第39話 カクゴとキモチとモヤモヤと

 ルヴィニさんとの衣装合わせは順調に進み、サフィとゲートの衣装合わせまで滞りなく終わる。

 三着とも特に大きな修正はないため、ルヴィニさんもこれでようやく一息つくことが出来るようだった。

 サフィとゲートは部屋の隅で待機してもらい、ソファでは私たち三人でお茶を楽しみながら「月のもの」についてルヴィニさんから用具や衣装について教えてもらう。

 他の国はともかく、ユエイリアンではいわゆる「布ナプキン」が主流で、専用の肌着に固定するため「羽根つき」タイプになっている。

 この布ナプキンは吸収性も高く、漏れ防止も考えられた優れもの。

 それでも万が一の時には衣装に汚れが付かないように、もしくは汚れてしまっても目立たないように、肌着の上に薄い布地で作られたペチコートのようなものを履く。

 色はダークブラウン、ネイビー、ブラック、と安心のラインナップだ。

 布ナプキンを洗濯する時も洗浄力の高い粉石鹸が開発されていて、それは神殿だけでなく女性がいる家庭に常備されており、当然「月のもの」に関する品々は国から支給されているのだとか。

 実物をルヴィニさんから数セット受け取る。

 本来なら男性から生理用品を渡されるのって違和感でしかないんだけど、相手がルヴィニさんだから、視覚からの情報に錯覚して感覚がマヒしているせいか、違和感はみじんもない。

「ユエイリアンでは男性は女性以上に女性の心身について学ぶのが当たり前なの。だから知識だけならみんな持っているはずよ。でも男性である以上、私たちには本当の意味で女性の感覚を知ることが出来ないし、しんどさを身をもって知ることも出来ないわ。自分の身体に起こることならもっと理解して寄り添うことも出来るんだけど、そこがもどかしい所ね。その点を補うためにミュゲさんたち女性の本音を知ることが私の役目でもあるの」

「仕立て屋としてのお仕事も忙しいのに、女性のためにそこまで…」

「心配はいりませんわ。どちらも私がやりたくてやっていることだもの。それと、この想いは私だけでなく、あそこにいる二人やディアマンテ殿下も同じ。月の導きがあったら、遠慮なく彼らを頼ってさしあげてください。その時期のケアについて彼等も幼い頃から学んでいますし、サフィール様は特にお詳しいはずだから。思いっきり甘えた方が喜びますよ」

 ルヴィニさんが言うのを聞きながら二人に視線を向ければ、ちょっと照れた横顔で頷き合っているのが見えた。

 っ、結局聞こえてるよね、やっぱり!

 いくら部屋が広いと言っても限界はある。

 どうしてもかつての記憶がある分、恥ずかしさというか、生理についてオープンに会話するということに慣れていない私は居たたまれない気持ちになるけれど、ここではこうして普通に話すことが出来るのは良い事だと思う。

 毎月生理期間を一人で憂鬱に過ごすよりは、理解してもらえているだけで心は軽くなると思うから。

 カルチャーショックはあるけれど、以前の世界より過ごしやすいのは言うまでもない。

 慣れれば大丈夫、慣れれば。

 まるで自己暗示をかけるかのように自分に言い聞かせて顔を上げる。

 すると穏やかな眼差しで私を見つめているルヴィニさんと目が合った。

「神子様が健やかなのは彼らのおかげ、かしら」

「もちろん」

「だから神子様はいつも彼らのために背筋を伸ばすのね」

「?」

「私はこれでも職人だから、どんな人にも必ず似合う服を仕立ててみせる自信がある。私の誇りにかけて。でも…最後はその服を着る人自身にかかっているの。私の服で輝くのか、それとも私の服で輝きを増すのか」

 ルヴィニさんの言葉は静かだけれど重みがある。

 眼差しは温かいままだけれど、ボレアンでセイランさんが見せたあの眼差しと似ている気がした。

「そのままでも神子様は輝いて見えるわ。だから今回の衣装もデザインはあっという間に浮かんだし、仕立てる手も止まらなかった。いつも神子様がこの衣装を着た姿を思い描けたから。実際に着ている姿は想像以上だったわ。でもそれ以上に、彼らと並んだ時の神子様は神々しく見えた。神子様が背筋を伸ばす時はいつも視線の先に彼らがいる。とても素敵ね」

「ルヴィニさん…」

 そんな風に見えてたんだ、私…。

「ルヴィニさんの言う通りです。私はサフィやゲート、ディアのおかげでこうして元気に前を向いていられます。だから私、ちゃんと神子になりたいんです。そのためのお披露目式だと思っています」

 私にとって嘘偽りのない、真剣な思い。

 口に出すと一瞬心臓がひやりとするくらいの重圧がかかって怖くなる。

 片隅でサフィたちが身じろいだ音が認識できて、二人が思わず立ち上がったのが分かった。

 そう、そんな彼らが私の傍にいてくれる。

 だから私に特別な力があるなら、それを彼等のために使いたい。

 いつでも堂々と彼らと一緒にいられる自分でいたい。

 そして。

「シンケールス様やグラナートさん、ルヴィニさんにミュゲさん、ボレアンの町の人たち…私に関わってくれる全ての人たちにも感謝しているんです。その思いに少しでも恩返しできたらいいな、って…そう思うから、頑張れます」

 私の言葉を、ルヴィニさんは噛み締めるようにして受け止めてくれる。

 それからパンっと両手で膝を打ち

「そう…。分かりました。神子様がそこまで想ってくださっているなら、私は全力で神子様をお支えしますわ。仕立て屋としてはもちろん、一人の人間として、良き相談相手になれるよう努めます。よろしいですね?」

 最後は茶目っ気たっぷりに伺ってくる。

「ぜひ、よろしくお願いします」

「こちらこそ。彼らに話せないような恋のお悩みも歓迎いたします」

 そんな彼の一言で私たちは声を上げて笑い合った、その時だった。

 今朝と同じ、ふわりとした温もりを額に感じた。

「あれ…?」

 無意識に手を当ててみる。

 また神印が光った…?

 思わずサフィやグラナートの方へ顔を向ける。

 すると二人は互いに顔を見合わせた後、何かを納得したかのような、それでいて少し戸惑うような、複雑な微笑みを浮かべた。

 その直後、パンという小気味よい拍手音がして

「さ、私は工房へ戻ります。エスコート練習用のドレスとヒールも用意しなければいけませんから」

 と唐突にルヴィニさんは立ち上がり、帰り支度を始めた。

「ルヴィニさん?」

「お昼過ぎにでもまた伺います。ミュゲさんはどうしますか?グラナートはまだ当分帰りそうにないと思うのだけれど」

「そうですね、私もお店に戻ろうと思います。これからお店も忙しくなるでしょうから」

 幾分早口のルヴィニさんにミュゲさんも頷いて、二人は揃って立ち上がる。

「それではまた後ほど」

「お邪魔いたしました」

「あっ、あのっ、ありがとうございました!!」

 慌ただしい去り際につられるように私も早口でお礼を言って勢いよくお辞儀することになり、顔を上げた時にはもう二人は部屋を出ていたのだった。

 こんな見送りでいいのかな、とサフィたちに振り返ると

「大丈夫ですよ。お二人とも笑顔でお帰りになられましたから」

 サフィの優しい声でなだめられた。

 まだ少し苦笑いのような微笑みを浮かべるサフィは、そっと私の傍に歩み寄る。

 それから細く長い指先で私の額に触れる。

「私、神子の力を使ったつもりは」

「ええ、分かっています。きっと月光神様からのご加護があったのでしょう。その合図だと思いますよ」

「ご加護?私に?」

「もちろん貴女のために。でもそれはきっと「私たち」にも恩恵をもたらしてくれるものだと思っています」

「サフィは今回のご加護がどんなものか知ってるの?」

「なんとなく。ユウにもいずれ必ず分かります。でも今はお披露目が迫っていますから、そちらに集中しましょう」

「そう…」

 サフィが言うならその通りなんだと思う。

 でも何だかモヤモヤする。

 私の視線は自然と下がり、顔も俯いてしまったからサフィの表情は見えなくなった。

 代わりにゲートの足が視界に入る。

 ぽん、と頭に温かくて優しい重みを感じた。

「楽しみは後にとっておく方がいいだろう?月光神様からの贈り物は必ずユウを幸せにしてくれる。今、その正体が分からないからって、不安に思う事はない」

 そう言われて顔を上げれば、そこにあったのは胸がぎゅっと締め付けられるくらい、心底優しいゲートの微笑みだった。

 …確かに、そうだよね。

 どうして私、こんなに釈然としない気持ちになったんだろう。

 月光神様もサフィもディアも、みんな私のことを想ってくれている。

 それは分かっていることなのに…どうして…胸の奥が痛いのかな…。

 何だか居たたまれない。

「私…厨房に行ってくる。フリソスさんと」

「えっ」

「ユウ!」

 どうにも消化しきれない感情を持て余したまま、私はその場から駆け出した。







「あの、ごめんなさい、フリソスさん」

 神殿から厨房に向かう途中、私の斜め後ろを歩く彼に声をかける。

「私の我がままに付き合わせてしまって…」

 今更になって自分の幼すぎる行動に恥ずかしさと情けなさが込み上げてきて、まともにフリソスさんの顔が見られない。

 私ホントに何やってるんだろう…。

 いくらあの二人が相手だからって、感情のまま拗ねて逃げ出すみたいに部屋を飛び出すとか…思いだすともう顔から火がでそうなくらい。

 思わず両手で顔を覆って大きなため息をつけば、フリソスさんは

「私のことはお気になさらず。任務に支障はありません。それに素直な感情を表せる相手がいるというのは、とても良いことだと思いますよ」

 と穏やかに告げた。

「良いこと、ですか?」

 二人だけでなくフリソスさんまで巻き込んで、私の感情で振り回してしまったのに?

 しかもこれから向かう厨房には料理長たちだけでなく、グラナートさんもいる。

 大切なお披露目式の料理を試行錯誤してくれている所に私が行ったら、きっと手を止めさせてしまうかもしれない。

 巻き込む人数がどんどん増えてしまうことに今頃気付いたけれど、かといって部屋に戻ることは出来そうにない。

 最悪だ、こんなの。

 考えれば考えるほど自己嫌悪がひどくなる。

 でもフリソスさんは少しも様子を変えることなく

「ケンカが出来るのは仲が良い証、とも言われています。今回のことはケンカとは少し違うかもしれませんが」

 そう言ってふわりと笑みを浮かべた。

 エルフの王子様のように美しい人の微笑みは危険だ。

「っ…」

 思わずきゅんとして見惚れてしまう。

 いや、ダメだ、違う、そんな場合じゃないのよ今は!

 危うく緩みそうになる頬を引き締めて、サッと彼から視線を外す。

 そんな挙動不審な私を訝しむことなくフリソスさんは穏やかなまま。

「常に周囲を気遣い感謝の心で向き合われている神子様ですから、一番近くにいる人間にはありのままの心を見せてもバチは当たりませんし、あのお二人もそれを望んでいらっしゃると思いますよ」

「…そうでしょうか…」

「私たち男性は女性たちの感情に沿うよう教育を受けていますし、良くも悪くも女性の感情を受け止めることに慣れていますから、遠慮されたり我慢されたりすると逆に戸惑ってしまうんです。それに少し距離を感じてしまいます。まだ自分は心を許せる相手とみなされていないのか、と」

「え…?」

「もちろんあのお二人もそうだとは断言できませんが、少なくとも神子様の素直な感情をぶつけられて嫌な気持ちにはなりませんよ」

 フリソスさんはそう言ってにっこり笑う。

「私としてはお二人だけでなくディアマンテ殿下も含めて、三人が困ってしまうくらいの神子様の我がままというのをぜひ見てみたいほどです」

 なんて冗談交じりで。

 だからふっと私も笑ってしまった。

「その調子です。神子様は笑顔で彼らに色々お願いしてみるといいですよ。きっと喜びますから」

「私、嫌われませんか?」

 そんな言葉がスッと出てきた。

 あ…、そっか…。

 私が怖かったのはサフィたちに嫌われてしまうこと。

 だから自分の気持ちを口にする前に、一度飲み込んでしまっていた。

 本当はあの時すぐに「どういうことなのかちゃんと教えて」って言えばよかったのに。

 そうしたらサフィもゲートも、もう少し話をしてくれたかもしれない。

 結果的に話せることが少なかったとしても、きっと私の気持ちを受け止めてくれたはず。

 私、自分で勝手に壁を作ってしまったんだ。

「神子様、大丈夫ですよ。あの三人が貴女を嫌う事なんて天と地がひっくり返ってもあり得ません」

 力強いフリソスさんの言葉に、私はしっかり頷いた。






 

 続く

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