第38話 とうといもの
翌日、私たちが朝食を済ませたのを見計らったかのようなタイミングで、衣装合わせに来たルヴィニさんと私に話があるというミュゲさんが神殿に顔を見せた。
ついでにグラナートさんも一緒だそうで、やって来るなり厨房へ直行したらしい。
ミュゲさんの話によると、ボレアンから戻って来たグラナートさんはすっかり「ワショク」の虜になって、それまで考えていたお披露目用のコース料理を変更することにしたそうだ。
その相談と試作とミュゲさんの護衛を兼ねて神殿へ来たそうで。
「彼がいれば私たちも安心して出歩けるから助かるけど、この土壇場でメニューを替えるなんてなかなかのチャレンジャーよね」
と言うのはルヴィニさん。
「あの子、神子様に食べてもらうものに妥協はできない!!って張り切ってるの」
とミュゲさん。
え?私?
驚いてきょとんとしてしまう。
確かに和食は馴染み深いし大好きだけど、グラナートさんが作るものなら絶対美味しい、っていう信頼がある。
でも…そっか…嬉しいな、そんな風に思ってくれてること。
心の中がポカポカしてくる。
その瞬間、ふわりと額が温かくなったような気がした。
あれ…?
手で触れてみるけどよく分からない。
けれど確かに変化があったことはみんなの顔を見て分かった。
嫌な感じはしないから、何か知らせてくれてるんだと思うけど…。
「サフィ…?」
すぐ隣で私を、というより私の額を見つめている彼を見上げる。
彼はハッとして
「ユウ、神印が浮かんでいます。何か力を使いましたか?」
心配そうに問う。
「え?ううん、何も祈ってないし願ってもいないよ。ただ、グラナートさんが全力で頑張ってくれてることが嬉しいな、って思ってただけ」
そう素直に告げた途端、サフィとゲートが顔を見合わせた。
「ユウ、私は少し厨房に行ってまいります。確認したいことがありますので。すぐに戻りますから、先に衣装合わせを始めていてください」
早口でそう言うが早いか、サフィは今までで一番の早足で厨房へ向かって行った。
…どうしたんだろう。
ゲートに視線を向けるけど、彼は曖昧な表情を浮かべて
「心配ない。ルヴィニ、衣装合わせを始めてくれ」
とだけ言った。
微妙な空気が流れるこの部屋に
「そうね!さあ、始めましょう!」
ルヴィニさんの明るい声が響く。
そのおかげで雰囲気はパッと晴れ、彼の手によって手早く衣装合わせの準備が整えられていく。
「まあ、私も見学できるなんて嬉しいわ」
ミュゲさんは心底喜んでいる様子で、私は何だかちょっと照れくさい。
「神子様、今回は最終的な調整を行います。気になるところがあったら遠慮なく仰ってくださいね」
「はい」
「衣装を着つけたら、そのまま少しお部屋の中を歩いてみてください。今日は当日履いていただく靴もご用意しておりますから」
ルヴィニさんが言うようにお披露目用の衣装と共にアクセサリーや靴、手袋やヴェールも用意されている。
私たちは衝立の向こうに行き、いよいよ着付けが始まった。
苦しくない程度にコルセットを締めると背筋がピッと伸びる。
その状態で衣装を身につけ、アクセサリーも装着。
髪は敢えて結わずに長いまま流していたのを、ルヴィニさんが手早く一つにまとめてアップスタイルにしてくれる。
手触りの良いシルクの手袋をつけて靴を履く。
身に付けた全てが驚くほどぴったりで、まるで私の肌に合わせて伸び縮みしているような感覚を覚えた。
部屋の中を何度か往復してみても違和感はない。
ただし耳や首元、手首を飾る本物のきらめきを纏ったアクセサリーの重みはしっかり感じている。
ヒールの高さも歩きやすくて丁度いいんだけど、緊張してきた私の動きはちょっとぎこちない。
「ウォーキングの練習した方がいいかな…?」
不安になってゲートを頼ると
「必要ないと思うが、ユウが練習したいというなら付き合うぞ」
心強いお言葉。
「ぜひ」
なんてやりとりをしていたら、ルヴィニさんが優しく笑った。
「緊張するな、っていう方がムチャですものね。今のままでも素敵だけれど、当日は彼らにエスコートされるから慣れておくのもいいかもしれないわ。身長差もいつもとは少し違ってくるから」
それもそうだ。
普段は動きやすさを重視して、ほとんどヒールのない靴を履いているからゲートたちとの身長差は大きい。
でも今履いている靴の高さだといつもとは目線の高さが違う。
ということはゲートと並んでみるといつもの感覚とは全然違うような気がした。
手をかけやすいように、すっとゲートが左ひじをこちらに出してくれる。
私は自然と彼の腕に手をかけた。
まるで新郎新婦みたい。
神子の衣装が純白ということと、頭からヴェールを被っていることが相まって私の姿は花嫁のようで、元々近衛隊の隊服を身に付けているゲートは幾分ラフな格好をしてはいるけれど、騎士様に見えなくもないからかなり新郎っぽさが出ている。
だから私が結婚式の様子を想像したのも無理はないと思う。
いや、こちらの世界の結婚式がどういうものか分からないけど、でも、これは…っ照れる…ッ!!
意識した途端顔が熱くなる。
それはゲートも同じようだった。
二人で赤くなった顔を背けて堪えているのを
「…あなたたち、本当にお似合いよ?」
とルヴィニさん。
「素敵ねぇ」
のんびり感想をもらすのはミュゲさんだ。
「でもね、エスコートっていうのは一朝一夕でできるものじゃないのよ?アガート、あなたにはしっかり練習していただきますからね」
「そ、そうだな」
「ええ。あとの二人は前日にでも神子様と合わせれば問題ないと思うけど、あなたは戦闘特化型だから心配なのよ」
「それは、分かっている」
「近衛隊の任務があるからと散々パーティーを断ってきたツケが回って来たわね」
「っ」
ゲートはぐうの音も出ないようだ。
すっかりルヴィニさんのペースになっている。
「というわけでお披露目までに何とかなるよう、神子様にもお付き合いいただくことになりますが、よろしくお願いいたします」
「はい!」
私も頑張らなきゃ!
と気を引き締めていたところへ
「戻りました」
サフィがやってきた。
少しだけ息を切らしている。
「大丈夫?サフィ」
駆け寄る私にサフィは笑顔を浮かべて頷いた。
「確認は終わりました。遅れて申し訳ありません」
「ううん、心配しないで。衣装はほら、ルヴィニさんが着付けてくれたし、ヒールでもちゃんと歩けるの」
ね?とサフィの前で歩いたりくるりとターンして見せたりする。
彼は目を細めて喜んでくれた。
「一度見ているとはいえ、完成した形だと更に美しさと愛らしさが引き立ちますね」
手放しの称賛には多分に身内贔屓が含まれていると思うけれど嬉しい。
「サフィもこっちに来て」
「はい」
今度は二人並んで鏡に映る。
彼の左腕にそっと手をかけ腕を組んでみると、これはこれでまたウエディングの試着をしているカップルのように見えた。
神官服を着るサフィはどちらかといえば神父様なんだけど、不思議と違和感がない。
裾が長めのタキシード、えーと、確かモーニングコートとかテールコートだったかな?
あれにイメージが近いからかもしれない。
「当日はサフィもエスコートしてくれるんだよね?」
「ええ。私たちにはそれぞれがエスコートする場面を割り当てられています。神印持ちとしてエスコートする機会が与えられるのも、ユウがこうして前向きに取り組んでくださっているおかげです」
「そう出来ているのはサフィたちのおかげだからね」
「光栄です」
サフィは恭しく私の手を取って甲に口づける。
こんな風に返してくれるようになったのも、やっぱり神印が示すようにお互いの距離が前より縮まったから…なのかな。
そうだとしたら、嬉しい。
私は彼らに相応しい神子でいられるように頑張ろう。
改めて背筋を正す。
「ルヴィニさん、衣装、ありがとうございます」
「こちらこそ。神子様のために今の私に出来る最高の衣装を仕立てられたこと、心から幸せに思っております。ふふ、本当に素敵よ。これから花開くのが楽しみだわ」
彼はそう言って満面の笑みを浮かべた。
そしてサフィとゲートも。
「さ、お次は二人の番よ。こちらへいらして」
ルヴィニさんはパンパンと手を叩き、彼らの衣装合わせに取り掛かった。
私はもう一方の衝立の向こうで着替えを済ませ、ソファで待ってくれているミュゲさんの元へ行く。
「お待たせしました」
「いいえ、とても貴重な時間を過ごせていますもの。お気になさらないでくださいね」
柔らかな笑顔で彼女は私を迎えてくれた。
同性同士ということもあり、私は特に緊張することなく彼女の隣へ座る。
ミュゲさんも自然にそれを受け入れてくれて、二人でお茶を飲む。
「神子様、今日は突然押しかけてしまってごめんなさい。でも、どうしてもお話したいことがあって」
「あ、いえ、そんな、謝らないでください。大切なお話し、なんですよね?」
「ええ。その、神子様の身体のことについて…女性同士の方が話しやすいと思って来たんです」
「身体のこと?」
そう言われて一瞬不安になるけど、ミュゲさんの様子から深刻な内容ではない感じがして、視線で先を促す。
彼女は少しためらう様子を見せたけれど、先ほどより声の大きさを控えて
「月のもの、といえば分かっていただけますか?」
と告げた。
…それって…生理のこと?
「はい、多分。女性にだけ起こる、毎月の…」
「そうです」
私が理解していることを受けて安心したように頷く。
確かにそれは私としても男性と気軽にできるような話題ではない。
例えそれがいつも一緒にいるサフィやゲート、ディアが相手だったとしても。
ミュゲさんは私を気遣うように
「もしかしたら、その時に使う物や衣装のこと、もっと言えばここでは月のものがどういう扱いをされるか、ご存じないかもしれないと思って」
と続けた。
この世界で女性の生理がどう扱われるか、ってことは…やっぱり不浄なものとか、忌み嫌われるものとか、そういう感じなのかな…。
不安は思わず顔に出てしまう。
「大丈夫ですよ、神子様。月のものは、女性が負担を抱えてでも生命を育もうとしてくれている尊い証、とされているんです。だから少しでも女性が過ごしやすくなるように、男性はその時期になると普段以上に気を配ってくれます。用具も改良を重ねられていますし、衣装の汚れも気にならないよう、専用のものがありますから」
「あ…そうなんですか?良かったぁ…。もし穢れたものとして扱われていたら、って心配になっちゃいました」
「まさか、そのような事はありません。月のものがあるということは、その女性が子を産み育むことが出来る証ですから、おめでたい事なのですよ。けれど女性にとっては呑気にしていられるものでもありませんから…。腹痛や頭痛、腰痛や吐き気、倦怠感や正体不明のイライラが続いたりしますでしょう?不快感もありますしね。そういった負担を一週間以上抱えて過ごさなければならないので、国からも手厚く支援されているんですよ。月のものについて話題にすることは当たり前になっています。ただ、女性としては恥ずかしさがあるので「月のもの」や「月の導き」と表現しているんです」
さすがユエイリアン。
ここはヨーロッパに似て非なる世界。
どこまでも女性に優しいというか、女性そのものを大切にしてくれる。
それでも恥ずかしさはやっぱりあるよね。
ミュゲさんはそれを解っているからこうして来てくれたんだ。
「教えてくださってありがとうございます、ミュゲさん」
「いえ、お役に立てて良かったです。神子様、月のものはその名の通り、月の満ち欠けに影響されるという話もあります。まして神子様は女神様と繋がりの深いお方ですから、特に影響があるかもしれません。月のものがあったら、サフィール様にお伝えいただけばきっと自然に受け止めていただけると思います。もし困ったことがあったら、私を頼っていただいても構いませんし、ルヴィニ様にご相談いただいても大丈夫ですよ」
「ルヴィニさんに?」
「はい。彼は仕立て屋としてたくさんの女性と接していますし、他の男性よりも女性の気持ちや悩みを理解してくださいます。それに月のものの用具や衣装もルヴィニ様が女性の声を元に開発や改良を重ねてくださっているんです。もちろん、月のもの以外のお悩みにも親身になってくださいますから、安心してお話しください」
彼女の言葉に、そっと視線をルヴィニさんに向けると、ぱちりと目が合ってさりげなくウィンクを返された。
確かにルヴィニさんなら女性も話しやすいと思う。
恰好や喋り方が女性寄りということもあるけれど、何ていうのかな、寄り添うのが上手というか。
ルヴィニさんみたいなお姉さんや先輩がいたらいいな、と素直に思えるから。
「分かりました。困った時はそうします」
私の言葉に安心したように、ミュゲさんはそっと微笑みを浮かべた。
続く
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