第27話 ボレアン遠征(その1)

 その日の早朝、辺りはまだ薄闇。

 しんとした冷たい空気と静寂が世界を支配している頃。

 私たちボレアン調査団はシンケールス様と神官様たち、そして聖騎士団の皆様に見送られて神殿を出発した。

 人々はまだ夢の中。

 ラウルスの街を抜ける時も馬の蹄の音が小気味よく響き渡るだけで、飲食店の仕込みもまだ始まらないような時間。

 日中とはまるで別世界のような王都を私たちは馬と馬車で抜け、一路ボレアンを目指している。

 馬で行くのはゲート、ディア、フリソス団長、グラナートさんに国からの護衛団五名を含めた計九名。

 私とサフィは神殿専用の馬車で、それを引いてくれるのは聖騎士団の騎士とその愛馬たち。

 以前「ボレアンなら三日もあれば行き来できる」と言っていたのは馬を使うから。

 それなら私も馬に乗ってみたいと思ったのだけれど、それはみんなに却下された。

 馬に乗り慣れていない私がいきなり馬で遠征するなんていくらなんでも無茶だとのこと。

 ディアが言うには

「そんなことしたら腹筋が崩壊するよ?」

 だって。

 それを聞いたら、今後お披露目に向けて予定が詰まっている身としてはムリできない。

 私の我がままで周囲に迷惑をかける事だけは絶対したくないもの。

 だからボレアンから帰ったら、少しずつゲートに習って馬に乗る練習をする約束を取り付けることでよしとした。

 そんな私は柔らかなクッションに囲まれてぬくぬくしながら、馬車の心地よい揺れと、小さく切り取られた小窓から見える外の景色をサフィと楽しんでいた。

 ラウルスの街を抜けると、現れたのは西洋絵画に描かれているような田園風景。

 刈り取られた藁がくるくるとロールされたものがいくつも見える。

 牧草地の向こうには恐らく牛たちがいるであろう厩舎が並んでいて、その反対側には青々とした野菜の葉が茂る畑が視界一杯に広がっている。

「この辺りは見ての通り農業が盛んなクルトルの町ですよ。王都の食料はほとんどこの町で作られています」

「どの食材も新鮮なのはこの町のおかげなのね」

「ええ。ユエイリアンは王宮、神殿、ラウルスを含む王都を中心に数々の町が存在しています。この間見ていただいた地図を覚えていらっしゃいますか?」

 サフィの言う「地図」というのは、以前神殿の書庫で月下美人の栽培試験データを調べた時の地図のこと。

 確かユエイリアンは大きな扇形をしていたと思う。

「大体の形はなんとなく覚えてる、かな」

「十分です。せっかくですからボレアンへ着くまでの間、少し地理的なお話をしましょうか」

「ぜひ!」

 私の返答を聞いたサフィは微笑みながら頷いて、懐から取り出したシンプルながらも繊細な刺繍が施された扇子を広げた。

「この大きく広がった部分がユエイリアンだと思ってください。要を挟んでこちらの小さな扇形は国境を監視し、王都を守る要塞都市のアルクスになります」

「要塞都市?」

「はい。ユエイリアンは海に面した国であり、周囲を山脈に囲まれた国でもあります。その地形を生かし他国の侵略を防ぐため、王宮の裏手にあたる山間にアルクスを築きました。さて、王都はちょうどこの持ち手部分にあたります。東に王宮、西に神殿、王宮の眼前に位置するのが保護居住区、その西側…つまり神殿の南にラウルスのバザールがあります」

「神殿からは一本道だね」

「そうですね。王宮からバザールへ行くにはこの保護居住区を抜けることになります。これは衛兵が行き来しやすくするためにこの位置関係になりました。この保護居住区と王宮の東には鍛冶職人たちの町デラスがあります。山に面したこの町は鉄や鉱石を採掘したりそれらを加工するのが主な産業となっています」

 つまりデラスは王宮と隣接した町ということになる。

 それって…

「もしかして武器を王宮にすぐ届けるため?」

「!!」

 サフィは驚いたように目を見開く。

 どうやら正解だったみたい。

「その通りです。ラウルスにも鍛冶職人はいますが、兵士団で使用する武器の量は相当なものになりますから、定期的な修理や交換などは全てデラスで請け負っています。更にデラスは北側と東側に地質の異なる山が連なっているため、数種類の鉱石が採掘できます。そのため品質の高い宝石に加工することができるので、デラスはユエイリアンの中でも有数の産業都市として栄えています」

 そう聞くと、私の脳裏にはファンタジー世界によくあるドワーフたちの町が浮かんでくる。

 多分ああいう感じなのかな…。

 いわゆる『職人気質』な筋骨隆々の鍛冶職人たちがトンテンカーンと工具を振るって武器を作ったり、鉱山から採掘した原石を繊細な手作業で磨いて宝石に…って。

 そんなことを思い浮かべていると、サフィは続けて

「因みに今いるクルトルは、デラスの南西に位置しています。デラスの東側にある山を越えた所にあるのがボレアンですよ」

 と教えてくれた。

 ん?直線距離で考えたらデラスからボレアンへ向かう方が近い気がする。

 そんな疑問をサフィは感じ取ってくれたらしい。

「距離的にはデラスを抜ける方が近いのですが、何しろデラスは起伏が激しいので思いのほか時間がかかってしまいます。平地を抜ける方が早いですからね」

「なるほど。ってことはクルトルはほとんど平地なの?」

「はい。安定した気候で過ごしやすく、作物も育てやすい豊かな土地ですよ。そしてクルトルの南東にあるのが仕立て屋の町ラプティスです。そのラプティスに材料となる綿や絹などを繊維製品に加工して卸しているのが隣接しているリネアという町になります」

「その南にあるのは?」

「ユエイリアン最大の港町ポルトですよ」

「じゃあラウルスに届く魚介類はポルトから?」

「お察しの通りです」

 サフィはよく出来ましたと言わんばかりの笑みで頷いてくれる。

 でもここで気になるのはポルトもボレアンと同じくらい王都から離れているということ。

「どうしてボレアンは陸の孤島なのに、ポルトは発展したの?」

「それは海に面した土地の地形にあります。ポルトはほとんど平地が続く港町ですが、ボレアンは四方をぐるりとクーストースという岩山に囲まれているのです。このクーストース山は標高も高く危険な岩場がたくさん広がっている険しい山で、これから通る山道以外は開拓するのも困難な山。それが南北に裾野を伸ばしていて、クルトルの平地に面している部分はほぼ険しく急な斜面です。なだらかになるのはポルトに近いこの部分。そこを切り拓いた場所にあるのがウェーナという町です」

 サフィが大まかにポルトやウェーナの位置関係を示してくれる。

 それによってようやく扇子の地図が埋まった。

 馬車の窓から外を窺い見れば、確かにモノトーンの岩山が見えてくる。

「あれがクーストース山ね」

「時折土砂崩れが起こることもあります。だから麓の近くは無人になっているんです」

「そう…」

「でもあの山のおかげで海からの侵略を防げている、という利点もあるんです」

 私が深刻に考えそうになる前に、サフィはそう付け加えた。

 なるほど、ユエイリアンは地形の利を生かして他国を退けている、ってことか。

 そう言う場所に国を築けたのも月光神様の思し召しなのかな。

 …と考えると、今回ボレアンが話題に上ったのも月光神様のお導きなのかもしれない。

 今までユエイリアンに属していながら、他の町との交流も少なく独自の文化を築き上げたボレアン。

 その場所に月下美人を調理するためのヒントがあるかも、というのはボレアンに「清き魂」をもった人がいる、ということ…?

「ねぇサフィ、この前書庫で調べた月下美人の栽培実験にボレアンは含まれていた?」

「いえ、ありませんでしたよ。小さな町ですから、候補地に挙がらなかったのかもしれません」

「でもボレアンの人たちも月光神様を信仰しているんでしょう?」

「それはもちろん。ボレアンの祖先は海の向こうの国から逃れてきた人々だと言われています。彼等がかの地へ逃れたのは月光神様のお導きがあってのこと。…あぁ、だから候補地から外れていたのかもしれません」

 サフィは何か思い当ったらしく、ハッと顔を上げてそう言った。

「ユエイリアンには他国から逃げ延びた者たちで作られた村が点在しています。その多くはラプティスやクルトルにあり、クーストース山の麓近くになります。それ以外に他国から逃れてきた者たちが暮らしているのがボレアンです。恐らく、それらの村や町が候補地から外されたのではないでしょうか」

 確か、他国は月光神様の加護から遠く、そんな国から来た人々のいる土地では月下美人が育つはずもない、って考えられたのかな…。

 けれどボレアンの人たちは月光神様に導かれてユエイリアンへやって来た。

 それが月光神様の意思なら、彼らは「清き魂」を持った人たちということになる。

「ボレアンの人たちがユエイリアンに対して恨みを持っている可能性は?」

 何となく聞きにくいことだけど躊躇いがちに口にすると、サフィは少し考えてから

「不満がないとは断言できませんが、少なくともこれまでユエイリアンに対する裏切りが行われたことは一度もありません。定期的に国司がボレアンを訪れていますが、特に問題はないと聞いています」

 と答えてくれた。

 国司という言葉にヒストリカルな響きを感じつつも、それが事実ならやっぱり私はボレアンに導かれているんじゃないかしら。

 そんな気がして少し希望を抱く。

 今回の調査は調味料だけじゃなく、もっと違う「何か」を見つけられるかも。

 私は胸に湧いたワクワクに自然と口角が上がり、再び窓の外へ視線を向ける。

 馬車はあっという間に平地を抜け、木々が生い茂る道へ差し掛かっている。

「サフィ、ボレアンに着いてからの予定を教えて?」

「分かりました。まず私たちは国司の館へ参ります。そこが宿泊先にもなっていますから、荷物を降ろして一休みしましょう。それからボレアンを町長に案内していただきます。向かうのはボレアンの市場ですよ。そこへ行けば自然とグラナートが先頭を行くでしょうから、ユウは彼と一緒にお目当ての物を見つけてくださいね」

「かしこまり!」

 右手を水平にして額にあて、びしっと敬礼のポーズで応えれば、サフィは「楽しみですね」と笑ってくれた。

 そうしてひとしきりボレアンに着いてからの予定を確認し終えた頃、私たちを乗せた馬車は本格的に山道を進み始めた。

 クッションのおかげで衝撃が和らいでいるとはいえ、この山道はそんなに整備されていないのかもしれない。

 平地を進んでいた時よりも大きな衝撃が伝わってきて、時折私の身体が小さく浮かんでしまう。

 サフィはその度にクッションを手早く移動させて安定を図ってくれるんだけど、いっそのこと彼にしがみついてしまう方が安定することに気付いた私は、その後ボレアンに到着するまでしっかりとサフィに抱き寄せられて、馬車の揺れに耐えることになった。






 ようやく馬車の揺れが少しおさまり、小窓から潮の香りがし始めた頃。

 私はサフィに支えてもらいながら身体を起こして窓から外を覗き込む。

 進行方向に見えてきたのは空と海を仕切る、白い水平線。

「海だ!!」

 思わず嬉しくなって身を乗り出す私に

「そろそろ到着ですね」

 と、私の身体が跳ねたり前方に倒れないようにしっかりと留めてくれているサフィが教えてくれた。

 懐かしささえ感じる海の香り。

 小さい頃、両親が連れて行ってくれた記憶が遠くで揺れる。

 そして前方に広がるきらきらした水面が大きく見え始めた時、馬車はそっと歩みを止めた。

 ゲートたちが乗る馬の足音も小さくなって止まる。

 馬車の扉を聖騎士さんが開けてくれて、私はサフィに促されながら外へ出ようとした。

 その時だった。

「お待ちしておりました」

 町長さんらしき男性の声が聞こえたと同時に、私の目の前にはたくさんの人たちが地面に膝をつき、首を垂れている姿が広がっていた。

 誰もが深々とこちらに頭を下げている。

 町全体が静かになっていることから、恐らくボレアンの住民ほとんどがここに並んでくれているのだと分かる。

 まさかこんな風に迎えられると思わなかった私は慌てて

「あ、あの、どうぞ皆さん顔を上げてください。それに足が痛んでしまいます。楽な姿勢をとってください」

 と彼らに告げた。

 するとゆっくり六十代も半ば頃に見える男性が顔を上げ、涙ぐむようにして私を見つめ

「なんとお優しい神子様か。これでようやく月光神様にお礼を申し上げることが出来ます」

 と感慨深い様子で再び頭を下げた。

「あなたがボレアンの町長でいらっしゃいますか?」

「はい。我々の祖先がこの地へやってこられたのは、月光神様のお告げがあったからでございます。そして今に至るまでこうして平穏無事に過ごせているのもまた月光神様のおかげなのです」

「そうでしたか…。ぜひそのお話をお聞かせいただけますか?それと、まずは皆さんに楽にしていただくようにお伝えください」

「分かりました。皆、神子様のお言葉だ。礼をといて楽にしてくれ」

 町長さんのその言葉でようやく全員が顔を上げて立ち上がってくれる。

 それを見届けて

「みなさん、短い時間ですがお世話になります。よろしくお願いいたします」

 今度は私が頭を下げると、辺りは一斉にざわめきはじめ

「こちらこそよろしくおねがいいたします!!」

 住民たちは口々にそう言って再び深々と頭を下げた。

 まるでどちらが深く会釈できるか合戦のようなやりとりは

「ひとまず館へ案内していただけますか?」

 というサフィの穏やかながらも冷静な一言でひとまず終息したのだった。







 続く

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