第14話 神子の平日(その2)

 さて、マールスパイが大成功となり、今度は昼食に向けて本格的に忙しくなり始めた料理長たちにお礼を告げ、厨房を後にした私たちは、昼食までの時間を薬草園で過ごすことになった。

 敷地内ではあるものの、屋外になるため聖騎士も一人同行してくれるらしい。

 その人というのが

「あ、この間の…」

 そう、ここへ来た初日に窓の外から会釈を交わした、あのエルフのように美しい聖騎士だった。

 間近で見ると本当に神々しくて、私よりずっと「神子」に相応しい外見をしている。

 彼は硬く畏まった様子で

「先日は窓越しにご挨拶することになり、失礼いたしました。私は聖騎士団、団長のフリソスと申します」

 と口調まで硬く名乗ってくれた。

 見た目によく合う落ち着いた低めの声は、口調の硬さを和らげるように温かみがある。

「こちらこそ。こうしてご挨拶出来て良かったです。よろしくお願いします」

 そう告げた私に一度だけ微笑み、それ以降は私たちの後ろをついてきてくれることになった。

 私の左にはサフィ、右にはゲート。

 二人は小さな歩幅の私に合わせて、ゆっくりと歩いてくれる。

 神殿の敷地内を散歩している町の人たちとも挨拶を交わしながら薬草園まで向かう。

 みんな嬉しそうな顔で挨拶をしてくれるけれど、大騒ぎすることはない。

 静かに私たちを見守ってくれている、そんな感じ。

 こういうところ、ありがたいな。

 ミーハーに騒ぎ立てられると気が気じゃなくなっちゃうけど、こんな風に静かに、でも温かく見てくれるのは嬉しい。

「ラウルスの人たちは穏やかだね」

「ん?」

「ここですれ違ってるってことは、みんな私が神子だって…気付いてるよね?」

「そうだな、分かっていると思う。だからこそ、誰もが弁えているんだ。それに神子には心穏やかに、健やかに過ごしてほしいっていうのが人々の願いだ」

「そうなの?」

「ああ。もちろんみんな神子の降臨を心から望んでいたし、実際降臨してくれたことは街を挙げて、いや、国を挙げて盛大に祝いたい気持ちでいっぱいだと思う。でも今は正式なお披露目前だからな、今がどういう時期かよく分かってるんだ」

「お披露目は神子が正式にこの国に降りたという宣言と同義です。さらに神子として神事を行ったり、生命の水を作ったりということを始めるという合図でもあります。その前に神子にはこの国や城下町であるラウルスについて知っていただき、人々の様子を見たり感じたりしていただくんですよ。今はその時期だと、皆分かっているということです」

「そういうこと…。え、じゃあもしかして昨日の散策の時も…?」

 はた、と気付く。

 あの時は着ている衣装で「神官」だと思われているから、特別騒ぎ立てられていないんだと思っていた。

 でもフードを被っているとはいえ、私の顔は見えている。

 声だって聞こえている。

「みんな私だって気付いてたの?」

「ええ」

「ちょ、じゃあ全然「お忍び」じゃなかったってこと!?」

「いえいえ、きちんと神官服にフードも被っていましたから「お忍び」ですよ?」

「え?」

 サフィの言っていることがよく分からない。

 街の人たちは私が神子だって分かってるけど、神官服にフードだと「お忍び」なの?

 それってどんな意味が?

 頭の中は疑問だらけ。

 隣のゲートを見上げて助けを求めると

「ふっ」

 ゲートは突然噴き出して、笑い始めた。

「ちょっと、どうして笑うの?」

「はは、いや、すまない。でもユウがそんな顔するから」

「そんな顔って、どんな顔」

「子どもみたいなしかめっ面」

 ゲートはそう言ってまだ笑いながら、私の眉間を親指で撫でる。

 っ!!

 私は思わず反射的に両手でその部分を覆う。

 でもゲートは相変わらず楽しそうで、そのまま頭をぽんぽんされた。

 不覚にも鼓動が跳ねあがる。

 何ていうか、壁ドンだとか顎クイだとか、そんなものよりずっと「ぽんぽん」の威力は強い。

 しかも無自覚!!

 いつも一歩下がった位置から見守る「お兄ちゃん」的立ち位置のゲートは、きっと無意識に人をときめかせてるんだろうな。

「ゲート、実はとってもモテるでしょう?」

 問いかけると、きょとんとした顔でゲートは

「俺が?」

 なんて驚いていた。

「たくさん告白されたことあるんじゃない?」

「告白?俺がか?まさか、一度もない」

「ホント?」

「ああ、月光神様に誓って真実だ」

 両手を肩ぐらいの高さに掲げて手のひらをこちらに向ける。

 無実です、のポーズ。

 それをすぐに解いて

「大体俺は近衛兵として王と王妃をお守りするのが仕事だったから、女性と接することなんてほとんどなかったんだ。身近な女性と言えば母上くらいだし、王国兵になってからはずっと離れて暮らしているから、正直女性は何というか、よく分からないし…得意じゃない」

 最後は口ごもりながら気遣わし気に呟いた。

 得意じゃない、って…苦手意識でもあるのかな。

 聞いてもいいのか、悪いのか。

 どう思う?と視線でサフィに問うと、サフィも少しだけ困ったような顔をした。

「確かにどなたかから縁談が来た、というお話は耳にしたことがありませんね」

「女性とは滅多に会わないから、縁談の話も来ようがない」

「ホント?」

 私はサフィに問いかけた。

 だってゲートが気付いていないだけ、って可能性もあるもんね。

 でも

「アガートは近衛隊の中でも特に仕事熱心ですから、王妃様やお母様以外の女性と話している所は見たことがありませんね」

 とのこと。

「そういうわけで、俺自身どうして神印を授けてもらえたのか未だに不思議なんだ」

「…」

 本気で思ってる顔だ。

 この世界の人たちは容姿端麗な人が多すぎて美的感覚が鈍ってるの?

 ただゲートが自分自身に無頓着なだけ?

 それともファンは一定数いるけど隠れちゃってる?

 でもそれならきっと、月光神様には全てお見通しですよ、ってことなんじゃないのかしら。

 うん、多分そうだ。

「ゲートが鈍すぎるんだわ」

 私は結論を出して「ね」とサフィに同意を求めた。

「そうですね」

 サフィは面白そうに笑い出す。

 その反対側でゲートはどういうことかと首を傾げていた。




 他愛のない会話をしながらのんびり歩いて、ようやくたどり着いた薬草園には数人の神官がいた。

 ぱっと見渡しただけでも相当な数の植物が栽培されていて、隅々まで手入れが行き届いている。

 薬草園の管理を任されている神官たちは、私たちに気が付くと、作業の手を止めて丁寧にお辞儀をしながら挨拶をしてくれる。

 それに応えて、はた、と一人に目が行った。

 銀色の髪を短く整えている様子から爽やかさが漂い、チョコレート色の瞳はどちらかと言えば落ち着いていて少し細め。

 でも微笑み方がそっくりだ。

 それに、きっと彼の年齢が上がったらきっとこんな感じだろうな、と思わせる容姿。

 もしかして。

「あの…」

 声をかけると

「はい、私はアルジェントと申します。ディアマンテ殿下がお世話になっております」

 思いがけず出会えた彼はそう言って、穏やかに笑みを浮かべた。

 ディアを敢えて「殿下」と呼んだのは、既に自分が王族から抜けていることを暗に示しているようだ。

 私はそっとサフィの様子を窺う。

 サフィは静かに頷いた。

 そして目の前の彼は私たちが口を開く前に、自ら

「この度は殿下やお二人にも神印が授けられましたこと、お喜び申し上げます」

 と告げた。

「神子、私や兄のことはご存知ですね?」

「!?」

 思いもよらない問いに、私はとっさに応えることができない。

 でも彼はそんな私を気にかけることもなく、ただ穏やかな視線を向けるだけ。

「良いのですよ、国中の人間が知っていることです。どうか、そのことで神子が胸を痛めることがありませんよう。サフィール殿も、私たちを気にかけてくださるのはありがたいのですが、兄も私も本当に心から喜んでいるのです」

「アル…」

「それに私たちは生涯を月光神様に捧げると誓いました。今更籍を戻したいという気持ちは欠片もないのです。ましてやあなた方を妬む思いもありません。わざわざ争いの火種を作ろうとは思いませんから。ディアマンテ殿下にとっては大変なこともかもしれませんが、私たちは神官として出来ることを精一杯やって、彼を支えたいだけです」

 それは神官になり、生涯独身を誓うことで自分たちが神子の夫候補になることはあり得ないという宣言。

 王族に戻るつもりも一切ないから安心してほしい、というメッセージでもある。

 彼は晴れやかな表情を浮かべて、ホッと息をついた。

「一方的に話をさせていただき、失礼いたしました。どうぞごゆっくり、薬草園をご覧になってください」

 そう言って立ち去ろうとする、

 その後ろ姿に、サフィが

「お待ちください!」

 と呼び止めた。

「ありがとうございます。先ほどのお気持ちはディアマンテ様にもお伝えします。必ず」

 強い思いが滲むサフィの声を、彼は背中で受け止めた。

 そして一度だけ、振り返らずに首を垂れる。

 これ以上の会話は必要ないようだ。

 彼等の間には確かに互いの想いが伝わり合っているようだった。

 何も言わず立ち去っていく彼の姿を一緒に見送る。

 私はそっとサフィの横顔を見つめた。

 それからゲートを見ると、彼は私の視線を受けてしっかりと頷いた。

「良かったな、サフィール」

「ええ、まさかこのような形で告げられるとは思ってもみませんでしたが、完璧なタイミングだったと思います」

「そうだな。非公式とはいえ、神子に直接宣言できた。それに第三者として証言できる人間が揃ってる。さすがアルジェント様だ」

「はい。これで彼らが政治的に利用されることはありません。そして私たちは彼らを完全に守ることができます。これも月光神様の思し召しでしょうか」

 サフィはそっと私を見た。

 これが月光神様のご加護だというなら、もしかして…彼女もアルジェント様たちを守りたかったということなのかもしれない。

 夫候補に選ばれるよりも、敢えて生涯独身を誓うことで解放されることの方が救いになる。

 それほどに彼らは傷ついてしまった…そういうことなのかな。

「彼らのように傷ついてしまう人を、一人でも減らしたい。生命の水って男性には効かないの?」

「何かしらご加護はあると思いますが、なにしろ大変貴重なものですから、女性への提供が優先されます。更にお届けする順番も決まっていますから、とても男性にまで行き届かないのです」

「だから試せていない、ってことね」

「はい。それでも何とか出来ないかと、この薬草園で効果があると言われている植物を育てているのですが、これがなかなかうまくいきません。ですからシンケールス様も月下美人の飲食について、最優先に取り組むと仰っていたのです」

「そういうことだったんだ…」

 考えてみれば、生命の水が男性にも効果があると分かっていれば、王族である彼らは優先的に飲むことができたはず。

 女性が優位な世界だけど、彼らは男性の中では高い身分にあるんだから。

 でもそれが出来なかったのは生命の水自体がほんの少しで、貴重すぎる物だったから。

「月下美人の栽培が神殿のみ、っていうのも拍車をかけている?」

「だろうな。でもここ以外じゃ育たないんだ」

 ゲートが言う。

「え…?神殿以外では育たないの?」

「国としてもあちこちで試してみたんだ。だが、どこもダメだった。土や温度、水、栄養、全て試行錯誤しても、どうしても育たない」

「神殿とそれ以外の土地での違いは、残すところ「祈り」でした」

「月光神様への?」

「ええ。そう思って神官を派遣して祈りを捧げてみたものの、結果は同じ。この神殿以外では育たなかったのです」

「つまり月下美人の栽培にはこの神殿で祈りを捧げることが条件だったのね」

「おそらくそういうことなのでしょう。月光神様は神殿で祈りを捧げた時のみ、月下美人にご加護を授けてくださるようなのです」

 だから余計に生命の水の希少価値は高くなったってことか…。

 でもきっと何か理由がある気がする。

 月光神様の加護はどこでも授けられるわけではなく、この神殿でのみ、と限定されたのには、ここでなきゃいけない理由か、それともあちこちに広めてはいけない理由か。

 前者だとすれば加護を授けられる条件が神殿には揃っているということになる。

 それなら月下美人を飲食可能にして、広く流通させても問題はない。

 でも後者だとするならば。


 加護を授けてはいけない理由が存在している、ということ…。


 もしそうだとしたら。

「ゲート、月下美人の栽培を試した場所ってどこ?」

「ん?あぁ、それなら全て、詳細も含めて資料が神殿に保管してあるはずだ」

「はい、シンケールス様に許可をいただければすぐご覧になれます」

「じゃあお昼ご飯の時にでもお願いしてみる」

「何か気にかかるのか?」

「うん…。ただの思い過ごしならいいんだけど」

 ふとよぎった嫌な予感に、少しだけ胸騒ぎがした。






 続く

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