第29話 ボレアン遠征(その3)

 醤油やお味噌を醸造しているゲンゲツさんは後ほどお屋敷に調味料を届けてくれることになり、私たちは元来た道を戻るようにして市場の散策を始めた。

 因みに私はすっかり「醤油」と「味噌」と呼んでいるけれど、ボレアンでは「ソイソース」と「ソイペースト」という、ジャパニーズイングリッシュのような名前で呼ばれているそうだ。

 以前グラナートさんが耳にした「港町のソイソース」の元はボレアンのお醤油だそうで、それをユエイリアン最大の町ポルトでも真似して作ったものらしい。

 ただ、ポルトでお醤油が浸透しなかったのは、完成までの工程がたくさんあって手間がかかることと、すでに数々の西洋ソースが食卓に浸透していたこと、その他諸々の事情があるからだそう。

 食文化が違い過ぎたのも多分一因だと思う。

 国全体が西洋風の食文化を持つこのユエイリアンに、どうしてボレアンのような和食文化を持つ町が存在しているのか、とても不思議に感じるけど、全ては「月光神様のお導き」と言われたら何となく納得できてしまう。

 彼等の祖先が他国から逃れてきた民だと思えば、それも腑に落ちるしね。

 更にはこの山と海に囲まれた小さな集落、という地形も関わっているんじゃないかと思う。

 他の町との行き来が少ないからこそ作り上げられ、そして現在に至るまで残されてきた文化。

 ボレアンは私以外にとって「異国情緒あふれる町」に映っているようだった。

「この市場はご覧の通り、海産物から野菜、穀物にいたるまでこの町の食文化を支える食材が揃っております。事前にいただいたリストでは「カツオブシ」という食材をお探しだとか…」

 町長さんは少し老眼が始まっているのか、手にしたリストを少し遠ざけて目を細めている。

「そうなんです。おひたし…えーと、お野菜を茹でて水気を切ったものに、ソイソースとかつお節をかけて食べるととても美味しいんです。かつお節のもとは魚で、確かその身を煮てから燻製して乾燥させたものを薄く削ったものになります」

「ふむ、魚ですか…。ここは港町ですが獲れる魚の種類は限られておりますゆえ、お探しの物が見つかるかどうか…ひとまず町一番の漁師の店へ行ってみましょう」

「お願いします」

 目当てのお店は近くにあって、いかにも海の男といった感じにねじり鉢巻きをした大柄なおじさんが、真っ白い歯を輝かせながら客寄せをし、さらに店先で魚をさばいてくれるという町民に優しい接客サービスをしているお店だった。

「まいど!!まさか神子様に来ていただけるとは思いませんでしたよ!今朝獲れたばかりの魚です。ぜひ刺身で食ってみてください!」

 元気なご主人は素早く的確な包丁さばきで、あっという間に魚をさばいて切り身にしてくれる。

 本人の豪快さと打って変わってその手つきは繊細だ。

 人数分の小皿に醤油を少したらし、なんとお箸と一緒に勧めてくれた。

「ありがとうございます、いただきます」

 難なくお箸を手にしてお刺身をいただく私。

 美味しいっ!!と唸るのを嬉し気に見守る町長さんに漁師のご主人、そして…。


 あ。


 お箸に困惑するサフィたち。

 さすがのグラナートさんもお箸の使い方は知らないようで、みんな不思議な顔をして二本の細い棒を手に首を傾げている。

 そうだ、普段はナイフにフォークといったカトラリーを使っているから、お箸の使い方が分からなくても当然だ。

「あのね、これはこうやって使うといいよ」

 見本を見せながら使い方を教えると、ぎこちなさはあるもののみんな見よう見まねでお箸を手にして動かしてみせる。

 うん、初めてにしてはみんななかなか上手なんじゃないかな。

 それぞれ不器用そうにお箸でお刺身を口へ運んだ。

「美味い!!」

 一番に衝撃を受けて反応したのはグラナートさん。

 それからサフィやゲート、ディアたちも少しおっかなびっくりといった様子で魚の切り身を噛み締めた。

 次の瞬間、三人の顔に驚きと喜びが浮かぶ。

「本当ですね…とても美味しいです。臭みもなく、なんというか、とろりとした甘味を感じます」

「ソイソースの香ばしさとも相性がいいな。噛むと味が深まってくる」

「生の魚って心配だったけど、全然、これはすごいよ!本当に美味しい!!」

「でしょう!すっごく新鮮だから身がぷりぷりしてて噛み応えもあるし、お魚の味がちゃんとするの。最高!」

 まさかお刺身が味わえるなんて!!

 感動と興奮でテンションが上がりっぱなしの私の言葉に、漁師のご主人は

「さっすが神子様だ!!この美味さを分かっていただけるとは、くぅっ、漁師冥利に尽きるねぇっ」

 と感激で涙を浮かべる。

「こんなに美味しいお魚なら焼いても煮てもいいし、お鍋にしてポン酢で食べたらもうたまらないと思う!」

「ポンズ?それは何だ?」

「お醤油に柑橘類の果汁を少し混ぜて酸味を利かせた、さっぱり味の調味料です」

「それはソイソースにシトロニエでもいいのか?」

「いいと思いますけど…。町長さん、この町にはシトロニエ以外の柑橘類もありますか?」

「ええ、いくつかございますよ。この後ご案内いたしましょう」

 その答えに私とグラナートさんは顔を見合わせてにっこり。

「それにしても神子様はあれこれよくご存じで。箸の使い方も慣れたもんだ」

 漁師のご主人は驚きを素直に伝えてくる。

 町長さんも、そして私たちを静かに見守っていた周りの町民たちも、同感だと言わんばかりにこくこくと頷いた。

 そうだった、私には転生前の記憶があるなんてこの町の人は誰も知らない。

 というか多分知ってるのはこの場にサフィたち神印持ちの三人だけ。

 えーと。

「月光神様の…おかげです」

 苦しい言い訳になりそうで心配だけど、とりあえずそう言ってごまかすことにする。

「で、あの、ご主人、実は探しているお魚があるんです」

 少しだけ気まずさを感じながら本題に入ることにした。

 ご主人はすぐに

「どんな魚です?」

 と店先に並ぶ魚たちを見せてくれる。

 どれも見覚えのある顔だ。

 名前は違ってもかつていた世界とほぼ同じ魚が並んでいるのはとてもありがたい。

 この世界の食材が馴染みのあるものだというのはここでも同じ。

 ということは、カツオも見つかるかなぁ。

 一つ一つの魚をじっくり見てみる。

 けれど。

「うーん…カツオはなさそうですね…」

 カツオの旬がいつだとか、潮の流れがどうだとか、そういうのが関係していて今はないだけかもしれないけど、ひとまず今日の所はない様子。

 でも落ち込むなかれ。

「大丈夫、カツオがなくても美味しいおひたしは作れます。それにここにある魚の中には煮物にぴったりの魚もあるんです。もしよかったらお屋敷で料理をさせていただけませんか?ぜひ皆さんに味わっていただきたいです」

「な、え?神子様がお料理をなさるんですか?」

 細い目をこれでもかと丸く見開いた町長さん。

「それはいいですね。私もお手伝いします」

「じゃあ食材を揃えなきゃね。大丈夫、お勘定は僕に任せて」

「それなら俺は荷物持ちだな。ユウ、どの魚にするんだ?」

「待った待った、それならさっき神子がいった「なべ」とやらもお願いできるか?俺も一緒に作るから」

「決まりね!じゃあご主人、このお魚お願いします」

 一気にお昼ご飯の献立が出来上がり、この町で初めての買い物をする。

 漁師のご主人は一番新鮮なものを次々に選んでくれて、私たちが他のお店を見ている間にさばいてくれることになった。

 お礼を告げて一旦そこを離れ、私たちは市場を見て回る。

 先ほどカチコチに緊張していた青年のいる串焼き店でいくつかの海鮮焼きを買い、野菜や果物、乾物も買い揃えた。

 市場の中には山菜や獣肉を売っているお店もあって、そこで買った食材はグラナートさんが腕を振るってくれることになり、私たちは一通り食材を買い込んでお屋敷に戻ったのだった。







 私今感動しています!

 この世界に来てまさか和食が味わえるなんて…しかもお米もある!!

 最高だわ…!!

 調理場に所狭しと並べられた食材を目の前に早速月光神様に感謝します。

 本当にありがとうございます!!

 両手を胸の前でしっかりあわせてお礼の会釈。

 私が顔を上げると何故かサフィたちだけでなく、ぜひ調理の様子を見学させてほしいと集まったボレアンの人々まで同じようにしていたので、もしかしたらちょっとした儀式とか調理前には必須のお祈りなのかと思われていないか心配になったけど、それはひとまず置いておく。

 私はサフィが用意しておいてくれた動きやすいワンピースに着替え、両腕をしっかりまくって調理開始。

 調査団の人数は私も含めて十二名。

 見学希望で集まったのは町長さんにゲンゲツさん、それから漁師のご主人に串焼き屋の青年、さらにお手製の料理を販売しているお店のご主人たちが数名。

 総勢二十人を超える人たちがこの調理場に集まっていた。

 結構な人数になったけど、あとから町の人たちが食材をさらにお屋敷へ届けてくれたおかげで不足はない。

「さてと、やりますか!」

「「「オー!!」」」

 およそ調理場にそぐわない雄々しい返事が響いたところで、私たちはそれぞれの作業を開始する。

 グラナートさんはまずユエイリアンでスタンダードとされている西洋風の料理にとりかかる。

 ゲートとフリソスさんが仕切るのは野菜の皮むき。

 騎士団や護衛団に属す皆さんは野営をするから、簡単な調理や皮むきなどの下準備には慣れている。

 そっちはお任せして、私はサフィやディアに手伝ってもらい、和食づくり。

 まずは皮むきの要らない葉物野菜を刻んでいく。

 ざくっという野菜を切る音が懐かしい。

 パイを作る時は遠ざけられてしまった包丁も、今回は使わせてもらえるんだ。

 お鍋に入れる大根や人参などの根菜はサフィが、お米の準備はディアがしてくれる。

 事前にお米は水につけて吸水させてある。

 お米はさらに適量の水と一緒に土鍋に入れて火にかけてもらう。

「おっけー。っと、次はどれ?」

「そこのポテトの土を綺麗に洗って落としてほしいな」

「分かった」

 張り切っているディアの手際はとても良い。

 お味噌汁に入れるのは野菜や豆腐(そう、豆腐もあったの!)で、あっという間に準備できてしまうから、私はポン酢作りに取り掛かる。

 この町は食材から調味料まで「日本」とそう変わらない。

 おかげでポン酢に使う柚子も見つかった。

 みりんがないのは残念だけど、お砂糖があるから何とかなる。

 柚子の皮はすりおろし、実を半分に切ってからぎゅっと果汁を絞り出す。

 それから醤油や砂糖と合わせて味を調えたらポン酢の出来上がり。

 サフィが切って皮をむいてくれた大根は少しだけすりおろす。

 これでお鍋のたれが一つ完成。

 もう一つのたれはお味噌と胡麻をすり鉢でしっかりすりつぶして混ぜたら、少し砂糖を加えてまろやかにする。

 そこへ昆布(乾物屋さんで見つけた時はテンションマックスになった)で作った出し汁を足せば出来上がり。

「出来たよー!」

 というディアから受け取ったジャガイモ(その名もポテト)は皮付きのまま十字の切り込みを入れて蒸し器にセット。

 これはじゃがバター(バターはグラナートさんが持参していた)になる予定。

 ふっふっふ、バター醤油という病みつきになる味を堪能してもらおうじゃないの。

 それから別の蒸し器にはおひたし用の葉物をセットした。

 おひたしは野菜を茹でて作ることが多いけど、そうするとせっかくの栄養が流れちゃうから。

 私は傍らに用意されたひときわ大きな土鍋に水炊き用の材料を配置する。

 大根も人参も綺麗ないちょう切り。

 均等な厚さに切り分けられている。

「さすがサフィだね。お見事」

「どんな料理になっていくのか楽しみです」

「これは水炊きっていってお鍋料理の中でも一番シンプルなものだよ。具材の味がよく分かるし、醤油やポン酢、胡麻だれでいくつもの味を楽しめるの」

「新鮮な食材が揃っていますから、ぴったりですね」

「うん!さてと次はお味噌汁の味付けと…」

「こっちも出来上がったぞ」

 タイミングよくゲートが皮をむき終えたジャガイモと里芋を持ってきてくれた。

「ありがとう!よし、じゃあこのポテトは薄く細めの短冊切りにしようかな。それからこっちのタロ(里芋)はファジョ(いんげん)と一緒に煮っ転がしにします」

「ニッコロガシ?」

 片言で話す外国人のようなゲートの発音にほっこりする。

 煮っ転がしに該当する言葉はこの世界にないらしい。

「お醤油を使った煮ものだよ。まずは下茹でしようかな」

「下茹でだな。分かった、やっておこう」

 ゲートは進んで作業を請け負ってくれる。

 この世界の素晴らしい所はこういうところだと思う。

 シンケールス様が「精鋭ぞろい」というだけあって、それぞれが自分に出来ることをどんどん進めてくれるし、分からないことがあればすぐに確認して作業してくれる。

 やってほしいことを具体的に伝えれば即対応。

 おかげで小規模な炊き出しのような昼食の用意はスムーズに完了した。







 続く

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