第17話 神子の平日(その5)
朝の身支度が始まるとゲートは自室へ戻って自分の身支度を始める。
サフィは私を起こしに来る前にいつも身支度を整えている。
そして洗面所から出てきた私の髪を丁寧に梳かしてくれる。
鏡越しに会話をしながら髪を結ってもらうこの時間が私はいつの間にか好きになっていて、サフィは会話も髪結いもそつなくこなす。
いつもと変わらない他愛無い会話の中身は一日の予定だったり、これからやってみたいことだったりするけれど、今朝はちょっとだけ違う。
私は月光神様と話したことを伝えなきゃ、と思っていた。
もちろんシンケールス様にも話すべきことだから、もしかしたら夫候補の三人にも知っておいてもらった方がいいと思う。
ただ何となく、サフィには一番最初に話しておきたい、そんな風に考えていた。
「サフィ、あのね、聞いてほしいことがあるの」
「改まってどうしたんです?何か、深刻な事でも?」
「ん、深刻というか、多分私が思っているよりも重大な事、かな」
「分かりました。一度手を止めましょうか」
「ううん、大丈夫。続けて」
「はい」
サフィは髪を整えながら、鏡越しに私と視線を合わせてくれていた。
「月光神様がくれた加護って、私の想いの力、なんだって」
「想いの力、ですか」
「うん。私の想いの強さが加護の強さや大きさに関わる、って言われたの。同時に、受け取る人間の心の清らかさや想いの強さ、誠実さによってその効果は変わるって。私の力は相手によって毒にも薬にもなるって言ってた。月光神様は私の幸せを願ってくれているからこそ、人々を助ける力と自分自身を守る力をくださった、って」
「…なるほど…つまり貴女の力を使うことによって、人々を選り分けることが可能になるということですね?」
「恐らく。それに私の力は想いの力だから、込める想いによって色々な加護を授けられるのかもしれない。どんな想いが加護として効果を持つのか、やってみないと分からないけど…人々を助けるための願いはきっと効果があると思う。でも、受け取る相手によっては逆効果になるの」
「そうと知らずに貴女の加護を受け取った相手が邪な思いを持つ者だったら、効果があるどころか酷い目をみることになり…場合によっては貴女を糾弾する、かもしれない。と」
私が危惧している事をあっさり看破してサフィは眉間にしわを寄せた。
神子の存在がそう簡単に危うくなるようなことはないと思う。
けれど良いようにも悪いようにも利用される危険性はある。
「糾弾されるのが私だけならまだいいの。でも神殿や、場合によっては国まで巻き込まれてしまうこともある。そういう危険は避けるに限るし、蕾の内に摘み取ってしまう方がいいから」
策を講じておくに越したことはない。
「それに月光神様がわざわざ、自分の身を守るために、って言うってことは…残念だけど、私の力を利用しようとする人たちがいるってことだよね」
「ええ、そういう悪だくみが得意な人々は必ずいます。ユエイリアンも例外ではありません。国内外を問わず国家転覆を企む者はいます」
「私の力を使ってユエイリアンと、清き魂を持つ人々を救って、って月光神様は言ってたの。それって、今すぐどうこうなるものではないとしても、ユエイリアンが危険な状況にあるってこと?」
私の不安や心配は意図せず声に出てしまい、つい弱気な口調になってしまう。
それをすかさず感じ取ったサフィは、私の髪を結う手を止めた。
そして温かな手のひらで頭を撫でてくれる。
「否定はできません。特にユエイリアンは他国と比べて優れているものがありますし、今はこうしてユウが来てくださいました。狙われる理由はいくらでもあります。だからこの国では神殿と王家が手を取り合ってきたのです。神子を守るために」
「サフィがこうやっていつも一緒にいてくれたり、ゲートがわざわざ神子付きの護衛に任命されたり、聖騎士さんたちが常に神殿を警護していたり、それも全部私を守るため、だよね。昨日も団長さんが同行してくれていたし」
「はい。ユウの安全が最優先ですから。そういう意味では、もしかすると貴女が思っているより、貴女の存在は大きく尊いと言えます。しかしむやみに不安を煽りたくはないので、貴女にはあまり意識せず過ごしてほしいと思うのも本心です。危険を意識してばかりでは、心をすり減らしてしまいますから」
サフィはそう言って私の肩にそっと手を置いた。
ふわりとした温もりがじんわり広がっていく。
「実は過去に神子が降りた時、その多くは悲劇をたどったと聞いています」
「悲劇…?」
「はじめは他国にも何度か神子が遣わされていました。けれど、ある時は政治に利用され、またある時は王族から無理やり子を産まされ…神の御使いであるはずの神子を、それは筆舌に尽くしがたいほど、酷い扱いをしたという記述があります。そんなことがあってから、月光神様は他国に神子を遣わすことをお止めになりました。しかし彼らは加護をお授けいただけないのは自分たちの行いのせいだとは考えませんでした。ですからユエイリアンに神子が遣わされると、こぞって神子を手に入れようと画策したのです。夫の座を手に入れるため神子に富を与えたり、篭絡するための手練手管を用いたり、その方法は様々で、神子を攫うというあからさまな手段をとった国もあります。それこそ武力に訴えた国もありました。その度に月光神様のご加護からは遠ざかっていったというのに」
「神子自身はどうなの?富に目が眩んだり、月光神様の意思に反することは?」
「…あったようです。それに神子としての役目を受け入れられなかった神子もいらしたようです。なぜ自分がそのような事を強いられなければならないのか、なぜ人々のために尽くさなければならないのか、と。それは神殿や王家が神子を全力で守り支えようとしても、力及ばず、といった場合もあったそうです」
「そんな…」
人々に祝福をもたらすはずの神子が、神子であることを受け入れられないなんて…。
「それ故に月光神様は何よりも神子の幸せを願い、清き魂を持つ人々にだけご加護を授けてくださったのでしょう」
この世界に来て、記憶もなく突然人々の期待を寄せられたら、それは戸惑うと思う。
私だって簡単に神子であることを受け入れたわけじゃないし、戸惑わなかったわけじゃない。
今も本当に理解して受け入れているかと聞かれたら、まだ疑問が残る。
それでも、少なくとも神子であることを拒否しようとは思わない。
サフィやシンケールス様や、ゲートやディアがいてくれて、いつでも私に寄り添ってくれたから…だから自分にもできることを頑張りたいと思えた。
少しでも役に立ちたいと思えた。
それはみんなが過去の悲劇を知っていて、私を支えてくれたから?
過去の過ちを繰り返さぬよう、私が心身ともに健やかでいられることを優先してくれたから?
神子が神子でなくなってしまったら困るから?
…例えそうだとしても、彼らの気持ちが打算から来ているとは思えない。
どこかにそういう気持ちがあったら、もっと私に神子であることを押し付けたはずだもの。
「サフィはどう思う?私も過去の神子たちのように、悲劇をたどってしまいそうで、心配?」
「ユウ…」
ぎゅっと、初めてサフィは私を抱きしめた。
私の体を包み込むように強く、優しく、しっかりと。
首筋からほんのり香る、サフィの優しい香りはシャボンの匂い。
「悲劇になんてしませんよ、絶対。貴女は私たちの神子です。愛に溢れ、聡明で温かな神子…。貴女が不安なら、拭いきれるまで抱きしめます。言葉が必要ならいくらでも伝えます。温もりが要るならいつだって捧げます。貴女は過去の神子たちとは違うんです」
「…もしも私が道を間違えそうになったら、叱ってくれる?何をやってるんだ、って…力づくでも正しい道に引き戻してくれる…?」
「当たり前です。なんなら一緒にシンケールス様に怒られても構いません。貴女を一人になんてしませんよ」
背中にまわされた腕に力が込められた。
やっぱりサフィは分かってくれるんだね。
私が欲しい言葉をくれる。それ以上の想いを持って。
「サフィがいてくれて良かった」
「光栄です。ユウが一番に話してくれたのが私で嬉しいですよ」
「サフィなら私の気持ちごと分かってくれるような気がしたの。ちょっとずるい言い方かもしれないけど」
「いいじゃありませんか。お互いさま、でしょう?」
それはいつか私がサフィに言った言葉。
ちゃんと覚えていてくれたんだ。
「うん、そうだったね。私は一人じゃないから、大丈夫」
「そうですよ。この通り、私の腕は両方とも空いていますし、アガートやディアマンテ様の腕も空いていますから、より取り見取りです」
「ふふ、サフィがそんな冗談言うなんて、新しい発見」
「吹っ切れた人間は強いんです。さて、御髪を整えましょうか。アガートももうすぐ戻ってくるでしょうから」
「はーい」
私はサフィに促されるまま、再び鏡越しに彼と向き合った。
朝食前の散歩にはゲートも加わり、更には再び聖騎士団の団長フリソスさんもご一緒してくれることになった。
どうやら屋外へ行く時はフリソスさんが専属で警護してくれる…のかな?
こんな朝早くにありがとうございます、と挨拶したら「こちらこそ」と言われたのだけれど、どういうことなんだろう。
多分「神子付き」というのが一種のステータスであるらしいことは分かっていたから、そういうことなのかな、と理解しておくことにした。
神殿の敷地内はさすがにこの時間だから、街の人たちの姿はない。
代わりに神官のみなさんとたくさんすれ違った。
どうやら朝のお祈りが朝食前にあるため、聖堂へ向かっているとのこと。
「私もお祈りした方がいいよね?」
もうこっちに来てから数日経ってしまったけれど、気付いたのだから私も参加しなきゃ、と思ったら。
「いえ、ユウは夜のうちにお祈りをしましたから、朝のお祈りはありませんよ」
当たり前のようにサフィは軽く言う。
「そうなの?」
「はい。因みに私も夜の間にお祈りを捧げているので、問題ありません」
「もしかして毎晩部屋に戻ってから?」
「ええ。お祈りは神官としての大切な務めですから」
爽やかな笑顔でそう言われると、確かにそうか、と頷ける。
あれ?そういえば…私が来る前は「生命の水」ってどうしてたんだろう。
神殿にはたくさんの月下美人が栽培されているけれど、それは私が遣わされたから栽培を始めた、というわけではない。
もしかして。
「神官の祈りって、生命の水も作り出せる?」
「ほんの僅かですが、可能ですよ。ただし、神子が作り出すものとは雲泥の差がありますから、ほんの気休めになるかどうかというところです」
「それでも月光神様の加護はあるから、求める人は多いんだ」
サフィの言葉を補足するようにゲートは言った。
「これまでもずっとサフィたちが生命の水を作ってくれてたのね」
「そうは言っても神子が作り出すものと同等の効果を持たせるためには、量が必要になります。満月の夜に全員で祈りを捧げても、採取できるのは一人分がやっと。時期によってはそれさえ厳しい程ですから、安定供給とはいきません。人々もそれが分かっているから例え女児が生まれなくとも、子宝に恵まれるようにと生命の水を求めるのです」
そっか…どうしても男女比を考えてしまうから、つい忘れがちになっちゃうけど、そもそも少子化の危機もあるんだよね、この世界は。
「満月の夜になったら、張り切ってお祈りするね」
「ふふ、そうですね。私も全力でサポートします」
「じゃあ俺は全力で警護だな」
「二人ともよろしくお願いします」
そう言って三人で笑い合う。
うん、やっぱり私は大丈夫。
過去の神子たちのようにはならない。
あとは前向きに、私に出来ることを頑張るだけ。
決意を新たに空を見上げれば、どこまでも透き通るような青空が広がっていた。
続く
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