第31話 ボレアン遠征(その5)

 護衛団の兵士さんから連絡を受けた町長さんの動きは早かった。

 すぐに着付け講習の準備を整えます、と兵士さん伝いに返事が来たと思ったら、とても上品に男性用の着物を着こなした男性二人を連れて屋敷へやって来てくれたのだ。

 学ぶ気満々のサフィも邪魔になりそうな袖や裾はピンで留めて、準備万端。

「それでは僭越ながら着付けをお伝えさせていただきます、私(わたくし)着物の仕立て屋を営んでおります、セイランと申します」

 流れるような所作と真っ直ぐに背筋の伸びた姿勢が美しい仕立て屋セイランさんが、畳の間に正座して挨拶してくれた。

 同じように正座してサフィも挨拶を返す。

 その横に並んだ私も「ユウです。よろしくおねがいいたします」と正座しておじぎをしたら

「さすが神子様でいらっしゃいます。とても綺麗な所作ですよ。正座も自然でお上手です」

 とセイランさんは感心したように微笑んだ。

 ええ、私日本人なので。

 内心ニヤリとしてしまう。

 日本では椅子を使うこともあったけど、私は習字を習っていたこともあって正座には慣れている。

 それに身長が低めだったから普段家にいる時は床に正座したり、椅子の座面の上に正座することもしょっちゅうだった。

 この世界に来てからはずっと椅子やソファを使った生活だったけど、この身体でも問題はないみたい。

「さて、実際に着付けながらやっていきましょう。サフィ殿、こちらへどうぞ」

「はい」

 緊張した面持ちでサフィはセイランさんと共に立ち上がり、練習台となる男性の前へ歩み寄った。

 着物の着付けは気持ちがしゃんとなるし、背筋が自然と伸びる。

 見学しているだけの私もちょっとだけ緊張してる。

 セイランさんは練習用に用意された女性用の着物をサフィに渡す。

 それを手にしたサフィは集中しているようで、その視界に余計なものは映らない、といった様子。

 多分全神経をセイランさんの言葉と手つき、そして着物に注いでいる。

 今回は肌着を着た状態で長襦袢から着付けていく。

「まず着物は襟もとが重要です。こちらの長襦袢から着付けていきますが、襟先の真ん中と背中が一直線になっているかしっかり確認してください」

「はい」

「中心がしっかり決まったら前で襟を合わせてきれいなV字を作ります。その後、少しだけ全体を後ろへ引きます」

「…こうですか?」

「いいですよ。その後こちらの薄い帯を締めていきます」

 慣れた様子でセイランさんはてきぱきと指示しながらサフィに手ほどきしていく。

 ドレスとお着物ではまるで勝手が違うけど、教えてもらった通りに再現できるのはさすがサフィ。

 手順を一つずつ確実に進める。

 そうしてしばらく着付け講習は続き、すっかり太陽も沈んだ頃。

「出来ましたね」

「はい、ありがとうございます」

 「蝶文庫結び」にした帯の羽根を整えて、サフィはようやく晴れやかな表情を見せた。

 せっかく見事な着物を着るのなら、と彼は着つけ初心者でありながら振袖に良く合う「蝶文庫結び」をセイランさんに教えてもらったのだ。

 リボンの模様になる「文庫結び」も可愛いけれど、そこに蝶の羽が加わると華やかさが増す。

 帯の結び方自体が華やかになれば、あの上品な金の帯も可愛げのある仕上がりになるだろう。

 実際にあの月下美人のお着物を着つけてもらうのが楽しみだな、と思っていると

「ただいま!」

 ひと際明るい声が屋敷に響いた。

「グラナートさん!」

 彼の両手にはたくさんの食材が乗せられた竹細工のザルが二つ。

 隣には町長さんも一緒だ。

「着物の着付けはいかがですか?慣れないうちは戸惑うこともおありかもしれませんが…おお、いや、これはこれは、初めてとは思えませんな」

 サフィたちに気付いた町長さんはそう言って拍手を送る。

 視線の先にはしっかりと着付けられた晴れやかな振り袖姿の男性。

 手ほどきをしたセイランさんも満面の笑みで

「これだけ上手に着付けをなされるのですから、神子様にも素晴らしい着付けが出来ますよ」

 と太鼓判を押した。

「おかげさまで着付け方を覚えることができました。後は本番ですね。忘れないうちにおさらいをしないと」

 ふう、と息をつくサフィは達成感とひとまず着付けが完成したことで安堵したみたい。

 でもすぐにおさらいしなきゃ、と言えるのはサフィらしい。

 そんなサフィのために練習用として新しい振袖と着付けに必要な道具などが一式プレゼントされた。

 高価なものをさらりとプレゼントだなんて!!

 何て太っ腹なんだ、セイランさん!!と驚愕していると

「振袖自体はぜひ神子様に贈らせていただきたいのです」

 とセイランさん。

「え!?こんなに立派な振袖を!?だってあの月下美人のお着物だって…」

「あれは感謝をお伝えするために代々作り続けてきたものです。それとは別に、こちらの振袖は私たちが他に誇れる文化の代表のようなもの…ですからぜひ神子様にお召しいただきたいのです。ボレアンは小さい町なので、他の町のように特産品や華やかな工芸品といったものがありません。でもこの着物は、これだけは、ユエイリアン広しといえどボレアンにだけ存在する素晴らしい物だと自負しております。それを神子様に献上出来るのは大変光栄で幸せな事だと思うのです」

 言葉とともに伝わってくるのはセイランさんの職人としてのプライド。

 すごいな…こんな風に自分たちの文化を愛せるなんて。

「分かりました。大切に着させていただきます」

 私はセイランさんから受け取った振袖を胸にそっと抱きしめる。

 日本人だった私にとって着物は素敵だなと思ってもどこか遠い存在だった。

 節目で着る機会があっても着物は高いからとレンタルで済ませていたし、洋服より行動が制限される感じがして大変なもの、というイメージが先行していた。

 海外から見ると日本人は愛国心が低く、自国の文化について良く知らないとか日本人だということに誇りを持っている人が少ない、なんて言われる…私はそんな日本人の一人だったと思う。

 セイランさんのように着物を誇りに思ったことはあまりない。

 でも今抱きしめている振袖は全然重みが違う。

 ただ高価なもの、というだけじゃない。

 職人さんが丹精込めて織り上げた、魂そのもの。

 それに触れることが出来るのは、月光神様が私を神子に選んでくれたから。

 神子である私にはこうして人々の想いが届けられる。

 この重みはプレッシャーなんかじゃなく、とても尊いもの。

 私は彼らに何を渡せるだろう。

 何を残せるだろう。

 神子として彼らのために出来ることを見つけたい。

 そのためにはもっと町のことを知る必要がある。

 幸い明日は自由に使える時間がたくさんあるから、そこで出来る限りのことをやってみよう。

 私はそう心に決めるのだった。






 そして夕食の準備が始まる。

 グラナートさんは有言実行でたくさんの食材を買い込んできた。

 お屋敷の厨房は再び賑やかになる。

 事前に吸水させたお米は鍋の中に調味料や具材と合わせて炊き込みご飯になる予定。

「神子、昼に話していたスキヤキを作ってみたいんだが、どうだ?」

「いいですよ、やってみましょう!」

 まさかまさかのスキヤキがこの世界で実現しようとは!!

 それにグラナートさんが買い込んできた食材の中にはサーモンに似た魚の切り身も入っている。

 傍らには山の幸、キノコ。

 うーん…これは…

「もしかしたらお味噌と合わせて「ちゃんちゃん焼き」が作れるのでは…?」

「チャンチャンヤキ?」

「それも作ってみます?」

「もちろんだ!!」

「じゃあ忙しくなりますよ~!」

「のぞむところだ!」

 逞しい力こぶを見せてグラナートさんはニカッと笑みを浮かべた。

 お昼ご飯の時と同様、夜の警護担当者以外全員が厨房に集まって作業を進めてくれる。

 今回の調理で私が担当するのは味付けと作業の指示、監督。

 特に伝えるのが難しい作業はないので、みんなが頑張ってくれているのを微笑ましく見守る。

 サフィとディアはスキヤキ担当でゲートはお味噌汁。

 フリソスさんたちはシンプルな海鮮焼きの担当。

 下ごしらえが終わった順に次の作業を伝えて、どんどん調理が進んでいく。

「さてこっちはチャンチャンヤキだ」

「まずお魚を焼きます。ブッロ(バター)を入れて溶かしたらお魚を入れましょう」

「よし!」

 早速グラナートさんが大きな鉄板の上でバターを溶かし始める。

 タイミングを見てそっと魚の切り身を並べ、火加減を調整する。

 思わず見入ってしまうけど、そうだ、野菜を用意しなきゃ。

 自然とアシスタントのように次の具材、次の調味料、と手元に並べた。

「身に火が通ったら皮目を焼きます」

「そろそろいいかな?」

「はい。皮目がパリッとしたら野菜を周りに敷き詰めて、調味料を加えて蒸し焼きにします」

「オーケー」

「調味料はお味噌、お酒、砂糖を合わせたものなんですが…これはひとまず私がやっておきますね」

「ああ、助かるよ。火加減は任せてくれ」

「お願いします」

 さて私は肝心の調味料を合わせなきゃ。

 この人数分を作るのは初めてだけど、切り身の数から大体の量を考えれば大丈夫かな。

 手早く混ぜ合わせて準備完了!

「ユウ、スキヤキの味付け教えて」

 すぐにディアから声がかかる。

「はーい!」

 返事をしながらゲートの様子も気に掛けると、彼はすでに味付けに入っていた。

 何だかんだ言って彼も料理は上手なんだと思う。

 野営料理の感覚が染みついてるから具材が大きめだったり、調理といったら塩コショウといったシンプルな味付けと「焼く」「煮る」だけで済む「素材で勝負」だったりするみたいだけど、ナイフを器用に動かしてお願いした通りに具材を切りそろえてくれる。

 手順と調味料の加減の仕方を伝えれば、ちゃんと味を見ながら調整と確認をこまめに繰り返して、理想の味に仕上げてもくれる。

 しかも全然面倒くさがらずにやってくれるからありがたい。

 ゲート自身は味見の確認をするたびに私を呼ぶことに申し訳なさを感じているみたいだけど、そんなの全然、ノープロブレム!

「ありがとう、ゲート」

 そう笑顔で声をかけると、彼は本当に嬉しそうに顔をほころばせた。

 私の心臓はトクンと音を立てる。

 やっぱりゲートは無自覚モテ男子だ。

 心の中でひとりごちて、私はスキヤキへと取り掛かるのだった。







 続く

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