第37話 神子のおかえり
「ユウ、着きましたよ」
「ん…」
サフィに起こされて目を覚ますと、馬車の進みがゆっくりになって少しした所で停止した。
すん、と鼻を動かして感じる花の香りとシャボンの香り。
どうやらここは神殿。
私はサフィの肩を枕にずっと眠っていたらしい。
「ありがとう、サフィ。寝ちゃってごめんなさい」
「いいんですよ。ゆっくり休めたようで何よりです。身体は痛くありませんか?」
「大丈夫。さてと、シンケールス様に嬉しい報告をしなきゃね」
「はい」
サフィの手を借りて馬車を下りれば、神殿の入口で心配そうにこちらを見つめているその人を見つけた。
「シンケールス様!!只今戻りました!!」
一目散に彼の元に駆け寄る。
するとシンケールス様も両腕を伸ばして
「おかえりなさい。ご無事で何よりです」
と私を迎えて抱きしめてくれた。
まるで長い間離れていた親子の再会のような私たちに、一緒に出迎えてくれた神官たちも口々に「良かった」「おかえりなさいませ」と安心している様子。
「シンケールス様、お土産がたくさんあるんです。見てくださいますか?」
「もちろんです。さあ、中へお入りください。皆さんもお疲れ様でした。お茶を用意しますから、神殿でゆっくり休んでください」
シンケールス様に促され、サフィたちだけでなくフリソスさんや国から派遣されている護衛団の人たちもみんなで神殿へ入る。
私たちはいつものように私の部屋に集まり、護衛団の人たちは別室で休むことになった。
だから部屋に残るのは私やサフィ、ゲート、ディア、グラナートさんにフリソスさん。
数人の神官さんたちがお茶やお菓子の用意をしてくれて、私たち六人はソファへ腰を下ろす。
間もなくボレアンから持ち帰った品々が届けられ、シンケールス様もやってきた。
「まずは全員何事もなく無事に戻ってこられたこと、本当に嬉しく思います。フリソス、護衛任務お疲れ様でした」
「お言葉痛み入ります」
終始真面目なフリソスさんはそう応えて会釈する。
シンケールス様は満足そうに頷くと、今度は私たちに視線を移した。
「さて、神子のお顔から察するに、ボレアン行はどうやら成果があったようですね?」
「はい!月下美人を使ったお料理が実現できそうです」
「それは重畳。お話を聞かせてください」
「まずこちらが求めていた調味料です」
私はゲンゲツさんが作った醤油の瓶詰を数本、テーブルに並べる。
「次にこちらは思いがけず手に入った調味料です」
両腕でやっと抱えられるくらいの大きさの容器に詰められたお味噌を指し示す。
結構な重さがあるためテーブルには乗せられそうにない。
それからボレアンで調理したおにぎりの具材(日持ちするもの)を数種類テーブルに並べて、味見用の小皿とスプーンを用意してもらう。
「これらの調味料とボレアンの食材を使って作ったのが、この小鉢に入っているものです。これはおにぎりという食べ物の具材になります。もしよかったら味見していただけますか?」
「喜んで、いただきます。どれどれ…」
シンケールス様は躊躇することなくおにぎりの具材を小皿にとる。
それからスプーンできれいに掬って口に運んだ。
「!!」
「どうでしょうか…?」
一瞬ぴたりと動きを止めたシンケールス様に心配になったけど
「これは美味しい!!」
次の瞬間には目を輝かさせてそう言ってくれた。
「良かった!」
「味が濃い目なのはオニギリとやらの具材だからですね?」
「はい。出来れば今夜のお食事におにぎりだけでなく、和食も作ってお出ししたいのですが…」
「ぜひお願いします」
「俺も手伝うぞ。一緒に作ろう」
「ありがとうございます、グラナートさん!」
「お、おぉ、いや、いいんだ、俺の勉強にもなるからな」
また少しだけぎこちなくなる彼の姿に疑問符が浮かぶけれど、誰も気にしている様子がないので私も気にしない事にする。
そして私はボレアンから特別大切に持ち帰ったあの衣装をシンケールス様に見てもらうことにした。
組み立て式になっている衣桁はゲートが器用に組み立ててくれて、そこに月下美人のお着物をサフィがゲートと二人がかりでかけてくれた。
見事な月下美人が咲き誇る。
シンケールス様はそれを目にした途端、しばらくの間言葉を失っていた。
そして着物の端から端まですべてに目を通し、遠慮がちに、恭しく生地に触れる。
「これはまさに神子のための衣装…素晴らしい出来です。長い年月をかけ、人々の想いとともに織られた特別なものですね」
「月光神様への感謝を込めたお着物だと仰っていました。彼等の信仰心を受け、月光神様は月下美人の種と神の泉をボレアンに授けてくださったんです」
「なんと…それは真ですか?」
「はい。それで、その種を町長さんに預けてきました。事後報告になってしまってごめんなさい」
「謝ることはありませんよ。それが月光神様のご意思なのですから。しかし、そうですか…種を…」
シンケールス様はそこで少しだけ何かを思案しているようだった。
やっぱり「種」であることが気になるみたい。
私も気になっていたからシンケールス様の意見を聞いてみたいと思ったのだけれど、彼はすぐに顔を上げていつもの様子に戻ると
「ところで「神の泉」とは?」
と問いかけてきた。
「それが、分かっているのは次の満月の夜に神の泉が現れるということとその場所、それだけなんです。大切に扱い守り抜くようにと、月光神様からはそれだけでした」
「そうでしたか…ふむ…なるほど、何かお考えがあるようですね。いずれにせよそれだけの恵みをお授けになったということは、ボレアンが神子にとって特別な場所であるということですね」
シンケールス様はぴたりと言い当てた。
さすが神殿長様だ。
「ボレアンは私にとって羽根休めの場所だそうです」
「羽根休めですか。分かりました、ではこちらもボレアンとはより良い関係を築く必要がありますね」
それは神殿としての答え。
シンケールス様の決断は早かった。
きっとこれから神官たちがボレアンと王都を行き来することになるんだろう。
私は何気なくサフィに視線を向け、彼が頷き返してくれるのを見て何だかホッとした。
ひとまず今回の目的の一つは達成された。
神殿や王宮とボレアンとの関係づくりはシンケールス様やディアに任せておけば大丈夫。
「さてと、私はこれから厨房に行ってきます。楽しみにしていてくださいね」
「ありがとうございます、神子。グラナートも、頼みましたよ」
「任せてください」
私はグラナートさんと顔を見合わせてアイコンタクトする。
それからサフィやゲート、ディアも一緒になって厨房へ向かった。
その日の夕食はテーブル一杯に並んだ和食とグラナートさんの創作料理の数々。
みんなで土産話に花を咲かせ、舌鼓を打ち、ボレアンの余韻を大いに楽しんだのだった。
夕食後はいつものようにお風呂に入り、タオルで髪を乾かす。
しっかり水分を拭きとり終えた頃、こちらもやはりお風呂上がりのサフィがやってきた。
ゲートはソファに座って静かに読書中。
昼間、馬車の中でぐっすり眠った私は眠気もどこへやらで元気いっぱい。
「私もすっかり元気ですから。きっとユウが作ってくれたワショクのおかげですね」
とサフィ。
そう言えば。
「グラナートさんも言ってたけど、和食ってそんなに効果的?」
「ふふ、貴女が作ってくださったからですよ。何よりの隠し味は愛情、というでしょう?」
そ、それは、つまり…
「わ、私の愛情を、感じてくれている、と」
「ふふふ」
サフィは明言しない代わりにとても綺麗な笑顔を浮かべている。
「っ」
こんな時何て言えばいいのやら。
「愛情」なんて言葉、自分で言ってものすごく照れくさい。
私は言葉に詰まったままサフィの髪を編む。
ずるいよ、サフィ。
距離が縮まるごとにサフィは確信を持って私の反応を楽しんでいる節がある。
無自覚なゲートと違って確信犯だもの、性質が悪い。
でもそれがちっとも嫌じゃないんだから私も大概だ。
彼の綺麗な髪を編む手元が狂いそうで気が気じゃない。
「おやおや、今日は少し編み目が乱れていますよ?」
「分かってるくせに」
「ありがとうございます」
全然噛みあわない答えが返ってくる。
何がありがとうございますなのか全く分からないけれど、サフィがとても楽しそうだと言う事だけは分かる。
だからまぁ…いいかな、なんて。
わざとらしく咳払いをして、次の話題を探す。
そうだ、明日からはお披露目に向けて忙しくなるんだ。
「明日の予定を聞いてもいい?」
「はい、もちろん。午前中はルヴィニ様がいらして最後の衣装合わせを行います。これはご存知ですね?」
「うん」
「実は彼と一緒にミュゲさんが来てくださるそうです」
「ミュゲさんが?」
久しぶりに聞くその名前はグラナートさんのお姉さんだ。
彼女は「ひだまり亭」の看板娘で、お店で給仕を担当している。
「私も詳しいことは分からないのですが、どうやらお二人からユウにお話があるそうですよ」
「話?」
何だろう。
衣装に関する話かなぁ。
「衣装合わせの後、お二人とお話しなさってください。私とグラナートは室内に残りますが、出来るだけお話が聞こえないよう遠くにおります」
「え?どうして?」
「ルヴィニ様からそうするようにとのことだそうです」
「ふーん?」
不思議な注文に私は首を傾げる。
それでも普段は外に出ないはずのミュゲさんがわざわざ来てくれるのだから、きっと大切な話に違いない。
「分かった。明日はそれで終わり?」
「いえ、午後は着物をお召しいただきます。月下美人のお着物とセイランさんから頂いた振袖、二着とも着ていただきシンケールス様に見ていただきましょう」
そうだ、着物は神子の特別な衣装として神殿から発表するんだよね。
ということは早いうちにシンケールス様に着ている姿を見てもらう必要がある。
個人的にも華やかな振り袖姿を見てもらえるのは嬉しい。
こちらの世界の「お父さん」であるシンケールス様だから、特別な日の姿はちゃんと見てほしいもの。
「ユウの明日の予定は以上になります。ただ私とアガートの衣装合わせも行われるので、その間はこちらのお部屋にいていただくことになるのですが…」
「大丈夫!ちゃんとここで待ってるから…あ、でも当日まで二人の衣装は内緒なんでしょう?」
「ええ、ですから私たちの衣装合わせは衝立を隔てて行われます」
私にも内緒だなんて、早く見たくてうずうずしちゃうけどここは我慢。
「分かった。ここで大人しく待ってる」
その間はアクセサリーでも作っていようかな。
サフィの綺麗な髪に合うようなリボンにビーズで刺繍するのもいいかも。
ゲートとディアには何がいいかな。
そうだ、ルヴィニさんにも何かお礼がしたい。
普段の衣装にお披露目の衣装、イヤーカフの時も協力してもらったし、明日ルヴィニさんが来たらどんなものが似合うか観察しよう。
頭の中で何となくの予定を立てる。
「何だか楽しそうですね?」
「ふふ、ナイショ!楽しみにしててね」
「はい。さあ、そろそろ休みましょう」
促されて私はそっとベッドにもぐりこむ。
数日ぶりのベッドはクッション性が高くて私の身体を丸ごと包み込んだ。
「おやすみなさい、ユウ」
「おやすみなさい」
サフィは今夜も私の額に「おまじない」をしてくれた。
続く
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