第15話 神子の平日(その3)
待ちに待ったランチタイム。
私の部屋にはシンケールス様とディアを加えた、いつものメンバーが顔を揃えていた。
二人は私の顔を見るなり
「神子、とても美味しいマールスパイ、ありがとうございました」
「すっごく美味しかったよ!!甘すぎなくて、でもコクっていうのかなぁ、味に深みがあってホント、美味しかった」
と口々に言ってくれた。
「そう言ってもらえてよかった。こちらこそ、ありがとうございます」
ホッと胸を撫で下ろす。
これでまた厨房で料理をしても大丈夫そう。
でも本題はそれじゃない。
本当は食事の時に仕事の話みたいなことは避けたいんだけど、できるだけ早く確かめなきゃいけない事だから。
割り切って話してみることにした。
「シンケールス様、実はお願いがあって」
「おや、改まってどうしました?」
「月下美人の件です。神殿以外では栽培できなかったと伺いました。それについて、シンケールス様はどうお考えですか?」
「…なるほど。その件ですか…」
シンケールス様は一度カトラリーを置き、食事の手を止めた。
少しの間、難しい顔をして思考を巡らせる。
それは単に土壌や気候といった、栽培環境の問題だけではないことを示している気がした。
「神官を派遣して祈りを捧げてみても、栽培できなかったと聞いています。つまり、月光神様がご加護を授けられない「何か」があるのではないかと思ったのですが」
たどり着いた「疑い」を正直に告げてみれば、シンケールス様は眉間の皺を更に深く刻み、一つ、息をついた。
「あれは月光神様のご意思の表れだと、そう思っています」
「そうお考えになる根拠がおありなんですね?」
「ええ。ですがそれはユエイリアンに限った事ではありません。むしろこの国では、この神殿であればある程度の数を栽培することができます。他国では神殿でさえ月下美人の栽培が困難な状況にありますから」
「神殿でも…?」
「はい。それについてはまず、神殿と国の始まりからお話ししましょう」
「お願いします」
私の返事に応じるように、シンケールス様は静かに話を始めた。
この世界は月光神様がお創りになったものです。
大地は豊かな自然に満ち溢れ、生きとし生けるものたちがのびのびと暮らす、まさに「生命の星」そのものでした。
その頃の人類の男女比は等しく、互いに助け合いながら、人々は生活していました。
月光神様は世界を発展させるために、人々の中から特にきれいな魂を持った者たちにご加護を授け、その者たちを通して人々に助言を与えていらっしゃいました。
人々はいただいた助言に従い、お導きのあった場所で集落をつくりました。
そして月光神様に選ばれた者たちが、そのご加護に感謝し、さらにご助言を人々に広げるために神殿を建てたのです。
それが神殿の始まりです。
人々は出来るだけ神殿の近くで生活することを望んでいたため、神殿を中心に集落は発展し、国が形作られていきました。
しかし同時に人々の欲望も膨らんでいったのです。
もちろん変わらず月光神様への感謝を持ち、清い心で生きる人々はいました。
けれどそうではない人間が「力を持つものこそが月光神様に相応しい世界を作ることが出来る」「いやいや富と権力を持つ者こそが世界を発展させ、月光神様のご加護を得るに相応しい」と、人々を支配し始めたのです。
国の発展は互いに助け合うためにこそ、月光神様がもたらしてくださったご加護だったにも関わらず、それをはき違えた者たちが次第に土地も富も、豊かな自然の恵みさえも奪い合うようになっていました。
そういう人間は神官の中からも現れ始めました。
自分は選ばれし人間なのだと、傲り高ぶるようになってしまったのです。
国の中は二分されていきました。
やがて月光神様のご加護は薄れていき、女性や弱者が迫害される世界になっていったのです。
そうして人々は豊かになるどころか、自然も富も人も減っていき…気付いた時には手遅れになっていました。
自分たちの手では修復できない状況になってようやく、月光神様の御心に背いていたことを知ったのです。
争い奪い合い、人々を支配することに躍起になっていた人々は、再び月光神様に救いを求めました。
けれど月光神様のお嘆きは深く、その地に残るほんのわずか、一握りの清い心の人々を救うためだけに、ささやかなご加護を授けるのみでした。
「そうして世界は今に至るのですが、当時、どんなにひどい状況の中でも月光神様のご加護を信じ、感謝し、誠実に、ひたすら懸命に生きていた人々がいました。その人々は東の果てに逃げ延び、開拓し、新たな集落をつくりました。月光神様はその者たちを信じ、月下美人を授けたのです。人々はその場所に小さな神殿を作りました。そこで来る日も来る日も祈りを捧げ、互いに助け合いながら生活をしていきました。それがこの神殿と、ユエイリアンの始まりなのです」
「だからこの国では神殿でのみ月下美人が栽培できるんですね?」
「もっと言えば、この神殿を含むラウルスの街の人々が、その子孫にあたります。ですから、ラウルスの人々は特に信心深い。しかしそれ以外の土地は他からの移住者が多く、元は他国と争い、敗れた末に逃げのびた者たちの子孫が多い。そのため月光神様がご加護を授けてくださるのはこの神殿でのみ、とされました。しかし信心深い心を持っていても、何らかの事情でラウルスへ来ることができない人たちもいます。そこで長い年月をかけて歴代国王が少しずつ国の中を整え、少しでも多くの人々に月光神様のご加護が行き渡るよう、仕組みを作っていったのです」
これでようやく全貌が見えてきた。
話を終えたシンケールス様は一度果実水を口にする。
ただ静かに話を聞いていた私たちは、彼の様子を眺めるにとどまった。
そしてシンケールス様の澄んだ瞳が少しだけ悲し気に、私を映す。
「残念な事ですが、清き心を持ち誠実に生きる、これは一部の人間にとって簡単な事ではないのかもしれません。だから月光神様も広くたくさんの人々にご加護を授けるわけにはいかなかったのでしょう」
落胆を含んだ静かな声で、シンケールス様はそう言った。
この神殿は最後まで善意を持ち続け、月光神様を信じ続けた人々の想いで作られている。
そしてそれを今も変わらず守り続けている人たちがいる。
だからこそ月光神様は月下美人をこの場所で栽培し、加護を授け続けている。
更に神子…私をこの地に遣わしたのは、ここで生きる人々の幸せと繁栄を守るため。
きっと、そういうこと。
「シンケールス様、月光神様のご意思が表れているというなら、私たちは月下美人の料理や花酒について、慎重に考えていかなければいけないと思うんです。そしてこのタイミングで私が遣わされたこと、ボレアンに望むものがあるかもしれないこと、全て意味があるはずです。だから、どうか月下美人の栽培を試したときの資料を見せていただけませんか?」
「分かりました。昼食を終えたら書庫に向かいましょう」
シンケールス様は落ち着いた様子でそう告げ、どこか満足そうに微笑んだ。
そしてやってきた書庫。
書庫というより教会の聖堂にあらゆる書物を集めて収めた大きな図書館。
その奥にある、鍵のかかる特別な一室の中、資料は厳重に保管されていた。
十数冊に及ぶ資料を取り出して机に並べる。
ユエイリアンの大きな地図も用意してもらった。
資料は栽培を試した場所ごとにまとめられていて、表紙に記された地名を見てディアが地図に目印を置いてくれる。
昼食の時に私とシンケールス様の会話を聞いていたディアは「国にとっても重要な事だと思う」と神殿に残り、率先して私を手伝ってくれている。
もちろんゲートとサフィ、シンケールス様も一緒。
目の前に並べられた資料の一冊を手にとってページをめくってみるけれど、私にこの世界の文字は読めなかった。
文字については自動翻訳機能がないようで残念だけれど、すぐにサフィが助けてくれる。
「そちらには土壌の成分や気候について、数値や適性がまとめられています。苗を植えてから数か月分のデータですね」
「この資料では数週間ですべての苗が枯れてしまったとある」
「うーん、こっちは二カ月。で、これは…一週間で枯れたって」
ゲートとディアも次々にデータを読み上げていってくれる。
「長くもっても数カ月、しかも伸びたのは葉っぱだけで、その後枯れた…と。どれも蕾を付けることはなく、当然花も咲かない。月光神様の加護は授けられなかった。場所によって枯れるまでの期間が違うのはどうして?」
「データを書き出してみましょう」
「うん、比較しやすくなるからね」
ディアは賛成するなりすぐに土壌や気候についてのデータを地図に書き込んでいった。
「当時から神殿での栽培は上手くいっていました。使用した苗も神殿で育てていたものです。環境は可能な限り等しくなるよう配慮されたはずですが…」
シンケールス様はそれぞれの資料をめくって、該当する情報が載っているページを開いてくれた。
確かにディアが書き込んでくれているデータも似たり寄ったりだ。
「つまり生育環境が問題じゃないって事ね。どの場所も神殿の条件とほとんど変わりない。となるとやっぱり、問題は「人」にあるのかも」
「人、ですか…。この研究が行われたのは先王の時ですから、調べるには少々時間が必要になりますね。私でさえ生まれていませんから」
サフィが言う。
「私もまだほんの子供で、この頃のことはあまり詳しくありません。仔細については国の協力も得て調べる必要があるでしょう」
「シンケールス様、それなら僕に考えがあります。ちょうどボレアンの件が持ち上がったので、それにかこつけて過去の研究についてもう一度確認したいとでも持ち掛けてみます。それに今は神子が降りてくださったことで、色々な調査を進める絶好の機会でもあるんです。上手くいけばあちこちに調査団を内密に送り込めるかも」
「それはいい。ディアマンテ様、そちらの手筈はあなたにお任せいたします」
「承知しました。ユウ、僕は城に戻るね。夕食の時に進捗を知らせるから」
「ありがとう、ディア。よろしくね」
「任せてよ。じゃあ」
ディアはフットワーク軽く、データを書き込んだ地図を持って書庫を出ていった。
そして私たちは広げていた資料を片付け、元あった場所へ戻すと、シンケールス様は自室へ、私とゲートとサフィは再び屋外へ繰り出した。
目的地は月下美人を栽培、管理している植物園エリア。
神殿の敷地内でも特に厳重に守られている場所だ。
昼食時にシンケールス様が教えてくれた通り、他国では月下美人の栽培さえ上手くいっていないとのことだったから、油断すれば他国に奪われてしまう可能性もある。
だからこそ厳重警戒する必要があるのだろう。
ガラス張りの温室は天井付近の窓が全て開けられるようになっていて、風通しがいい。
代わりに聖騎士が四人、四方を見渡し警戒できるように常駐していた。
因みに午前中、薬草園へ行く時に警護についてくれた団長のフリソスさんが、今も私を護衛中。
ただし、温室の中へは例え聖騎士の団長といえど入ることは許されていない。
そのため温室の入口で待機してくれることになる。
代わりに「神子付き」の護衛であり、神印持ちのゲートなら私の許可があれば入室は可能という事で、私たちは聖騎士の方々に挨拶をしてから、温室の中へ入った。
まだ緑の葉だけがすくすく成長しているところの月下美人の苗がたくさん栽培されている。
この前私の部屋に運ばれてきた鉢は、特に成長の早かったものだったらしい。
「なぜかあの一鉢だけ、蕾を付けていたそうです。まるでユウを待っていたようですね」
「不思議ね…。でも月光神様のはからいだとしたら納得かも」
「神子が降りるとたくさんの奇跡が起こるそうだ。これから色々あるかもしれないな」
「うん」
私たちは一つ一つの苗をじっくり観察した。
温室担当の神官によれば、特に変わったこともなく順調に成長しているそうだ。
「ここの土壌や気候は、当初から変わりは?」
「ありません。こちらでは栽培と同時に毎日欠かさずデータを記録し続けています。何か変化があるとしたら、今後でしょうね」
「私が月光神様と繋がっているから?」
「はい。ユウの祈りで開花することは先日試した通りですので、神子の力が影響することは想像に難くないところです」
「そっか。あとは満月の夜以外に開花した月下美人に、どのくらいの効果があるのか知りたいところだけど…これは結構時間がかかりそう」
「調査するにしても、相当数の対象者が必要になりますし、数年程度じゃ誤差の範囲になってしまいますからね。国の力も借りて調査団を結成し、永続的な調査になるでしょう」
ざっくり考えただけでも大規模なプロジェクトになってしまう。
当然この世界では必要な調査だとは思うけれど、それだと時間がかかりすぎてしまって、今助けを必要としている人のためには役に立てられない。
だからといって効果が分からないもので糠喜びさせるのは良心が痛む。
何とか効果について知ることが出来ればいいんだけど…月光神様とまた話ができたら、それが一番なんだよね。
夢の中でも何でもいいから、月光神様と意思疎通が出来ればなぁ。
と、思い浮かべていた時だった。
―神子、私はいつもあなたを見守っているわ―
「え…?」
あの、優しい声がした。
「ユウ?どうした?」
「あ…今…聞こえた気がしたの。月光神様の声…」
周囲をきょろきょろと見回しても、当然姿が見えることはない。
でも確かに聞こえた。
夢で逢った彼女の声。
気のせいなんかじゃない。
前に聞こえた彼女の微笑むような声も、きっと本物。
もしかして、私が望めば月光神様の声が聞こえるのかも…。
「サフィ、今夜、月光神様に祈ってみるわ。何か、教えてもらえる気がするの」
「そうですか、分かりました。せっかくですからお祈り用の衣装をご用意しますね」
「うん、ありがとう」
私はサフィにお礼を言うと、温室を後にするのだった。
続く
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