第35話 ボレアン遠征(その9)

 ボレアン滞在二日目の午後はグラナートさんの料理に使う食材探しをすることになった。

 同行するのはサフィ、ゲート、フリソスさんと私の四人。

 ディアは外交官として町長さんやゲンゲツさんと仕入れやその他諸々の相談に向かっている。

 今回は昨日よりもゆっくり市場に並ぶ食材を見たり吟味したり、それから可能な限り畑や山も見せてもらう予定らしい。

 いつの間にそんな約束を取り付けていたのか、グラナートさんの探求心と行動力とコミュニケーション力には驚かされる。

 そんなグラナートさんはやはり午前中に行われた話し合いの行方も気にしているようだった。

「で、町長の結論はどうなったんだ?」

「着物も食材もまずは神殿と王宮のみ、ということで落ち着きましたよ」

 サフィが穏やかに答える。

「そうか、まあ予想通りだな。だがそうなると俺がワショクを扱えるのは神殿か王宮だけ、ってことだな。店で調理したら匂いで分かっちまうもんなぁ。ま、神殿には神子もいることだし、少しの間神殿の厨房に通うのもアリか」

「グラナートさん、来てくれるんですか?」

 嬉しくなった私は彼を見上げる。

 すると

「おっ、おう!自分で納得できるまでワショクを研究したいというか、うん、まあ、そんなところだ!」

 やっぱりちょっとぎこちない喋り方と動きになってグラナートさんは笑う。

 でもそんな様子を気にすることなく

「神殿の厨房でしたらユウも自由に使えますから、丁度いいですね」

 サフィが私に向かって言う。

「うん!醤油やお味噌が届くなら、私が作った和食をシンケールス様にも食べてもらえるね」

「喜びますよ。それに私たちも楽しみです」

「ハシは難しいが、慣れれば上手く扱えるだろ」

 ゲートは右手でお箸を動かす真似をした。

 あ。

「そっか、もしかしてお箸が上手に扱えない状態だとテーブルマナーに違反しちゃう?行儀が良くない、って思われちゃうならお箸じゃなくても大丈夫だよ?」

「いや、ハシでいい。ユウが使っているのを見ていたんだが、ハシだけで色んなことが出来ていたから、使えるようになったらカトラリーより便利だと思う。いちいち持ち替える必要がないからな」

 とてもゲートらしい考えだ。

「ハシが使えれば野営の食事でも木の枝さえ見つかれば済む。荷物は少ない方がいい」

 それはゲート以外の兵士たち全員に箸を覚えさせる、って事が前提になるんだけど…それでいいんだろうか。

 ちょっと心配になる。

 微妙な表情の私の隣でサフィは楽し気に「ふふふ」と笑った。

「アガート、あなたらしい視点ですが、これから野営をすることはほぼないと思いますよ?」

「ん?…あ。あぁ。そうか。つい」

 そう、ゲートが野営するってことは多分私も野営することになる。

 更に神子が野営するというのはどうにもならない緊急事態が起こったことを意味する。

 ということは神殿の一大事ということだ。

 万全の警備体制を敷いている今の神殿では想像がつかない。

 けれどゲートが「つい」考えてしまうくらい、野営は彼にとって身近な事だったのだろう。

 だから。

「野営はしなくても、どこか景色のいい場所を見つけてキャンプ、っていうのは楽しいかも」

 ふと思いついたことを口にしてみる。

 夜になったら満天の星空を眺めるのも素敵だと思う。

「キャンプですか、いいですね。神殿の敷地内なら安全ですし、シンケールス様もお許しくださるかもしれません」

「もしダメな時は明るい時間にピクニックしたいなぁ。おにぎり作ってお弁当にするの」

「オニギリ?」

「ご飯の中に色んな具材を入れて、こんな形に握るの。こうやって」

 手でおにぎりを作る真似をする。

「オニギリは携帯用食料なのか?」

「具は何を入れるんだ?」

 ほぼ同時に質問が飛んでくる。

 前者はまだ野営感覚が残っているゲートで、後者がグラナートさん。

 二人の質問を耳にした途端、サフィは「ふふ」と笑い出す。

「おにぎりは携帯できるけど半日以内に食べた方がいいと思う。それから具材は何でも大丈夫。お魚でもお肉でも野菜でもいいし、お味噌や醤油、塩を付けただけっていうのもあるよ。あとは焼きおにぎりっていって、おにぎりの表面を香ばしく焼くのも美味しいの」

「調味料をつけるだけでいいのか?」

 グラナートさんが驚くのも無理はない。

 王都で言えばパンにケチャップを塗っただけのサンドイッチを提供されるような感覚かな。

 料理人の感覚ではそれを料理とは呼ばないはずだから。

 でもおにぎりはお醤油だけでもお味噌だけでも、美味しい一品になっちゃうんだよね。

「焼きおにぎりにするとその香ばしさがまたたまらない旨味になるんです。おにぎりに入れないのは果物とか甘い物でしょうか。それ以外なら大抵のものは具材になりますよ」

「面白そうだな…。神子、今夜はそのオニギリを作ってみたいんだが、どう思う?」

「賛成です!」

「そうか!じゃあ具材になりそうな食材も買って行こう。ワショクもたくさんあって、二泊程度じゃ全然時間が足らないな」

 すっかりグラナートさんの表情は好奇心に輝いている。

 料理に真っ直ぐ向き合っている彼にとって、今回の遠征はいい刺激になったようだ。

 もちろん私にも同じことが言える。

 生活していた時代はかなり違うけど、時代劇の中に入り込んだと思えばこの町の景色は見慣れた雰囲気だし、食文化は和食そのもの。

 この世界でホカホカの炊き立てご飯やお味噌汁が食べられるなんて思ってもみなかったもの。

 しかもあんなに素敵なお着物まで仕立ててもらって…。

 代わりに、といってはなんだけど、月光神様から授けてもらった「神の泉」と月下美人の種がこの町の人達にとって救いになるといいな。

 …でも、少しだけ疑問もある。

 どうして月光神様は月下美人の種を授けたんだろう。

 次の満月に間に合うような、ある程度成長した株だったらすぐに彼らの恵みになるはず。

 種から育てて花が咲くまでには二、三年はかかるんじゃないかな。

 それまでこの町で生命の水を採取することは出来ない。

 神の泉についても場所は教えてくれたけど、具体的にどんな効果を持つのか言わなかった。

 何のための泉なのか不明なままだ。

 月光神様からの試練のようなものなのかな…。

 この町の人たちは月光神様に対する信仰心と感謝を持っているのに。

「ユウ?どうしました?」

 疑問が湧いて黙り込んでしまった私にサフィが問う。

「あ、ううん、何でもないの。大丈夫」

 心配しなくていいよ、という意味でそう言った私を見てサフィとゲートは顔を見合わせていたけれど、すぐにグラナートさんと料理の話になった私はそのことには気づかなかった。







 そしてボレアンで過ごす最後の夜はお屋敷にて、町長さん一家、ゲンゲツさん、マシオさん、セイランさんたちも一緒に賑やかな宴会を開くことになった。

 この国司の館は会議も出来るように大広間が用意されている。

 そこに全員分の御膳が2つずつ用意され、グラナートさんが作った創作料理や町の人たちが用意してくれたボレアン料理、それから私がサフィたちと一緒に作ったおにぎりをはじめとする和食の小鉢料理が並ぶ。

 おにぎりは色んな具材が楽しめるようにと、小さく一口サイズを組み合わせて一人分にしてある。

 具材はボレアンで作られている梅干しや佃煮、それからマシオさんのお店にあったマグロと思しきお刺身をノンオイルのツナにしてマヨネーズと和え、そこにちょっとだけ醤油を垂らしたツナマヨ。

 他にもジビエのお肉を細かく刻んで挽肉状にしてから、味噌と砂糖とお酒を加えて作った肉そぼろおにぎりや、新鮮なお刺身を乗せた手毬寿司もどきも作ってみた。

 料理は見た目や彩も大切だから、華やかなお膳を見ると心が躍る。

 それはみんなも同じようで、和洋折衷の美味しそうな香りも相まって高揚した顔をしている。

 主賓だからと上座にサフィ、ゲート、ディア、グラナートさんと並んで座る私からは全員の様子が良く見えて、この場所も悪くないなと思えた。

 逆に言えばみんなから見える場所にいるわけで、ちょっと緊張しちゃうけど。

 ここにいないのは護衛任務がメインのフリソスさんたち。

 でも彼等にも私たちと同じようにお膳を用意してもらい、それぞれの場所で食べてもらっている。

 仕事だから仕方ないけど、せめて温かい食事を摂ってもらいたいから、交代しながら食べられるようにしてある。

 どこまでが「当たり前」でどこからが「ブラック」にあたるのか、私にはまだ全然把握できていないけど、食事や休憩・休息は特に大切なことだからそこはこだわりたい。

 社畜・ブラック・ダメ絶対!!

 それだけは譲れない。

 …と思考がトリップしたところで

「そういや神子に聞きたいことがあったんだ」

 不意にグラナートさんが呟いた。

 彼はみんなに料理の感想を聞きながら宴会を満喫していたんだけど、全員とひとしきり話せて満足したのか、陽気な様子で私たちの所へ戻ってきてディアとお酒を飲み交わしていたのだ。

「何でしょう?」

 話の先を促すと、彼はとても真面目な顔をして少しだけ声をひそめた。

「ワショクには体力を回復させる高い効果があるのか?」

 と。

「?」

「「「!!」」」

 予想外の疑問に私も疑問を浮かべるけれど、サフィたちの反応は違っていた。

 三人ともいつもより目を大きく開いてぴたりと動きを止めている。

 どうしたの?

 それぞれの顔を覗き込むようにして見回すと

「グラナート、それについては後にしようか」

 硬い表情でディアが言った。

「なるほど」

 何故かグラナートさんも納得してしまい、そこで話は終了。

 また和やかな空気が戻ってきて、話題は自然と変わっていく。

 何?

 私全然状況が呑み込めてないんですが?

「サフィ、どういうこと?」

 自然と口はへの字になる。

 でもそんな私に心底優しい微笑みを浮かべて

「大丈夫ですよ。まだ私たちも確信が持てていないので、この場での明言は避けたいだけなのです。後ほど…そうですね、お休みになる前にでもお話ししましょう」

 なんて、子供を諭すお母さん、いや、お父さんみたい。

 サフィにそう言われたら頷くしかない。

 何で「和食に回復効果があるかどうか」っていう疑問がこんなに慎重に取り扱われているのか、ちっとも理解できてないけどね。

 …回復効果があるって分かったら、和食を求める人がたくさん押し寄せちゃう可能性があるから?

 ない、って分かったら…何だろう、町の人たちの栄養状態が心配?

 うーん…でも「ない」ってことは有り得ない。

 この町では魚も肉も豊富に獲れるし、人々の体格や様子を見ても健康そのもの。

 心配な事といえば塩分が多そう、ってことかな。

 確かに塩分過多は身体に良くないけど、日常的に体力勝負な仕事をしているひとたちにはナトリウムも大切だもんね。

「???」

 ただの料理談義や栄養云々の話じゃない、ってこと?

 政治的な話?

 それとも神子に関係する話?

 ユエイリアンの食事と和食を比べても、栄養に偏りがあるようには思えないけどな。

 味が変わると感覚も変わる?

 生魚の効果、とか?

 いやいや、調理法によって栄養が吸収しやすくなったり、逆に損なわれたりすることはあっても、一日二日で体感できるほど大きな違いがあるわけない…よね…?

 この世界はそういう「常識」も違うのかな。

 うーん…。


 降って湧いたような疑問のせいで私のモヤモヤはしばらく続くことになった。








 続く

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