第23話 神子と予定とお手振りと。
朝食前に揃った三人の手首に、それぞれに合わせた色のブレスレットを付ける。
サフィは全身で感激しているのが分かるし、ゲートは喜びを噛み締めている様子で、ディアは驚いたような表情を浮かべていた。
もちろんディアも喜んでくれているけれど、それだけでないことは明らかだ。
そんな彼を前に、ゲートがすっと歩み寄り
「殿下、これはユウの気持ちですよ。願いでもある。このブレスレットを作ったのは、殿下のことを誰よりも案じているからなんです」
静かにそう告げた。
それだけでディアには何の事だか分かったらしい。
彼は困ったように笑みを浮かべて、それから大きく息を吐き出し、肩を落とした。
「ユウ、ありがとう。でも安心していいよ。まだ何も動き出していないから」
「本当?」
「うん。勘付いたのはユウ?それともアガート?」
ディアは私たちを交互に見ながら問う。
一瞬だけ、ピクリと反応したのはゲートだ。
他の人なら見逃したはずのそれを、ディアは決して見逃さなかった。
そしてまた小さく笑みを浮かべる。
「さすがだね。次期近衛隊隊長の呼び声高いアガートだ」
「えっ?次期隊長!?」
それは初耳だ。
ゲートに視線を移せば、ははは、ときまり悪く視線を逸らされた。
「俺のことはいいんです」
「分かってるよ。因みに、もう分かってると思うけど、近衛隊隊長より神子付きの護衛になることの方がずぅっと出世だから、ユウは気にしちゃダメだよ」」
「う、うん」
「で。僕のことだけど、今は下調べを始めたところなんだ。ほら、ボレアン行の件もあるでしょ。だから少しでも安全を確保したくてね。そんなに危険なことはしてないよ、安心して」
ディアは躊躇いのない瞳で私を見つめてそう言った。
「ホント…?」
分かりやすいようでいて実は分かりにくい、ディアの感情は時々上手く言葉の陰に隠れてしまうから、私は念を押すように問い返してしまった。
でもディアは気分を害した様子もなく、それどころかむしろ私を心配しているかのように優しい笑みを浮かべて、そっと手を取ってくれた。
「不安にさせてごめんね。ユウ、僕はね、自分にどのくらいの力があるか分からないけれど、この国の王様になるって決めてるんだ。だから今は危ない橋を渡るようなことはしない、って誓うよ。大丈夫、敵の正体を見極めてから慎重に事を運ばないとね」
いつもと変わらない、屈託のない表情で茶目っ気まで添えてそんなことを言うから、私はつい「うん」と頷いてしまった。
満足そうなディアは「お腹空いたねー」なんて呑気なことを言ってテーブルにつく。
ゲートとサフィも笑いながらいつもの席へ座り始めたから、私も定位置となったディアの隣へ座ることにした。
「ところでボレアン行の件はそろそろ目処がつく頃かな?」
ディアの視線はサフィに向けられていた。
「ええ、もうすぐこちらの予定も調整が終わります。先日グラナートからも連絡があって、喜んで予定を空けてくれましたから、日程や調査内容など詳細を詰めればあとは当日を迎えるだけです」
朝の柔らかな日差しにぴったりの爽やかさでサフィは言う。
調査団…?
「何だか大事になってる?」
「いいえ、そんなことはありませんよ。便宜上、調査団と呼んでいますがユウに同行するのは私たち三人にグラナート、そして聖騎士団団長のフリソス殿と決まっていますから。あとは国から護衛が派遣されると聞いています」
「うん、その予定。護衛団の人選は済んでるし、予定は全て神殿の決定に従うことになっているから、問題なし」
「今のところユウの予定は神子のお披露目に合わせて調整されています。どうやらお披露目は次の満月にギリギリ合わせるようですね」
「そうなんだよ。お披露目は神殿主催で行うものと、国主催で行うものと二段式だからね。結局諸々の準備に時間がかかってて、急いでる割には満月の前日になっちゃった」
肩を竦めてディアは言う。
次の満月まではあと十日くらい。
結構忙しくなりそうだ。
「それでも十分早いだろう。これからどんどん予定が詰まるんじゃないか?」
「ルヴィニも衣装が完成したらまた試着してほしいって言ってたし、慌ただしくなるね」
「そうですねぇ。でも心配はいりませんよ。ユウには出来る限り負担がかからないように予定を組みますから」
言いながらサフィは手際よく人数分のお茶を注ぐ。
薄い琥珀色のお茶からは、少しフルーティーな香りがした。
「いい香りでしょう。今日はハーブに果実をブレンドしてみたんです」
サフィはほんの一瞬私の注意がお茶に逸れたことに気付いて、柔らかな口調で教えてくれる。
「うん。とってもいい香り。爽やかで、朝にぴったりだね」
「ええ、ユウは果物がお好きでしょう?だからドライフルーツを取り寄せてみたんです」
「ホント?ありがとう!」
いつの間に?と驚いてしまうくらい、サフィは細かいことに気付いて手を回してくれる。
それに些細なこともちゃんと覚えていてくれるから、何だか嬉しい。
「サフィはよく見てくれてるよね」
「私の務めですから。とはいえ、無意識の内に見てしまっているかもしれません。やはり喜んでいただけるのは嬉しいので。鬱陶しくはありませんか?」
不意になにか思い当って、サフィは心配そうに問う。
「まさか!全然鬱陶しくないよ」
「それならいいのですが。他にも好きなものがあったら教えてくださいね。忙しい時ほど好きなものに囲まれていると、少しは気も休まるでしょうから」
「うん、ありがとう」
そうしてサフィのおかげでホッとし始めた頃、シンケールス様も部屋へやってきて、いつもの朝食が始まった。
シンケールス様から告げられたのは、今後の予定。
今日中にボレアン行の詳細が決定され、二日後に出発して二泊三日の予定で調査を行い帰ってくるとのこと。
その翌日には儀式用の衣装を試着、更にその翌日からはお披露目のリハーサルが段階を追って行われる。
お披露目当日まで諸々の準備は神殿と王宮、それぞれの担当者たちで行われるから、私が直接関わって準備に追われるようなことはない。
けれど国を挙げての大々的な行事になるため、ラウルスの街だけでなく隣接している街まで国中の人々を迎える準備に忙しくなる。
当然護衛任務も徹底される。
王国兵や神殿兵も総動員されてあちこちを護衛するのだとか。
そこで私の身辺警護には常に聖騎士団団長のフリソスさんがついてくれることになった。
室外だけでなく、室内にいる時もフリソスさんが部屋の前で待機してくれる。
彼以外にもボレアン行からお披露目当日まで、聖騎士団の第一部隊が私の周囲を警護してくれるらしい。
普段から神子付きとして護衛任務にあたっているゲートはいつも通り、私のそばにいてくれる。
いつもは近衛隊の制服を着ているけれど、お披露目当日は「神子付き」であることを示す専用の制服を着るんだって。
それがこれからずっとゲートの制服になるんだけど、どんなデザインなのか、私には当日まで内緒にされている。
同じくディアも当日は王族の正装で、サフィは神官の正装。
ただしサフィはゲートと同じように「神子付き」専用のデザインになる。
そんなこんなで衣装に関しては「神子付き専用」の制服が数人分必要になったから、現在ルヴィニさんの工房では職人を三十人態勢でフル稼働中。
ルヴィニさんは神子の衣装を一人で担当しつつ、専用制服のデザインも担当しているというから凄まじい。
因みにグラナートさんはボレアン行の件と平行して、お披露目用のフルコースを担当する。
今はお店の厨房に籠ってメニューを考えたり、試作したりとこちらも大忙し。
それでもお店は毎日通常営業を続けているっていうんだからびっくりだ。
「ひだまり亭もルヴィニのお店も、それにラウルスの街にある店という店ぜーんぶ、今頃仕入れや受け入れ準備でてんてこまいなんじゃないかな。嬉しい悲鳴だと思うよ。神子のお披露目は経済効果も高いからね」
「それも神子の恩恵のひとつですね。お披露目からひと月くらいは国内外の観光客がひっきりなしにこの王都(王宮、神殿、ラウルスの街付近)を訪れますから、しばらくの間賑やかになりますよ」
ということは神殿にも人がたくさん来るのかな。
動物園のパンダ状態になるのは出来れば避けたいんだけど…。
と、よぎった不安が顔に出ていたみたい。
サフィは落ち着いた様子で
「大丈夫ですよ、ユウはいつも通り過ごしていただいて構いません。あまり賑やかなのが好ましくない場合は、神殿敷地内は静寂を保つ、と御触れを出すこともできますから」
と教えてくれた。
「静寂を保つ、ということは神殿への入場制限を設けたり、立ち入り可能な場所を制限したりということだ。もしくは神殿の門は閉ざし、決まった時間に神子が神殿のバルコニーから姿を見せるのを遠くから観覧する、ということも可能だ」
門を閉じる!?
「そんなことも可能なの?文句出ない?」
きな臭い国もあるんでしょう?
そういうところの観光客からクレームの嵐が王宮や神殿に寄せられたら大変。
…と思っていたのだけれど、シンケールス様とサフィは戸惑う私に柔らかな笑みを向けていた。
「心配はご無用です。全ては神子の御心のまま。それに異を唱える者はご加護から遠ざかると分かっていますし、仮に文句や注文を受けたとて、それで神子が心を痛めるようなことがあれば、それこそこちらから抗議することになりますから、よほど愚かな者でない限りこちらの指示に従いますよ」
どうしてだろう、口調も笑顔もいつもと同じ、清廉で優雅な美しさを醸し出しているというのに、ちょっとだけブラックな何かが見え隠れしています、シンケールス様…。
そうだった、私にはシンケールス様という、恐らくこの国最強の後ろ盾がいてくれるんだった。
「どうしますか?事前に要望があれば、そのように王宮にも通達いたしますよ」
「い、いえ、あの、見世物…みたいに騒がれるのはちょっとしんどいですけど、門は閉ざさなくて大丈夫です」
慌てて答えると、少し残念そうに
「そうですか」
とシンケールス様は呟いた。
…門を閉ざす、って結構最終手段に近いと思ってたんだけど、シンケールス様にとっては割と当たり前の範疇だったのかな…。
視線でサフィに問いかけると、彼は面白そうにふふ、と笑って
「その都度様子を見ながら段階的に制限を設けることもできますから」
そう言ってくれた。
ほっと一安心。
ただ、どのくらいの人が来るのか想像がつかないから何とも言えない、っていうのが正直なところだけど、警護してもらうことを考えたらある程度予定を組んでおいた方がいいのかもしれない。
「ゲート、どう思う?一日の予定、大まかにでも決めておいた方がいい?」
「ん?」
「警護する立場からすると、気分次第で行動が変わってたら不都合が出たり、やりにくかったりする?」
「なるほど…そうだな、確かにその都度連携をとる手間は増えるかもしれない。あらかじめ予定が分かっていれば、動きはスムーズになる。任務に就く方は助かると思うが…、ユウが堅苦しく感じたりストレスを感じたりするなら、無理に予定を組む必要はないぞ。連絡の取り方は色々あるからな」
そっかぁ。確かにみんな警護のプロだもんね。やり方はいくらでもあるんだろうけど…。
ただでさえ大変な時にわざわざ手間を増やすこともないと思うんだよね。
「サフィ、例えば決まった時間にバルコニーに神子が現れますよ、っていうのはお知らせできる?」
「ええ、出来ますよ」
「じゃあ私は毎日三回、朝・昼・夜の決まった時間にバルコニーからみんなに挨拶する。これは広くお知らせしてもらう予定で、それ以外の予定については、私の警護に関わる人にだけ伝えてもらう、っていうのはどうかな」
一日三回くらいならお手振りしてもそんなに疲れないはず。
私の提案を受けたサフィはそれでも驚いたような、心配しているような、複雑な表情を浮かべて視線を彷徨わせる。
シンケールス様もじっくり思案しているようだ。
ゲートとディアも心配そうにこちらを見ている。
…あれ?
「もっと回数増やした方がいい?」
予想外の反応にそう問うと
「ダメ。ダメだよ、ユウ、それは絶対ダメ」
「ああ。そんなに頑張る必要はない」
「え?」
どうしてそんなに断固拒否?
「神子、いくら貴女が愛に満ち溢れた神子であっても、人々を喜ばせるために無理をするようなことがあってはなりません」
シンケールス様は真顔で鬼気迫る。
ん…?
神子って本来はそんなに姿を見せない、とか?
困った時のサフィ頼み。
視線を向ければ、いつもの困ったような笑顔はなく、「どうしてそこまで…」と言いたげな顔で私を見ていた。
「ユウはみんなの期待に応えたいんだよね」
微妙な空気を破ってくれたのはやっぱりディアだった。
しかも私の気持ちまで汲みとってくれている。
「うん。でもあんまりいいことじゃないならやめておくわ」
「良いことか悪いことか、って言ったらとても良いことだと思うよ。ただ、これまでの神子はほとんどが滅多に姿を見せなかったんだ。…見せられる状態じゃなかった、っていう方が正しいかもしれないけど」
ディアの眉間にしわが寄る。
そうだ、歴代の神子は悲劇をたどった数の方が多いんだったね…。
「例えバルコニーから大衆に向かって笑顔で手を振るだけだとしても、毎日三回というのを続けていたらやっぱり負担になると思うんだ。一瞬で終えられるようなものでもないしね。ある程度の時間を要するから」
「それに別の心配もある。今代の神子は人々の期待に応えてくれるし、頻繁に姿を見せてくれるほど健やかだ、と分かったらユエイリアンの民だけでなく、国外の人々も途絶えることなく神殿にやってくるだろう。人々の期待はいずれ「欲望」や「執着」に変わる。そうなれば人々は神子から「搾取」し始めるだろう。それは月光神様の望むところではないはずだ」
「人は善意の搾取が得意だからね。相手に恩を売ったり、使命感や責任感を利用したり、やり方は色々だけど…大衆の意思が膨らんでしまうとコントロールが効かなくなることもある。だから、神子のお出ましは一日一回でいいんじゃないかな。それ以外で神子の姿を見られたら、それはきっと神のお導きってことで」
「そうですね。毎日神子が姿を見せてくださるなんて、それだけで十分ありがたいことです。バルコニーでの挨拶時間を中心に、ユウの予定を組みましょうか。フリソス殿と相談して予定をお伝えするタイミングを確認します。そうすればある程度自由がきくと思いますから」
「うん、よろしくお願いします」
私が言うと、サフィはとても嬉しそうに目を細めて頷いた。
続く
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