてください!貴女は何も悪くありません」

 気遣わし気に厨房に現れた彼らの姿を見つけるなり全力謝罪の体勢になった私と、そんな私に駆け寄り心底心配そうな顔で私の顔を覗き込みながら優しく背中をトントンと撫でてくれるサフィ。

 その横で彼を宥めながら「すまない」と、たった一言だけど重みのある謝罪の言葉を告げてくれたゲート。

 彼等の後方から苦笑を浮かべて歩み寄ってきてくれるのは、事情を知ってついてきてくれたらしいディア。

 私は三人に優しく受け止められて、顔を上げた。

 一歩下がった場所ではフリソスさんが微笑みを浮かべて、私に頷き返してくれていた。

 勢いに任せて部屋を飛び出した私だけれど、ゲートはすぐさま私に気付かれないように部屋を出て後を追い、厨房近くの小部屋で様子を窺いながら、私の様子が落ち着いたことをサフィに伝えるため伝令を飛ばしたようで、それを聞いたサフィと神殿へ来て異変を悟ったディアが揃って厨房へ来てくれたそうだ。

 そんなディアは何だか満足そうな笑みを浮かべていて。

 私の隣に並ぶと

「僕もユウの可愛い拗ね顔、見たかったな」

 なんて囁いた。

「可愛くないよ。きっと嫌な顔してた」

「そう?僕たちにとってはユウの表情ならどんな顔をしていても可愛く見えちゃうからね、心配ご無用」

 ディアはいつもと変わらない様子で冗談めかした。

 深刻になり過ぎないように、彼なりの気遣いだ。

 だから私も素直に気持ちを伝えてみようと思う。

「あの、ね…何かあったら、話せる範囲でいいから私にも教えてほしかったの。もちろんみんなが私のことを考えてくれてるって、ちゃんと分かってる。だけど…蚊帳の外になっちゃうのは、やっぱり寂しい…」

 幾分しりすぼみになったのは、こんな風に我がままを言ったり寂しがったり、子どもみたいな自分への自己嫌悪。

 同時に下がってしまう視線。

 でもディアはそんな私の頬を優しく両手で包み込んで、視線を合わせるようにそっと顔を上げさせてくれる。

「寂しいって気持ちは、相手を愛しく思うから生まれるんだよ」

「それは…そう、だけど。こんな忙しい時に結局みんなに迷惑かけてる。ごめんなさい」

「うん、分かった。でもね、本当に誰も迷惑だなんて思ってないよ。だからもうあやまりっこはやめよう。仲直り。ね?」

 そう言って彼は私たち全員を見回した。

 仲直り、の言葉にホッとする自分がいる。

 サフィとディアに視線を移すと、二人も同じようにいつもの微笑みを浮かべていた。

「ありがと」

 小さく呟くように告げれば

「「「こちらこそ」」」

 見事に三人の声が揃った。

 自然と浮かぶ笑顔と、瞬時にその場を包み込む優しくて温かな空気。

 そんな私たちを見守ってくれていたグラナートさんやフリソスさんに、厨房のみんな。

 ちょっとだけ照れくさくなって思わず肩を竦めると、ふいに

「あぁ、そうか…」

 何かを心の底から納得したようなグラナートさんの呟きが耳に届いた。

「?」

 何だろうと思って彼に視線を向ければ

「神子様のおかげで答えが見えたよ。これでお披露目のメニューは決まりだ」

 グラナートさんは確信をもった頼もしい視線を返してくれる。

 そしてすぐさま料理長たちに振り返ると

「早速素材の買い出しだ!それから作業の割り振りと打ち合わせを始めよう!!」

 彼の一声でわっとやる気に満ちた歓声が起こり、一気に厨房が動き始めた。

 グラナートさんは料理長と一言二言、話をしながら手早くメモ用紙に何かを書きつけ、料理長はそれを見ながら厨房の中でも「見習い」と呼ばれる人たちを全員集めて指示をする。

 他の料理人たちは手早く食器や作業台を片付けて、すぐに打ち合わせの用意を整える。

 普段から鍛え上げられているプロ集団の動きは無駄がない。

 蜘蛛の子を散らすように見習いさんたちが厨房から出ていくと、手を止めることなくグラナートさんは真剣そのものと言った様子で作業台に向かって、大きく広げられた用紙に恐らくメニューと思われる文字を書き始め、時折余白に料理の図説を入れていく。

 力強く輝く瞳と男らしく凛とした横顔。

 吸い込まれるように釘付けになった私の視線。

 このままずっと見つめていたい。

 例え国を挙げてのお披露目式だからだとしても、こんな風に真剣に向き合って、懸命に、それこそ一つ一つの料理に魂を込めてくれるなんて、やっぱり嬉しいしすごく幸せだ。

 それを目の当たりにしたら、感激しないわけがない。

 何か、グラナートさんに私も想いを返したいな。

 そう思ってふと、あることを思い出した。

「サフィ、お披露目ってお祝いみたいな意味も含まれてるよね?」

「ええ、もちろんです。ユエイリアンにとってこれ以上ない程、おめでたい日になりますよ」

 ってことは。

 私もみんなに思いを伝えられる、チャンスかもしれない。

 サフィやゲート、ディアだけじゃなく、シンケールス様にグラナートさんやルヴィニさん、それにフリソスさんや料理長たちにも、今伝えておきたい気持ちがある。

 それを形にすることが出来るなら。

 そう思いついた時、ふと厨房の食材置き場に小さく山を築いていた赤いリンゴが目に留まった。

「リンゴ…」

 私がこの世界に来て初めて作ったのはアップルパイ。

 あの時のことは今でも鮮明に覚えている。

 美味しい、って喜んでくれたみんなの顔…嬉しくて幸せな思い出。

 そういえばリンゴもバラ科だったはず。

 この世界でも同じだとしたら、リンゴはさしずめ「愛の果実」と呼べなくもない。

 実際そう呼ばれているかどうかは分からないけど、リンゴは私にとって特別な思い入れのある果物だ。

 そのリンゴを使って感謝の気持ちを伝えられたら…。

「そうだ…!!」

 ひらめいてしまった私は食材置き場の様子を隅々まで確認する。

 材料は…、きっと何とかなる。

 お米もあるし、中身はサツマイモで代用して、色付けは赤く甘酸っぱいリンゴがある。

 完全再現というよりは和菓子と洋菓子のコラボレーションになりそうだけど、きっと美味しいものが作れると思うの。

 うん、我ながら良いアイディアだと思う。

 あとは厨房を使わせてもらえるタイミングの確認と、料理長への根回し。

 それからサプライズを成功させるためには、私が一人で作業できるようにしたいんだけど…誰も護衛がつかないってことは許可されないよね。

 となると、誰に協力をお願いするか、ね。

 私は踵を返して、きょとんとしているみんなを見回す。

 そうよ「彼」なら信頼できる。

 今回のサプライズについて、最も信頼できる協力者。

 私は小走りで駆け寄り、そっと「彼」に耳打ちした。







続く

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