第13話 神子の平日(その1)
衆人環視の中で料理というのはとても緊張する。
しかもプロが見ている中で、ど素人の私が料理をするというんだから推して知るべし。
大体パイと言ってもいつも作っていたのは、バターでリンゴのスライスをしんなり焼き、ハチミツとレモンを加えて味を調えたら、そこにシナモンを適量振って中身は完成、という至ってシンプルなものなんだけれど。
隣でパイ生地を作ってくれているサフィの方がよっぽど達者だと思う。
最初こそ
「包丁や火を神子が使うなんて危険です!!」
と、料理長をはじめとする料理人の皆さまが顔を青ざめさせて、全力でストップをかけてきたのだけれど
「神子がお作りになる味を、味わってみたいとは思いませんか?」
というサフィの一言で全員が「イエス」と一致した。
その後はもうマイペースに調理場を使い放題。
ただし、パイを食べたい人が増えたことで昨日買い出した分では収まらず、厨房にあった大量のマールス(リンゴ)が追加された。
皮むきを料理人の皆さんが担当してくれて、私はもはや味付け係。
きっとみなさんの方が美味しく作れると思うんですが…恐縮です。
向こうの方ではお昼ご飯の準備が始まっているのだけれど、そちらの皆さんもこっちに興味津々の様だ。
でも私はそんなことを気にしている場合ではない。
リンゴやバターが焦げないように、それでいて身を崩さないように、慎重に焼きつつ加減を見極める。
香ばしい匂いと甘い香りにシナモンの香りが絡み合って、もう匂いだけでも美味しそう。
うん、いい感じ!
「サフィ、こっちは出来たよ」
「こちらも準備万端です。いつでもどうぞ」
「じゃあ行きまーす!」
鍋のような大型のフライパンからリンゴをすくってパイ生地へ。
それを数回繰り返して空っぽにしていく。
中身が入ったパイ生地は順にレンガ造りの窯の中へそっと運ばれる。
あとは生地が焼きあがれば完成だ。
「シトロニエ(レモン)を使うとは、いいアイディアですね。せっかくですから、完成したらグラナートにも召し上がっていただきませんか?」
「え?グラナートさんにも?いや、でも、恐れ多くて…」
「そんなことはありませんよ。喜んで食べてくれると思います」
「むしろ私がグラナートさんの作ったパイを食べてみたい」
「では今度彼がこちらへ来るときに作っていただきましょう」
それは願ってもない提案。
「さすがサフィ、分かってますね」
「もちろんです。あなたの幸せが私の幸せですから」
どこか吹っ切れたようにサフィはそう言った。
昨夜、自分を卑下しないで、と告げた私の言葉をサフィはしばらくの間噛み締めているようだった。
心の中で何度も反芻して葛藤している、そんな様子でいたのだけれど
「いいんじゃないか?自分を幸せにできない人間が、誰かを幸せにすることなんて出来ないだろう。ユウの幸せが俺たちの幸せになるなら、最高だと思うが」
と、お風呂上りのゲートが後押ししてくれた。
ゲートは口数こそ少ないものの、こうして的確に表現してくれる。
そのおかげでサフィは思いきれたんだと思う。
何か憑き物が落ちたようにすっきりとした表情で私を見てくれた。
「ユウの幸せが、私の幸せ…そうですね、それが真理なのかもしれません。ありがとうございます、アガート。あなたの言葉はいつも私の背中を押してくれる」
「サフィールは受け取り下手だからな。もう少し他人からの厚意を受け止めた方がいい。謙遜もしすぎればただの卑屈だぞ」
グサッと核心を突くそんなセリフも、サフィは苦笑いで受け止める。
「容赦ありませんね、ホント」
「あんただから言うんだ。他の奴なら放っておくさ」
「そうですよね、あなたはそういう人です」
「どーも」
ゲートはそっけなく返してそのまま窓際へ歩いていく。
戸締りを確認しながら、窓越しの外の様子も確かめているようで、今夜もこの部屋で夜通し警護にあたるための準備を始める。
私はそんな彼の様子を眺めながら、穏やかになったサフィの横顔を見上げた。
「ゲートと、仲いいんだね」
二人の様子に何故か私の方が嬉しくなって、思わずにんまりしてしまう。
「そういうの、いいな」
「確かに…あんな風に言いにくいこともズバッと言ってくれるのは、アガートとディアマンテ様くらいです。当たり障りのない、耳障りの良い言葉は体よく相手を踏み込ませないための境界線のようなものですからね」
「三人にはそれぞれの肩書があって、関係性もあると思うけど…親友みたいだよ。サフィもあの二人には心を開いてる感じがする」
「そうですね、二人のことは信頼しています。共に月光神様に選ばれたことを誇りに思っています。そんな私が自分を卑下していたら、それこそ失礼にあたりますよね」
そうやって考えちゃうところがサフィの真面目なところ。
でもね、嫌いじゃないよ。
「サフィ、料理は得意?」
敢えてそう問いかけてみる。
「…そうですね、出来る方だと思います」
心得た、とばかりにポジティブ修正された答えが返ってきた。
「じゃあ明日、一緒にマールスパイ作ろうね」
「はい。楽しみにしております」
「うん、私も」
…というやりとりをして昨日の夜は終わり、今に至る。
サフィは約束通り、朝になると私の髪を結ってくれて、厨房にも一緒に来てくれた。
料理長たちに話をつけてくれたし、手際よくパイ生地も作ってくれた。
だから
「出来上がったら、一番に食べてね」
そう伝えると、サフィははにかんで
「光栄です、ユウ」
と受け入れてくれた。
「ゲートとは一緒に食べられるから大丈夫だけど、ディアはどうしよう。仕事中だからきっと王宮でしょう?せっかくだから焼きたてを食べてもらえたらいいんだけど」
「そうですね。かといってこちらにおいでいただくのも難しいでしょうし、お届けするのは可能ですが、手元に届くころには冷めてしまいますからね」
二人そろってどうするか考えあぐねていたところ、解決策は料理長がもたらしてくれた。
「神子様、こちらにまだ窯に入れる前のものがございます。王宮にはこちらをお届けして、厨房で焼いていただくというのはいかがでしょう」
「いいんですか?それを届けちゃったら、皆さんの分が減ってしまいますよ」
「お気になさらないでください。例え一口でもいただけるだけで私たちは幸せなのでございます」
料理長の言葉に、後ろに控えている料理人さんたちも一斉に頷く。
「分かりました、ありがとうございます。代わりと言ってはなんですが、また私にパイを焼かせていただけますか?もちろん、次に厨房を使わせていただくときも、皆さんに召し上がっていただけるように作りますから」
「畏まりました。ぜひ、よろしくお願いいたします」
こうして無事、料理長のおかげでディアにも焼きたてパイを食べてもらえることになった。
焼く前のホールパイは厳重にラッピングされ、善は急げとばかりに聖騎士の手も借りて早馬にて届けられる。
聖騎士さんにそんなお使いみたいなことさせていいのかと心配になったけれど、神殿のために働くというのが基本だということ、馬に乗れるということ、さらに「神子様のお役に立てるなら!!」と立候補者多数によりむしろ喜び勇んでお使いに行ってくれる気満々だったらしい。
窯の中にあるパイが焼けるまで、一段落ついた私たちは厨房の片隅で休憩。
と言っても私は調理場の様子に興味津々で、邪魔にならない所から見学というより観察中。
忙しい料理長に変わってサフィが先生をしてくれて、食材や調味料について解説してくれる。
「あれはハーブの一種です。細かく刻んで香辛料と併せて使うんです。香辛料の原料となる植物は神殿の薬草園にもありますよ」
「収穫時期は?」
「夏が最適です。ただ、神殿では研究も兼ねて、どの季節でも収穫できるようにしています。寒い時期に収穫したものは少し風味が落ちてしまいますが」
「じゃあ温かい時期に収穫して乾燥させて保存?」
「そうですね。使用する時に砕いて粉末状にします。因みに実の部分は風味がよく、種の部分は強い辛みを持っています。それぞれ別の香辛料として使用するんですよ」
「なるほど」
サフィの解説を聴き洩らさないように、すぐさま書き留めていく。
調理方法については記憶にある方法と合っていたから、今後は料理の再現をすることも可能だと分かった。
好奇心の赴くまま、あれこれ質問する私に快く答えてくれるサフィ、そしてゲートはそんな私の様子を隣で優しく見守ってくれている。
ゲートの優しい所はこういうところだと思う。
恐らく彼は料理に関しても基礎的なことを学んだだけで、そんなに詳しいわけではないと思うし、興味関心が高い方でもないと思う。
でもずっと隣にいてくれる。
少しも嫌な顔をしていないし、退屈そうにもしていない。
時々サフィの解説に頷いたり、場合によっては質問もしたりしている。
そんな彼の様子は、護衛の任務だからというだけでここにいるわけじゃないんだ、と思えて嬉しかった。
そうしてひとしきり厨房の様子を観察し終えた頃、ようやくパイが焼きあがってきた。
焼きたては最高に良い香りが辺り一面に漂う。
バターのコクのある香りとパイ生地の香ばしさ、マールスの爽やかな香りとシナモンのスパイシーな香り、どれもが見事に合わさった。
「良い匂い~」
胸いっぱいに吸い込んで堪能しちゃう。
ここでもやっぱり刃物は遠ざけられたけれど、しっかり八等分されたうちの一切れが載ったお皿をもらったら、自分で切り分けらないことくらい些細な事。
せっかくだからと、私たちも厨房で焼きたてをいただくことにした。
ドキドキしながらサフィとゲートの反応を待つ。
二人は慣れた手つきで一口分を切り取ると、ぱくりと口の中へ。
どうかな…。
「これは…美味しいですね…、なんというか、想像以上にブッロ(バター)とシナモン、ハチミツが相性抜群ですね!」
「美味い。その、俺はサフィールのように言葉にできないのがもどかしいが、本当に美味い」
それぞれに目を輝かせながらそう言ってくれる。
「ホント!?良かったぁ!私も、いただきます!」
まだ熱々のパイを一口、冷ましながら食べてみる。
「ん~!美味しい!!大成功、って言っていいかな?」
「もちろんです!」
サフィの言葉に勇気をもらって、料理長たちの方を見てみると、みんな満面の笑みでサムズアップしてくれた。
これならシンケールス様もディアも喜んでくれるはず。
私を包む甘い香りは、幸せの香りになったのだった。
続く
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