第19話 ゲートと試着と薔薇の花
「とはいえ、私の場合は無知ゆえの怖いもの知らずなんじゃないかと思うんですよ」
丁度いいサイズのクッションを抱えて、私は隣に座ってリラックスモードのゲートに呟く。
ゲートはお茶を飲みつつ視線をこちらに向けてくれた。
さっきはディアを元気づけたくて前向きな言葉を口にしていたけれど、不安や心配がないわけじゃない。
もちろん全部本心だけど、拭いきれないモヤのようなものはある。
それは多分私の知識外のことがたくさんあるから。
「経験して初めて分かることってあると思うんですよ。神子として生きるのなんて初めてだから、実感が伴わないことが山ほどあるの」
「俺も神印持ちとして生きるのは初めてだから、分からないことはたくさんある」
「だよね」
「ああ」
二人で同意し合って頷き合って。
それはそうなんだけどさ、と心の中でひとりごちていると、ティーカップを置いたゲートが私に向き直って座り直した。
ひざを突き合わせて向かい合う。
見つめ合った先の黒い瞳は、穏やかに凪いだ海のように輝いていた。
決して私の気持ちを受け流したわけじゃなく、突き放したわけでもなく、むしろちゃんと受け止めてくれているのだと分かる。
ゲートは厚く、武骨な手で私の手をとった。
「こんな時どういう言葉を伝えればいいか、正直分からない。俺は近衛兵として陛下の側にいた。政治的に重要な会議の場にも居合わせた。でも俺の任務は肉体労働だから、政治には疎いんだ。だから今はそんな自分を少し反省しているし、そういう事が得意な殿下がいてくれて良かったと思っている。サフィールもそうだ。ユウの身の回りのことから神子の使命について、サポートできる存在がいてくれて良かったと思うんだ。俺が苦手としていることは二人の得意分野だ。それなら俺は自分が得意とすることでユウを支えたいと思う。ただ、今は特に危険な状態でもないから、俺が出来ることといえばこうして傍にいることだ。だから、ええと、その」
ゲートは急に口ごもって、少しあたふたしながら顔を真っ赤に染めていく。
ちょっと…そんな顔されたら私まで何だか、照れくさくて、でも嬉しくて、何ていうか、その、顔が熱くなっちゃうよ。
鏡合わせのように二人で赤くなりながら視線を彷徨わせる。
傍から見たら滑稽に見えるかもしれない。
けれど次の瞬間
ぐっ
手を引かれたと思ったら、すっぽりと、温かな腕の中にいた。
「ゲート?」
「この方が、近いだろ。それに、これなら顔も見えないし、いや、俺はそれでいいけど、ユウの顔が見えないのはやっぱり、あ、いや、でも」
だんだん挙動不審になっていくゲートの言葉は支離滅裂。
おかげで私はちょっと冷静になる。
「…ゲート。落ち着いて」
「あ、ああ。すまない。嫌ならすぐ放すから」
「ダメ。嫌じゃないからこうしてて」
多分、こうなったのはとても単純な理由。
傍にいることしかできないから、それでも不安を感じているなら距離を縮めればいいと考えたんだろう。
メリットはそれだけじゃない。
彼は自分の照れた顔を私に見られなくて済む。
代わりに私の顔が見られなくなるというデメリットが生じた。
それはちょっともったいないと思ってくれているんだ、と気付いたら、思わずにやけてしまうくらい嬉しくて。
せっかくだからもう少しこのままでいてほしいと思う。
ゲートはサフィよりも体温が高い。
そして爽やかな木々の香りがする。
「ありがとう、ゲート」
「ん、こちら、こそ?」
「何それ。変なの」
「変、か?」
「うん。でも私はそういうゲートがいい」
「そうか」
「筋肉、すごいね」
「え?あ、ああ。鍛えてるからな」
「今度訓練してるところが見たいな」
「分かった。許可が下りたら連れていく」
「約束」
「ああ」
そんな小さな約束が、私の胸を温めてくれた。
なんやかんやあって、ようやくルヴィニさんが到着し衣装合わせが始まる頃には、サフィも部屋に戻ってきてくれて、すっかり室内が洋品店のように様変わりしていた。
首から胴の部分までのマネキンに着せられているのは、仮縫い状態のお披露目用の衣装。
ベースはサフィが作ってくれた神官服やお祈り用の衣装と似ていて、そこにシースルーの生地やレースが装飾されている。
装飾部分が多いせいか、見た目は清楚で神秘的なウエディングドレスに見えなくもない。
しっかりとしたコルセットも付けられている。
この短期間でこんなに素敵な衣装が出来上がるなんてびっくりだ。
「ルヴィニさん、天才」
「あら、嬉しいわ。私の自信作なの。因みに仕上げるときにはもう少し装飾を付ける予定よ。といってもゴテゴテしたものじゃなく、こういう、パールビーズを縁取り代わりに縫い付ける、って感じ。どう?スカート部分はもちろん月下美人をデザインしてみたの。これから花開くところよ。薄い生地を何枚も重ねているから、そんなに重くないわ。反対に上半身はすっきりさせて、ビーズの装飾で上品さを演出してみました。ヴェールはレース編み。しっかりしてるけど通気性もあるから、そんなに息苦しくはならないはずよ」
自信に満ちたルヴィニさんはキラキラ輝いている。
衣装を前にしたサフィもゲートも感心しきりだ。
「一応コルセットで締めるけど、飾り程度だと思って。苦しくないように設計してあるから」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。さて、一度着てみましょうか」
「はい」
彼女に促されて私たちは衝立の向こうへまわる。
ルヴィニさんは手際よく衣装を着つけてくれた。
驚くほどジャストフィットの衣装は、コルセットを締めても全然苦しくない。
程よく背筋を伸ばしてくれて、肩周りや腰などは動かしやすくなっている。
袖がつる感じもなくてとっても着やすい。
「これで、ヴェールをこう付けたら、完成!どうかしら。少し動いてみてくださる?」
「はーい」
サフィやゲートに見せるついでに、部屋の中を少し歩いてみる。
「違和感はある?」
「いいえ、全然」
「腕の曲げ伸ばしはどう?きつく感じる所はある?」
「ありません」
「あらまぁ、ホント?私本当に天才かもしれないわね」
ルヴィニさんは嬉しそうに呟いて、衣装の細かい部分を手直ししていく。
「このリボンはね、祝福の花束を飾るリボンなの」
「祝福の花束?」
「そうよ。神子様自身が私たちにとって、神様からのプレゼント。愛の花を満開に咲かせてくれる、花束をイメージしたのよ」
「私が花束…何だかちょっと照れくさいです」
「あら。でも神印は満月に薔薇だったでしょう?」
当然とばかりにルヴィニさんは言う。
「薔薇って愛の花、なんですか?」
「ええ!それが満月に咲いているなんて、神子様が愛情に満ち溢れている証だわ」
そんな意味があったなんて、全然知らなかった私はきょとんとしてしまう。
「そう言えば薔薇については触れていませんでしたね。私たちにとっては身近だったのでうっかりしていました」
「…聞いたことはあったが、縁遠くて失念していたな。すまない」
二人ともそれぞれの返事をしてくれた。
なるほどね。
「あなたたち…何も知らない神子様が万が一誰かから薔薇を受け取ったらどうするつもりだったんです?うっかりじゃ済まされませんよ?まあお二人のことですから、神子様をお一人にするなんてことはないでしょうけど!それでも押し付けられたものを突き返し忘れた、なんてことになったら取り返しがつかないじゃありませんか!!」
ぴしゃり、と雷が落ちた。
二人もびくっと身体を震わせ、背筋を伸ばす。
これはもしや…。
「薔薇の花って、愛の告白とか、そういう意味があったりします?」
「告白なんて甘っちょろいものじゃありませんよ。特に深紅の薔薇は求婚を意味するんです。それを受け取るということは、求婚を受けるという証になるんです」
「え」
「正式な求婚の儀式に使用するんです。薔薇にも様々な色がありますが、基本的に好意を抱いていない相手からは絶対に受け取ってはいけません。神子様、薔薇には常に気を付けてくださいね」
「はい!」
食い気味に頷く。
薔薇、なんて危険な花なの!
「サフィ、この後薔薇について詳しく教えてね」
「もちろんです!」
キッとルヴィニさんの鋭い視線がサフィとゲートに突き刺さっている。
私はそんな二人にちょっとだけ同情しつつ、偶然でも知ることが出来て良かったと胸を撫で下ろしたのだった。
続く
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